夢と現実いったりきたり

2021年現場まとめ

 自分でもびっくりすることに、2021年はほぼブログを更新していない。観てすぐアウトプットしないと自分の頭ではきれいに忘れてしまうというのに……。うまく思い出せないかもしれないけど、今年の現場を振り返っていこうと思います。

 

雑感

 上半期は興行も再開しはじめてまたぽつりぽつりと舞台も観に行けるなあと思っていたのだけど、急に宝塚に「気づい」て以来、もっぱらタカラヅカづいてた下半期。どうしたってお勉強おたくなところがあるからスカイステージを活用しながら昼夜「タカラヅカ」を学んでいたら、あまりにもタカラヅカばっかり見てることに気づいて、焦っていろいろ手配した秋口……。恐ろしいことに、来年にはU-25割引も使えなくなってしまうという。このブログを始めた当時はまだ成人してなかったことを思うと感慨深い。それはそれとして、この1〜2年は大目に見てほしいんだけど駄目ですか。

 自分がなにかにハマると一辺倒になる性分というのもあるけど、ここ最近は国外コンテンツにハマっていたために1〜2年強制的在宅状態で、現場がある国内コンテンツに傾いていったのは仕方がない。

 

1〜4月

 だいたいここでまとめてます。

tsukko10.hatenadiary.jp

 

 

5月

柿喰う客『滅多滅多』@本多劇場

魑魅魍魎が跋扈する「高天原立秋津島小学校」!時刻は4時44分、夕闇迫る逢魔が時
忌まわしき歴史に血塗られた幽愁暗恨の教室で、悪魔たちの課外授業が幕を開ける!!

演劇界の風雲児「柿喰う客」の最新作は怪優20名による大スペクタクル!
大人と子供と「七不思議」による学内抗争を描くホラー・スリラー・ミステリー!!

感想

 シンプルに人が多い。わたしの中で柿の団員の記憶が2016年入団で止まってる(2017年入団はわかる人とわからない人がいる)せいで1/3くらい誰!?ってなって困った。今改めて公式HP確認したけどやっぱ人多くない???

 人が増えたのに「柿」濃度はそんなに高くないように感じて、いや柿の芝居だし濃いんだけど、妙にサラッと観ちゃうというか。もうすでにストーリーをだいぶ忘れている……。新メンバーをまだ柿の俳優って認識できてないのが原因な気がするけど、だからこそもうちょっと人数減らした公演もやってほしいなと思った。2020年末に観た『夜盲症』はかなり満足度高かったし……とか思ってたら発表された2022年の本公演がまさかの3人芝居でしかもメンバーが大村・玉置・田中って期待しかないやつだった。みんな好きなやつじゃん。絶対観るぞ。

 とはいえ『滅多滅多』も面白かったんですけど。どうしても音楽ネタに弱いんだよな……。滅多滅多音頭でセンターを張る穂先くん、路線男役です。というか『空鉄砲』で新人公演やるし、もはや寄せてきてるのかもしれない。

 これまでになく考察で盛り上がってたような気がする(あくまで自分の観測範囲で)。柿の芝居ってわりと時系列がガチャガチャになってたりリフレインが多かったりで入り組んでるけど、最後まで観たらすんなり理解できる印象なのに今回複雑に感じたのはやっぱり人数が多いからでは!?

 『夜盲症』に引き続き長尾さんがズボン役だったありがたさよ。同様にズボン役の沖さんがよくて、ていうかシンプルに「顔が好き」というあさましい感想なんだけど、でもここふたりをズボン役にした中屋敷さん、「わかってる」じゃんって……。

 

6月

雪組ヴェネチアの紋章/ル・ポァゾン 愛の媚薬-Again-』@相模女子大学グリーンホール/愛知県芸術劇場

16世紀前半のイタリア、ヴェネチア元首の息子であるアルヴィーゼは、正当な世継ぎでないがゆえに愛する人リヴィアと結ばれず、異国へと旅立つ。十年後、持ち前の才覚で貿易商として成功を収めた彼は、忘れることがなかったリヴィアと再会し、モレッカのダンスでさらに想いを滾らせる。そしてついに、愛する人を取り戻すために、そして自分自身の誇りのために、アルヴィーゼはヴェネチアがくれなかった“紋章”への強い執着に突き動かされ一国の王となるために立ち上がる─

tsukko10.hatenadiary.jp

 

 最近Blu-rayが出て、部分部分を見返してるんだけど芝居の衣装がかわいいし、ロマンチックレビューはいいものですね……。初演を見てしまうとつぎはぎだなあとは思うんだけど。芝居の方はやっぱりホンの古さが否めないのと、いらない付け足しがちょっとな〜と思う。原作が爆裂面白いというのもある。しかし月下のモレッカは筆舌に尽くし難い。あの瞬間のために観たかいがあるというものです。さききわというトップコンビが(自分と一緒に走り出したという贔屓目があるにせよ)好きだなとしみじみ思う今日この頃。

 

イキウメ『外の道』@シアタートラム

同級生の寺泊満と山鳥芽衣は、偶然同じ町に住んでいることを知り、二十数年ぶりの再会を果たす。
しかし二人には
盛り上がるような思い出もなかった。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。

寺泊はある手品師との出会いによって、世界の見え方が変わり、妻が別人のように思えてくる。
新しい目を手に入れたと自負する寺泊は、仕事でも逸脱を繰り返すようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった。

日常生活が困難になっていく寺泊と芽衣は、お互いが理解者であることを知る。
二人はこの混沌の中に希望を見出そうと、街中に広がった無を見つめる_。

 イキウメってどうしてこうも外れないんだろう。観終わったあと「イキウメゎサイコー」しか言えなくなる。めっっっっちゃくちゃ面白かったし怖かった。イキウメといえば会話のうまさ、それによって紡がれる人間関係のうまさだけど、それがうまければうまいほど、のちのち描かれる秩序や常識の綻びをいっそう恐ろしく感じる。わたしの観るイキウメはいつも「ふつう」の枠や境界に疑問を投げかけていて、だけど人間のことが好きだというのが根底にある。怖いけど明るい。

 自分はどこから来たのか。自分は何者なのか。自分は本当にまっすぐに世界を見ているか。そういうことをずっと捏ねくり回している。イキウメは絶対に「考えること」を諦めないんだな。それが心地いいし、観ていて救われる気持ちになる。

 ところでシャッターのついている家に住んでいるんですが、シャッターを閉め切ると「外の道」ごっこができます。

 

7月

『Being at home with Claude クロードと一緒に』@シアターウエス

1967年 カナダ・モントリオール。判事の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。
殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。
順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。
密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。

 

 2019年にBlancバージョンを観ていて*1、再演の報を受けて絶対に観ようと思っていたクロード。やっぱり作品としてすごく好きなんだけど、がっつりセットが組まれた中で観るクロードって、なんだか違和感があった。本来こっちが正しいのかもしれないけれど、イーヴをこんな狭い部屋に閉じ込めるなんてひどい、と思った。赤レンガ倉庫がイーヴの見ている世界だったとしたら、シアターウエストは現実の世界。だけどその分すごく理解しやすくて、クロードってこんなにあからさまに社会構造の話だったんだなというのをひしひしと感じた。この位相で見るイーヴはあまりにもぼろぼろで、見ていてつらかった。これは溝口イーヴの特色というのも脚本演出の違いというのもあるだろうけど、溝口イーヴは最後の最後までわかってほしかったんじゃないかな……というのがつらかった。松田イーヴはこちらを突き放して、わたしたちに理解されることを拒んでたから。確かイーヴの「もうやめるよ」で幕切れだったんだよね。わたしはがらんとした赤レンガ倉庫を縦横無尽に駆けまわる松田イーヴに恋していたのかもしれない。

 

ジーザス・クライスト=スーパースター inコンサート@シアターオーブ

舞台は約2000年前のイスラエル
ひとりの人間として、神や民衆との間で苦悩するジーザス(イエス・キリスト)と、ジーザスに仕える弟子の一人でありながら、裏切り者として歴史にその名を刻むことになるイスカリオテのユダ
民衆の間で人気を高めるジーザスに対し危険を示唆するが、ユダの心配をよそに民衆はジーザスを崇拝していく。

ユダヤ教の大祭司カヤパは、大衆の支持を集めるジーザスに脅威を感じ、他の祭司たちとジーザスを死刑にしようと企てる。
そして自分の忠告を聞かないジーザスに思い悩むユダは、祭司たちの策略により、とうとうジーザスを裏切り、祭司たちに居場所を教える。

神の子としての自分と、人間としての自分との狭間で思い悩むジーザス。
遂には弟子や民衆の裏切りによって捕えられ、十字架にかけられたジーザスは、自分の運命に対する神の答えを問いただしながら息絶えるのであった…。

 

 JCSは曲が好きで、以前配信されていたコンサート形式のものだけ見たことがある。今回もコンサート形式だから次やるときは見たいな……。わたしは芝居>ダンス>歌で、あまり歌唱力重視ではないんだけど、うまい歌を浴びるとやっぱりテンションが上がる。歌がうまいっていいことですねえ! 柿澤さんのシモンはニンというか、ああいう突っ走る若者みたいな役柄ほんとに似合うんだけど、前にコンサートで歌ってたヘロデ王もいつか見たい。藤岡さんのヘロデ王がどうひっくり返っても好きで抗えない。

 

 

月組『桜嵐記/Dream Chaser』@東京宝塚劇場

南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。
太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。

怖かったんだよね。観終わったあとずっと「怖い」って言ってた。争いをやめた方がいいとわかっていてもやめられない天皇。過去の呪縛。「国体」とかそういうワードが思い浮かんでは消え、具合が悪くなってきたところに、晴れやかに華々しく退場してゆく正行の姿に「泣ける」ことにぞっとしてしまう。恐ろしいほど演出がうまいんだよな……。

 

8月

宙組シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!/Delicieux!』@東京宝塚劇場

19世紀末イギリスの小説家コナン・ドイルが生み出した不滅のヒーロー、シャーロック・ホームズ。その人並み外れた洞察力と観察力、そして変装術を駆使する名探偵の縦横無尽の活躍を描いた「シャーロック・ホームズ・シリーズ」は、時代と世代を超えて今尚、様々なメディアで世界中の人々を魅了し続けています。
稀代の名探偵、シャーロック。その宿敵となるジェームズ・モリアーティ教授。ただ一人、シャーロックの心を動かした「あの女」、アイリーン・アドラー・・・
「罪を追う者」。 「罪に生きる者」。 そして、「罪を背負う者」・・・
「罪」によって分かち難く結ばれた三人のキャラクターの描き出す幾何学模様(トライアングル・インフェルノ)!
「人」とは? 「罪」とは? そして「愛」とは? 
霧と煙に包まれた都・ロンドンを舞台に、数多の難事件を解決してきた名探偵の挑む冒険活劇。
なお、この公演は、新トップコンビ、真風涼帆・潤花の大劇場お披露目公演となります。

 生田先生の美的感覚・こだわりは好きだけど、いつものことながらストーリーが練りきれてないと思うんだ……。キャラシートはがんがん作り込むけどストーリーまで落とし込めてない感じ。でも演出は本当に好きだから生田先生には頑張ってほしい(SALU)と毎度言い続けます。キャラクターといえばモリアーティ率いる犯罪シンジケートの面々にGファンタジー的オタク臭さが漂っててちょっと赤面しちゃった。小学生時分のキズが疼いてしまうんや。

 ホームズといえばワトソンだけど、生田先生の萌え的にはホームズとモリアーティになるのはわかる。それで割りを食ったと思いきやワトソンが存外いい役だった。桜木さんの演じる「人のよさ」が好き。生田先生、シャロモリシャロに萌えすぎてちょっとおかしくなっちゃってるじゃん(笑)とか言ってたけどわたしもポーロックに萌えすぎておかしくなってしまった。あんなん好きだよ。どうしてくれるんだよ。

 デリシューはプロローグが異常に楽しかった。ドルオタの自我が野口先生のアイドル場面を消化できずに喧嘩してしまうんだけど、パリ野郎はよかった。若干乗り切れない場面もあるにはあったけどおおむね楽しかったです。野口先生も性癖をもうちょっとうまく抑えられるようになったらもっと好きになれるのでよろしくお願いします。

 

9月

雪組CITY HUNTER/Fire Fever!』@宝塚大劇場

新宿を舞台にスイーパー(始末屋)として生きる“シティーハンター”こと冴羽獠。彼が依頼を請け負うのは、美女絡みか、依頼人の想いに“心が震えた時”のみ・・・・。
獠の持つハードボイルドかつコミカルな魅力を、彼を取り巻く個性的なキャラクター達の活躍と共にドラマティックに描きます。

 

公演にまつわるツイートをtogetterにまとめてます。

 

本当に苦しい公演期間だった……。自我が引き裂かれていくような……。先に言ってしまうと、「芝居」としては全く評価してない。

まず、何十年も前の作品を現代で上演するってなったとき、問題のある表現を除去/改変するか、問題と認識したうえで必要があるから描くか、というその議論の俎上にすら載ってないんだろうな、というやるせなさ。ここはnot for meとかじゃなく最低限のラインがクリアできてないってことだからがっかりした。

ここからは自分の好みの問題も入ってくるけれど、「問題のある表現」のことを抜きにして作品を見たときにやっぱりいまいちぴんとこない。そもそも、演出によって完全に統率のとれた芝居が好きだからアドリブとか日替わりって極論必要ないと思ってて。インスタントな笑いよりきちんと練られた「文脈」を見せてほしい。台詞の一言一句に気を配って、そこからキャラクターの背景がぐっと広がるように作り込んでほしい。群衆芝居は本筋にきっちり目を向けられるように視線誘導すべきだし、その点から見るとCHの新宿雑踏って群衆芝居としては成り立ってないんですよ。……っていう、とうとうと不満をたれる自分がいる一方で、雪組子が好きな自分としては下級生までほぼ通しの強めのキャラクターがあって、台詞はなくともみんなが自由に芝居ができるのがありがたい……という感情が捨てきれないジレンマ。新宿雑踏の話も、それを敢えてやってるのは「全員が主人公」をやりたかったってことに他ならない。そういう愛情はすごーーーく感じられるからずっと苦しかった。自我が引き裂かれる……。

 

「そう。「憎しみに限りなくちかい愛情」など、そんなものは存在しない。真の憎しみで彼を思い、真の愛で彼を思う。どちらも本当で、別個のものなのだ。この相反するもっとも激しいふたつの感情が、同じだけの焦げつくような熱さで、彼一人に執着する。同じだけの強さでこの胸を引き裂く。引き裂かれた肉が血が細胞が悲鳴をあげる。身を焦がし尽くして、業火のなかでのたうちまわることしかできない。」

—『炎の蜃気楼9 みなぎわの反逆者 (集英社コバルト文庫)』桑原水菜
https://a.co/6GYBzVt

まさにこんな感じだった。まさか宝塚を観ることで直江信綱の心情に寄り添えるとは思わないじゃん。宝塚はいつもわたしに新しい感情を教えてくれる。

 

花組『銀ちゃんの恋』@梅田芸術劇場シアタードラマシティ

1982年に「直木賞」、1983年に映画版で「日本アカデミー最優秀脚本賞」を受賞した、つかこうへい作「蒲田行進曲」。宝塚歌劇では1996年に、久世星佳主演で初演、2008年と2010年には、大空祐飛主演で再演。異色の題材ながらいずれも大好評を博しました。
自己中心的でありながら、どこか憎めない映画俳優の銀ちゃんが、恋人の小夏や大部屋俳優ヤスなど、個性豊かな「映画馬鹿たち」と繰り広げる破天荒でありながら、人情味溢れる物語が、再び宝塚の舞台に登場致します。

この題材(スターと大部屋)を宝塚でやるって悪趣味だとは思いつつ面白い。銀ちゃんの語るスターの在り方(スターはかっこよく「存る」もの、芝居はまわりの人たちがやってくれる)は銀恋におけるパラーバランスそのもの。ヤスがうまくないと成り立たないけど、同時に銀ちゃんが「かっこよく在る」ができてないとやっぱり成り立たない。観客はそれを宝塚のシステムと重ねて観てしまうし、そういうとこはやっぱ悪趣味なんだよね。つかさくんが好きかつヤスという役が好きだからめちゃくちゃ泣いた。なんなら、初っ端の階段落ちをやる子分はいないのか〜のときにヤスが階段を調べてるとこから既にちょっと泣いてたから。年々涙腺が弱くなってきていていかん。

ヤスが元々チェーホフをやるような演劇青年だったというのがまたいい。それを受けた銀ちゃんが、観客が望んでるのはそんな理屈っぽいのじゃななくてちょっと見逃してもストーリーがわかるような娯楽作品だ、と返すのは、宝塚という国内有数の娯楽作品のために劇場へ足を運んでる我々観客への皮肉すぎる……。

銀ちゃん=銀幕、映画の擬人化……とまではいえないかもだけど、その象徴として描かれているからこそ、映画というものに惚れ込んだヤスにとって銀ちゃんはかっこいい理想の銀幕スターでいてくれなくてはならないし、そのためになら自分を犠牲にすることを選ぶ。

銀ちゃんが銀幕の象徴、というのは小夏にとってもそうだけど、小夏の描かれ方はだいぶグロテスクだからそこはしんどい。銀ちゃんから散々な扱いをされたあげく、貧乏でつましい生活だけど幸せ、と歌ったりあたかも自分が悪いかのように謝ってたり、でも小夏は悪くないんだよ……。

ところでつか作品って改竄熱海と銀恋しか知らないのだけど、「田舎」のディティールが異様にうまくて舌を巻く。熱海の相撲、銀恋のミス農協。ミス農協のシーンでは客席から笑いが起こっていたけど、あれは意図された笑いなんだろうか。はたから見たらしょうもなく見えるかもしれないしそこへ拘ってるのってキツく感じるけど、あれはその人のプライドの象徴だし、それを笑うのはその人を踏みつけることだと思うんだよな。少なくともわたしはミス農協のことを笑えない。都会と田舎、「女」への視線、そういうものが詰まっていてどうしても悲哀を感じてしまう。つかこうへい的にはそのへんわかってやってると思うんだけど、石田先生のことをいまいち信用していないせいでそのへんどうなのかな〜と思ってしまう。

余談だけど、田舎のディティールといえばヤスと小夏の凱旋で出てきた村長が人のメダル勝手に噛みそうな嫌さがあってすごかった。

 

10月

雪組CITY HUNTER/Fire Fever!』@東京宝塚劇場

 

11月

雪組CITY HUNTER/Fire Fever!』@東京宝塚劇場

 

『イロアセル』@新国立劇場小劇場

海に浮かぶ小さな島。その島民たちの言葉にはそれぞれ固有の色がついている。それは風にのって空を漂い、いつ、どこで発言しても、誰の言葉なのかすぐに特定されてしまう。だから島民たちはウソをつかない。ウソをつけない。
ある日丘の上に檻が設置され、島の外から囚人と看守がやって来る。島民は気づく。彼らの前で話す時だけは、自分たちの言葉から色がなくなることに――。

新国立は裏切らない。演劇の想像の妙味を愛してるがゆえに、それを限定してくるような映像演出が鬼門気味なのだけど、これはいい映像の使い方だった。SNSをテーマにした作品もたいてい紋切り型だしオチや込められたメッセージが好きではないことが多いけど、イロアセルはブラックコメディ的切り口で面白く観れた。寓話っぽい。

 

花組『元禄バロックロック/The Fascination!』@宝塚大劇場

花、咲き乱れる国際都市、エド。そこには世界中から科学の粋が集められ、百花繚乱のバロック文化が形成されていた。
赤穂藩藩士の優しく真面目な時計職人、クロノスケは、貧しいながらもエドで穏やかに暮らしていたが、ある日偶然にも時を戻せる時計を発明してしまい、人生が一変する。時計を利用し博打で大儲け、大金を手にしてすっかり人が変わってしまったのだ。我が世の春を謳歌するクロノスケであったが、女性関係だけは何故か時計が誤作動し、どうにも上手くいかない。その様子を見ながら妖しく微笑む女性が一人。彼女は自らをキラと名乗り、賭場の主であるという。クロノスケは次第に彼女の美しさに溺れ、爛れた愛を紡いでいくのだった。
一方、クロノスケの元へ、元赤穂藩家老クラノスケが訪ねてくる。コウズケノスケとの遺恨により切腹した主君、タクミノカミの仇を討つために協力してほしい、と頼みに来たのだ。だがそこにいたのは、かつての誠実な姿からは見る影も無くなってしまったクロノスケだった。時を巻き戻したいと嘆くクラノスケに、時計を握りしめ胸の奥が痛むクロノスケ。だが、次の言葉で表情が一変する。コウズケノスケには、キラと言う女の隠し子がいることを突き止めたと言うのだった・・・。
元禄時代に起きた実話をもとに、様々なフィクションを取り入れ紡がれてきた、忠臣蔵。古来より普遍的に愛されているこの物語を、愛とファンタジー溢れる令和の宝塚歌劇として、エンタメ感たっぷりにお送りします。
クロノスケとキラ、二人の時がシンクロし、エドの中心で愛が煌めく。バロックロックな世界で刻む、クロックロマネスク。
この公演は、演出家・谷貴矢の宝塚大劇場デビュー作となります。

こんなにおたく向けなビジュアル・設定なのに刺さるキャラクターがいない不思議。貴矢先生とはたぶんおたくとして違う方向を向いている。貴矢先生の作品って未来志向なんだよね。過去になにかしら瑕があっても、それは「乗り越えるべき」壁であって、最終的には明るい未来へ向かって笑顔で歩んでゆく。少年漫画の系譜。全然悪いことではないんだけど、自分のツボとはことごとく違うっていうだけの話です。個人的にはもっと過去の比重が高くて閉塞感のある物語やキャラクターが好き。もう凱旋門見とけよ。でも目に楽しいし普通に楽しく観れるからいいですね。タイムリープの原理はちょっと謎だったが……

今作で特筆すべきはショーの方だと思う。神のショー。観ながらずっと顎外れそうになってた。中村先生のショーはもとから好きなんだけどそういう次元ではなく、中村先生はとうとう神籍に入ったのかもしれないな……。オマージュの場面が多いという話だから、中村先生のキュレーターとしての才能がものすごいのかもしれない。これを作った中村先生もすごいけど、上級生から下級生まで誰が銀橋に出てきても納得できる、ちゃんとその役割を全うできている花組子もすごい。いいものを観た……。こんなおめでたいショーが三ヶ日にNHK BSで放送されるなんてぴったりすぎる!!!(宣伝)

 

 

二兎社『鴎外の怪談』@シアターウエス

舞台となるのは千駄木・団子坂上森鷗外の住居「観潮楼(かんちょうろう)」。この家は、歌会を催し、文学談義に花を咲かせるサロンである一方、帝国軍医としての鷗外に近しい軍人や官僚が出入りするなど、文学者にして官僚という、鷗外の「二つの頭脳」を象徴するような場でした。
 家庭生活においても、鷗外は「二つの頭脳」の使い分けを余儀なくされていました。二度目の妻・しげと、鷗外の母・峰(みね)は、森家の主導権をめぐり、壮絶なバトルを繰り広げていたのです。鷗外は、しげに対しては「良い夫」、峰に対しては「良い息子」としてふるまうという、危ういバランスを生きていたのでした。

 ところが、社会主義者幸徳秋水らが明治天皇の暗殺を企てたとする「大逆事件」が報じられると、文学者と官僚の二つの立場を行き来する鴎外の危うさがピーク に達します。

面白いんだけどどうしたって現代社会のことを考えてしまってつらい気持ちになる。鴎外の「結局こういう結末」って台詞は鴎外自身の人生のことだけじゃなく日本社会がずっと同じようなことを繰り返して今まで続いてるってことの風刺なわけだし。落ち込んじゃう。

鴎外は人から望まれる人間として生きていて、だから他の人から懇願されるとそちらへ引っ張られる。それは「やさしさ」とは呼べない。自分自身の生き方、責任から逃げている。鴎外自身もずっとそう感じていて、それの「ぶり返し」として発露したのが山縣有朋への直訴だけど、結局それを旧態の象徴である友人や母に阻止される。しげが男児を産んだことで義母から「一人前」って認められるの(相変わらずばちばちではあるけど)がグロテスクなのだけど、しげもそちら側に取り込まれてくのかなあ。

平出は唯一あの事件にきちんと立ち向かってたけど、「大いなる力」によって定められた結論ありきだから、彼がどれだけ尽力してもひっくり返ることは絶対にない。どうにかする力を持っていたはずの鴎外は結局その力を行使できないまま終わる。獄中から感謝を述べられるけど、真にあの手紙に励まされる資格があるのは平出だけなんだよな。

荷風は自称・他称ともに「不真面目」って言われる人だけど、その実は真面目な人なんだよな。ただ行動ができなかった。なんだかんだと事件から逃げ続けてた自分を許せないがゆえのあの転身。事件への向き合い方という視点では荷風の態度が自分に近いところがある気がするからちょっと居心地が悪い。平出と荷風犬猿コンビはめちゃくちゃかわいい。久々に味方さんを見ました。

 

 

12月

宙組『バロンの末裔/Aquavitae!!』@福岡市民会館

貴族階級の支配が崩れ去った20世紀初頭のスコットランドを舞台に、男爵家に生まれた男が、双子の兄の婚約者への叶わぬ想いを胸に抱きながらも、愛する土地と人々を守る為、貴族的な潔さでダンディに生き抜く姿を描いた物語。1996年、月組久世星佳のサヨナラ公演として上演され、心揺さぶる主題歌と共に鮮烈な印象を残した作品の初の再演となります。

アクアヴィーテというショーがとても好きで、再演があるなら絶対に行かなきゃでしょ〜と思って観てきた。アクアヴィーテが最高なのは語るまでもないんで割愛するとして、バロンの末裔の話。正塚先生の作品は結構好きなのです。台詞と間を大切にしてくれる先生。文明も価値観も新しくなる過渡期、旧態のものとして否定的・悲観的に描かれる印象が強い貴族という存在を「家名へのプライドではなく、そこにいる人々のために土地を守ること」という切り口であたたかく描くのが新鮮に響いた。ホテルに改装されるボールトン家、キャサリンエドワードの関係性、形を変えても変わらないものの話だった。キャサリンエドワードの選択と物語の結び方が大好き。

キャサリンがローレンスに返す言葉が、嘘ではあるけれども心からの言葉としても響く、というのがすごい。やっぱり潤花ちゃんのお芝居が好きです。銃のシーンのキャサリンエドワードの掛け合いの集中力もすごい。潤花ちゃんだけでなく、誠実なもえこちゃん、人のいい桜木さん、二役を演じ分ける真風さん、全員よかったな……もしかしなくてもかなり宙組が好きだな!?

 

THE CONVOY SHOW『コンボ・イ・ランド』@こくみん共済coopホール

本田さんのおたくに連れて行ってもらいました。完全に周年記念公演って感じでお芝居として観たときに初見には優しくないけど、とにかくダンスのうまい若手が揃い踏みだからショータイムが楽しい。加藤さんのことが地味に好きたからだいたい加藤さんのことを見てたんだけど、ターンが綺麗で速くてものすごく目を引く子がいて、終わったあとにあの子誰?!って聞いたら山野光くんというらしい。183cmでガタイもいいんだよね。そろそろものごとの基準が宝塚になってきてて男役群舞みたいな場面が何回かあったなってなった。宝塚ではない。やっぱりダンスがうまいっていいことだなあ。

 

星組柳生忍法帖/モアー・ダンディズム!』@東京宝塚劇場

山田風太郎の小説「柳生忍法帖」。史実にフィクションを織り交ぜ壮大なスケールで描く傑作時代小説の初の舞台化に、宝塚歌劇が挑みます。
寛永年間。暴政を敷く会津藩主・加藤明成を見限り出奔した家老・堀主水の一族に、復讐の手が迫る。明成は堀主水の断罪だけでは飽き足らず、幕府公認の縁切寺東慶寺に匿われた堀一族の女たちをも武力をもって攫おうとする。しかしそれは、男の都合に振り回された生涯を送り、女の最後の避難場所として東慶寺を庇護してきた天樹院(豊臣秀頼の妻であった千姫)には許しがたい事であった。女の手で誅を下さねばならぬ。そう心定めた天樹院は、敵討ちを誓う女たちの指南役として、密かに一人の武芸者を招聘する。将軍家剣術指南役の嫡男ながら城勤めを嫌い、剣術修行に明け暮れる隻眼の天才剣士、柳生十兵衛。女たちを託された十兵衛は、死闘を繰り広げながら会津へと向かう。待ち受けるのは、藩を牛耳る謎の男・芦名銅伯と、銅伯の娘で明成の側室ゆら。果たして十兵衛たちは、凶悪な敵を打ち倒すことが出来るのか…。

作品の出来としては物足りない部分もあるんだけど、ストーリーが興味深かった。フェミニズム活劇みたいな話だった。

劇中何度も注釈が入るように、この物語自体は紛れもなく堀一族の女たちの話で、十兵衛は堀一族の女たちの物語を乗っ取らない。だけど同時に柳生忍法帖の主人公はちゃんと十兵衛で成り立ってるから、そこが不思議。十兵衛がちゃんとかっこいいのがキモなのかな。

十兵衛って、復讐のために立ち上がった女たちを性的な目で見ることもないし、なんならゆらとのラブ要素も薄い。そもそも作中で女の人を愛する描写自体がない(いやゆらに口づけはしてたけど)。十兵衛のかっこよさがあらわれるのは、たとえば最後にゆらをひとり弔う場面。ゆらは罪人だけど被害者でもあり、彼女を弔う者が十兵衛以外にいないからこそちゃんと弔ってやる。彼女の痛みをちゃんと理解している、そういうやさしさこそ十兵衛のかっこよさ。女を食いものにする男たちの中で育ってきたゆらが十兵衛に惚れるのはすごくよくわかる。すごく現代的なヒーロー像に思えるんだけど、原作は60年代に書かれてるんだよな。

十兵衛と虹七郎が刃を交える場面で、やろうと思えばかっこよく一騎討ちを描くこともできるのに最後は堀一族の女たち自身に討ち取らせるのとか、この復讐の主役は女たちだということ、仇である七本槍かっこよくは果てさせないぞという意図を感じる。時間の都合もあるかもだけど、みんなあっさり死んで散り際かっこよくないもん。そのへんのバランスもよかった。

ショーの方はもう、岡田敬二先生と同じ時代を生きて劇場でロマンチックレビューを観られている事実に感謝感激雨霰ですよ。星組では朝水さんと天路くんが好きなんだけど、ショーでちゃんと天路くんを見つけられて嬉しかった。かわいいし髪型のセンスがめちゃくちゃいい。

 

 

風姿花伝プロデュース『ダウト』@風姿花伝シアター

2004年ブロードウェイにて、 ストレートプレイとしては異例の一年以上のロングラン上演を記録し、 ピューリッツァー賞トニー賞最優秀賞など数多くの演劇賞を受賞した作品。 1964年のニューヨーク・ブロンクスのミッションスクールを舞台に、 「疑い」をめぐって繰り広げられる緊迫した濃密な会話劇。

新国立は裏切らない、いや、小川絵梨子は裏切らない。劇場のアクセスが悪い以外は本当によかった。観に行こうと思えばこれを1,000円で観に行ける東京の高校生が羨ましくなってしまう。

副題の「疑いについての寓話」は、たびたび出てくる神父の説教のことでもあり、この芝居全体のことでもある。現代、特に日本の社会を考えたとき、校長の疑いが「勝つ」(厳密には作中でも「勝って」はいないのだけど)ところが絶対に現実ではなくて暗澹とする。やっぱり会話劇が好きだな。「タージマハルの衛兵」で知った亀田さんはもちろんのこと、校長役の那須さんがとてもよかった。

 

男性ブランココントライブ「てんどん記」@草月ホール

男性ブランコのコントライブ『てんどん記』(12/25 12:30)

急にお笑いにハマってる人に誘われて、自分からお笑いの現場のチケットをとるってなかなかしなさそうだからいい機会だと思って行ってきた。関西出身のくせにお笑いにとんと疎くて、キングオブコントも今年初めて見たレベルなんだけど、その中で男性ブランコはちょっと印象に残ったコンビだった。コントって形式自体が演劇的だけど、その中でも手法が特に演劇に近かった。

「てんどん記」はさらにその感じが強くて、独立した短いコントの連続でありつつ、「祝祭/鎮魂の祭り」、そして共通する「てんどん様」という謎が少しずつ露わになっていく構成なんだな、というのが冒頭の《旅》《ひよこ》で示されていたので、コントを見るというか普通にオムニバス演劇を観る感覚で臨んでしまった。○と◎は晴天と曇天、同じ「てんどん様」を祀ってるけど別な場所の話で……みたいな。めっちゃ考えちゃった。最初は同じ場所だけど別な時代(過去と未来)の話かと思ってた。落とし方はやっぱりコントだなって思ったけど。お笑いの単独ライブって短歌でいうところの連作みたいなものなんですね。

ラストのミカさんと易者(ではない)のエピソードは漫画でいう単行本のおまけ巻末漫画みたいな話だなと思いました。

 

 

というわけでまさかのお笑いで今年を締めた。1月2月でU25割引のある現場があれば教えてください。1月はちょっと既に立て込んでるけど、お得に観られるうちにいろいろ観ておきたい。ブログに感想を残してなさすぎてまとめるのが大変だったので来年はちゃんと残したいって毎年言ってるんだよな。