夢と現実いったりきたり

ミュージカル『ジキル&ハイド』

@東京国際フォーラムホールC

 

STORY

19世紀のロンドン。医師であり科学者であるヘンリー・ジキル(石丸幹二柿澤勇人)は、「人間の善と悪の両極端の性格を分離できれば、人間のあらゆる悪を制御し、最終的には消し去ることが出来る」という仮説を立て、研究は作り上げた薬を生きた人間で試してみる段階にまで到達した。ジキルはこの研究に対して病院の理事会で人体実験の承諾を得ようとするが、彼らはこれを神への冒涜だと拒絶する。ジキルの婚約者エマ(Dream Ami/桜井玲香)の父親であるダンヴァース卿(栗原英雄)のとりなしもむなしく、秘書官のストライド(畠中 洋)の思惑もあり、理事会はジキルの要請を却下した。ジキルは親友の弁護士アターソン(石井一孝/上川一哉)に怒りをぶつける。理事会の連中はみんな偽善者だと。

ジキルとアターソンは上流階級の社交場から抜け出し、たどり着いたのは場末の売春宿「どん底」。男どもの歓声の中から、娼婦ルーシー(笹本玲奈/真彩希帆)が現れる。「(私を)自分で試してみれば?」というルーシーの言葉に天啓を受けたジキルは、アターソンの再三にわたる忠告にもかかわらず、薬の調合を始める。赤くきらめく調合液。ジキルはひとり乾杯し、飲み干した。全身を貫く激しい痛み―息も絶え絶え、苦痛に悶えるジキル。腰が曲がり、声はかすれ、まるで獣 — この反応は一体何なのか!そしてとうとう現れたハイド。そして、街では、次々とむごたらしい殺人が発生。謎に満ちた、恐怖の連続殺人事件にロンドン中が凍りつく。犯人は、ハイドなのか。エマや執事プール(佐藤 誓)の心配をよそに研究に没頭していくジキル。果たしてジキルの運命はいかに……。

ひとつの体に宿った二つの魂“ジキル”と“ハイド”の死闘は、破滅へ向けて驚くべき速さで転げ落ちて行く……

 

REVIEW

 アターソン以外はWキャスト両方観た。石井さん回も取ったつもりだったけど、結局全部上川さん回だった……。チケ取りはちゃんとしましょう。

 

 初見では主にルーシーの扱いが気になり、正直「あんまり好きになれない作品かも」と思った。ジキル/ハイド役に次いでクレジットされる大きな役で見せ場も多いのだけど、そのわりにルーシーの存在が物語においてうまく作用していない、活かしきれていないように感じた。最初から最後までジキルと通じ合い支え合い、ジキル/ハイド両名の魂を自由に導くのはエマの方なのだから、ルーシーよりもエマの描写に時間を割くべきではないのか、と疑問に思った。それに加えて、エマとルーシーが(ジキル/ハイドのために存在する)聖母と娼婦のロールであることも気になったが、初演から30年以上経っている以上仕方がないのだろうか、という多少の諦めのようなものもあった。一方、ジキル/ハイドというキャラクターはかなり魅力的で、ワイルドホーンの楽曲も歌い上げ系が多いので、好きな役者が主演するという点ではやはり捨て置けない作品である、というのが第一印象だった。

 しかし、観劇を重ねる中で、自分の視点を変えてみることによって作品自体をかなり楽しめるようになった。あくまで「自分が楽しめるようにするため」にこねくりまわした解釈ではあるけど。初見時に足りなかったもの、それは「ハイド」の視点であったと思う。初見時はヘンリー・ジキルという人間の視点から物語を読んでしまっており、エドワード・ハイドという人物をいち人格として認められていなかった。

 この物語をひとことでまとめてしまえば、ジキルとハイドというふたつの相反する魂がその収まるべき器を奪い合い、傷つけ合い、肉体から解放される話である(それこそ、「自由よ ふたりは いつまでも」とエマが歌うように)。ハイドはジキルとイコールではない。「悪の種子は誰しもが持っており、それが発芽するか否かはその人自身による」という話を思い出したのだが、ジキルの中の発芽しなかった部分が薬によって目覚め、「分離」という、ストッパーが存在しない特殊な状況がゆえに暴走したのだろう。よって、ハイドはジキルの中にたしかに「あった」のだが、その事実はジキルという人間の善性を脅かすものではない。ジキルに間違いがあったとすれば、善と悪の分離という「倫理」を踏み外したこと、自分には悪を抑制できるという傲りがあったことである。

 ジキルは、♪知りたい「神よ 勝利の日を導かん/ヘンリー・ジキル あなたのしもべだ」と神に誓うが、(少なくとも柿澤ジキルは)本気で神に従順であろうとはしていない。誓いを立てる前に右側の唇のはしを少し吊り上げて不敵に笑み、まるで交換条件を持ち掛けるように歌い上げているのだから、そこにあるのはむしろ神への不遜なのである。あくまで彼を突き動かすのは父親の存在である。精神病棟にいる父親を闇から連れ戻すために生み出すのが「善と悪を分離する薬」なのはやや飛躍があるように思うけれども……。

 ジキルの視点ではハイドは悪の象徴であり、克服すべき敵である。しかし、ハイドの視点に立ったとき、ジキルは肉体を不当に占拠し、ハイドが享受すべき体験を奪い、あまつさえ自分を抹消しようとする存在であるといえる。ハイドが目覚めたとき、すでに肉体はジキルのものであり、ハイドには名前すら与えられていなかった。ハイドの中には、ジキルと自分を比べたときになぜジキルが選ばれるのか、という問いがいつもあるように見える。倫理観をこえた怪物のようにふるまうハイドが、ジキルのことになると狼狽を見せる*1ように、ジキルに対するコンプレックスが常に存在しているのは間違いない。♪生きている で自分の名前を高らかに宣言するハイドは、自らの生を喜ぶ気持ちの裏で、ジキルへの復讐心に満ち満ちているのだ。

 ハイドが引き起こす事件についてはまったく擁護できるものではないが、それらが自分が肉体の主人であるという示威行為とジキルへの復讐を兼ねていると考えれば納得はできる。自身の存在の確信のために、そしてジキルの信念を蹂躙するために人を殺す。全能感に興奮も覚える。暴力的な行為で撹乱されそうになるけれども、ハイドからは「自分の存在を知ってほしい」という渇望が垣間見える。ルーシーから名前を呼ばれたとき*2に「ハイドの左手*3」が動き出したり、アターソンから名前を呼ばれたときに嬉しそうに笑い出したり。自分他者に認識されて初めて自分が誰であるかを確認できる、というのは、♪その目に でジキルの目を通して自分の人生を強く意識するルーシーと似ている。

 ルーシーへの執着については、(特に柿澤ジキルの)酒場でのふるまい──ルーシーは「あたしのことをじっと見てた」と言うものの、実際はあまり見ていない──やエマとの強い繋がり*4を鑑みたとき、ジキルの無意識にルーシーへの興味があったと考えるよりも、ハイドがルーシーと自身の境遇を重ね、共鳴している*5と考える方が納得がいく。同じように「どん底」にいて、やさしさやあたたかさといったものを知らなかったルーシーが、他でもないジキルによって光の方へ向かっていくこと。ハイドの口ずさむ♪Sympathy, tendernessの旋律はまるで「置いていかないで」と縋っているように聞こえた。その声音を耳にしたルーシーは一瞬はっとした顔をして、ハイドへの恐れでいっぱいだった面持ちに切なさや苦しさが広がっていく。真空パックで保存しておきたいくらい印象に残るシーンだった。

 ところで、ここでルーシーの人生が乱暴に閉ざされてしまうことにはやっぱり納得がいかない。散々虐げられてきた彼女の人生がようやく始まるかもしれないというところでこんなふうになってしまうなんて。しかもハイドの嫉妬心や復讐心のために殺されるなんて。あくまでこの物語がジキル/ハイドのための物語であって、ルーシーはその人生に彩りを添えるためにしか存在しないように見える。それが古いホンの限界なのかもしれないけれど。もし殺されなかったら、ルーシーはハイドにどんなふうに声をかけただろうか。その後、どんなふうに新しい人生を歩んでいただろうか。そんな「もし」を考えざるをえない。

 

 ルーシーとエマは対比する位置に配されることが多いのだが*6、真逆の立場ではあれど彼女ら自身の性質は必ずしも対比的ではないので、そのような演出に少し不均衡を感じた。彼女らは作中言葉を交わすことはないが、一度だけ交錯するシーンがある。それが「慈善晩餐会の入り口で物乞いに喜捨をするエマを目撃し、その場を走り去るルーシー」という構図である。もちろんルーシーはエマがジキルの婚約相手であることは知らないだろうし、エマはルーシーの存在すら認識していないだろうと思われるが、施す側と施される側という立場が浮き彫りになる邂逅だった。

 なお、作中で物乞いに喜捨をするのはこの場面のエマと、理事会でのプレゼンが失敗に終わってアターソンに理想を語っているときのジキルのみである*7。ジキルがルーシーへ渡すお金についてはあくまで対価であり、物乞いへの施しとはまた別の行為であると捉えてはいるが、ルーシー自身♪あんなひとが で痛いほど自覚しているように、ルーシーとジキル・エマがレイヤーの違う世界で生きていたことがわかる。だからこそ、そこから脱却した姿が描かれていてほしかった。

 エマはとにかく強くジキルを信じ、愛している。最後はジキル/ハイドをゆるす聖母としての存在なので、それが(女性に課せられるよくあるロールという意味で)厳しいところでもあるが、エマとジキルの強い結びつきのことを愛してもいる。ジキルが研究に関する不安を吐露したときに背中を押し、ジキルがハイドと戦っているときには笑顔で彼を信じて「待つ」。エマの精神的な強さは好ましいのだが、やはり「待つ」のが彼女の役割というところが古いホンの限界なのだろうか*8。ラストシーンで神々しいまでの光を浴びてジキル/ハイドをゆるす姿は、あからさまに聖性の演出で、いわゆる「レンブラント光線」の役割をエマが担い、ふたりの魂を救済している。そんなふうに女性に聖性を見るのも手垢のついた表現であり、女性を描けていないとは思うものの、エマとジキルに対して強烈なカップリング的な萌えを感じてしまっているのも事実であり……。エマの描写を増やしてヒロインとして扱って宝塚でやったらヤバいほど萌えるよね!? みたいな話をしてしまった*9

 柿澤さんのお芝居には人間くささが滲み出るのがとても好きだな、と思っていたけれど(ハイドのことをこんなに愛せたのは柿澤さんの人間くささのおかげな気がするし)、婚約パーティーでのエマとの絡み芝居を見ていて、こういうところに「萌え」を出すことのできる役者なんだなと思った。(「萌え」を本人が意識して出しているかは別にして)「恋」の表情、何かに魅せられている瞳のきらめき、という表現が相当うまいと思う。だからこそ突っ走って破滅するキャラクターが当てられやすいのかもしれない。

 

 とにもかくにも、ジキル/ハイドという役を好きな役者が演じているところが観られたのはとても幸せなことだと思う。そもそもナンバー数も多いし歌い上げの曲も多いし、とても大変な演目だとは思うけれど、指揮の塩田先生がテンションを上げてくれているようでよかった。柿澤さんによると塩田先生は武豊ばりの名ジョッキーなんだそうな。今回オケピ内がよく見えるつくりだったので塩田先生のこともチラ見していたら、ルーシーの酒場のところで踊っていたり、歌い上げのあとにリアクションしていたりで、そのエンターテイナーっぷりも楽しかった。

 

 ところで、ラストシーンでエマの首を左手で絞め上げ(右手も首に添えながら)、エマの瞳から逃げるように顔を逸らしていたいまにも泣きだしそうな表情はいったい誰のものだったのだろう。そして、アターソンに「""を自由にしてくれ」と懇願したのは誰だったのだろう。左手も一人称「俺」もハイドの象徴であるけれども、あれがどちらか一方だったという確信を持てないでいる。確かなのは、ふたりがともに自由になりたかったということだけだ。

*1:部屋でルーシーに迫る場面「あいつにあって俺に無いものはなんだ?」「あのひとは、あたしにやさしかった」「あいつは、弱くて…」や、アターソンに変身の秘密を暴露する場面「俺がジキルをどうしたかって? あいつが俺を……!」

*2:ルーシーがジキルに背中の傷を治療してもらう場面「あいつの名前は忘れやしない」

*3:ハイドは左手、ジキルは右手が利き手であり、主人格の意図に反して動き出す場合は基本的に利き手側が動き出す。ハイドの左手は「蠢く」という形容が似合う奇妙な動きである。

*4:♪Your Work and Nothing More でジキルが歌う「ただ仕事をするだけじゃない なんのために僕は生きてる/エマ 道を見つけて」や、♪「ありのままの」の前 での不安の吐露、♪ありのままの での全幅の信頼を置くようす

*5:ルーシーがジキルを想って歌う♪Sympathy, tenderness、ハイドがルーシーを手にかける前に歌う同曲のリプライズ

*6:♪嘘の仮面 や、エマがダンヴァース卿という父親からの自立を選び(♪別れ)、ルーシーがスパイダー≒「どん底」からの脱却を夢見る、その中心にジキルという存在がいる、という演出の♪その目に など

*7:「貧困も!」

*8:2回目

*9:個人的にはれいはながいいです

2023年1月のまとめ

 すでに感想を書くことをサボっています。

 

 

海宝直人コンサート『ATTENTION PLEASE!』

@シアタークリエ

【ゲスト】咲妃みゆ、Vasko Vassilev

 海宝くんはなんだかんだで生で観たことがなくて、今年ようやく『太平洋序曲』で観る予定なのですが、どうしてもこのコンサートに行っておきたくて。2023年は観に行きたいミュージカルに行くぞと決めたときにはチケ発が軒並み終わっていたのだけどなんとかゆうみさま回を確保できました。セットやコンセプトにディズニーっぽさがあったり、個人的には宝塚のショーを感じたりで楽しいひとときでした。歌がうまいっていいねー! 2幕ではゲストとがっつりトークする時間もとられてて、ゆうみさまが面白すぎてめちゃくちゃ笑った。

 

トークテーマが超おかしいライブ〜ダイヤモンド編〜

@よしもと有楽町シアター

 急にどうした? って感じなんだけど、年明けから急にお笑いを見ている。関西生まれなのに全然お笑いに馴染めなくてM-1も見たことがないレベルだったんだけど、わたしがダメだったのはバラエティ(と、大阪の笑い)であってお笑いそのものではなかったんだなというのを日々学んでいます。

 そんなこんなで、いまのところ一番贔屓にしているコンビ・ダイヤモンドのトークライブに行ってきたのでした。有楽町の駅から東京宝塚劇場日生劇場やシアタークリエに向かうときにいつも通り過ぎていたあのよしもと有楽町シアターが目的地になる日が来るとは。よしもと有楽町シアターは劇場っぽいつくりだったから馴染みやすかった。

 

新春浅草歌舞伎

@浅草公会堂

 昨年末から細々と歌舞伎を観に行っているわけですが、今回初めて歌舞伎座以外での観劇でした。若手トライアルみたいな位置付けなのかな〜と思って調べたら1980年からやってるんですね。歌舞伎の歴史からすると全然ひよっこなんだろうけど。歌舞伎座では一番安い席しか座っていないこともあって舞台からの距離を感じているのだけど、浅草公会堂では一番安い席でも二階席なので、いつもより物理的に近くて新鮮でした。

 第一部は『双蝶々曲輪日記』『男女道成寺』、第二部は『傾城反魂香』『連獅子』。わたしはまだ歌舞伎の見方をわかっていないので、芝居よりも踊り多めでフィーリングでも大丈夫な演目の方が楽しく観られるんだけど、そんな中で『傾城反魂香』は芝居寄りにもかかわらずじっくりと楽しめた。吃音症の主人公と妻の胸に迫るようなじりじりとした苦しみと、それを乗り越えてからのラブラブ加減の高低差よ。『男女道成寺』はとにかく巳之助の狂言師がキュートでとても楽しい。『連獅子』は言わずもがな。お人形のようなかわいさの莟玉と、出てくると思わずスタァだわ……と思ってしまう華がある松也。

 ロビーで出店してる店員さんたちの呼び込みが力強くて面白かった。今年もときどき歌舞伎を観に行きたいな〜。

 

ザ・ビューティフルゲーム

@日生劇場

 完全にALWへの義理というか願掛けで観に行ったんだけど響かなかったな〜。う〜ん。明らかに歌えてない人もいるし、下手ではなくてもミュージカルとしては……? な人もいるしで、気持ちが乗り切れないのが大きかったのかも。とんちゃんトーマスは最高だったから2幕のトーマスパートは楽しかった。最悪で可哀想な男……。

 主人公のジョンのキャラクター造形がそもそもあまり好きではないのもおおいにあるけど、芝居での描き込みとか立ち上げが物足りなくて、メアリーとトーマスはなんであんな男のことが好きなんだ……と終始思ってしまったし、最後スッキリした顔で戻って来られても……って感じがなんだかな。メアリーの人生ってなんなの?って。

 演出とか訳詞含めて一旦別の座組で観てみたいかも。

▲前回(2014年版)が藤田俊太郎演出でとてもとても気になるのですが。

 

ダイヤモンド×いぬ ツーマンライブ『ダぬ2023』

@ヨシモト∞ホール

 ダイヤモンドが所属している∞ホールに初めて行ったのですが、そもそも渋谷という街を好きではないし駅からちょっと歩くしで立地が微妙なうえに、独特な雰囲気の劇場だったので今後チケットを取るときに腰が重くなりそう。お笑い界隈に足を踏み入れてみて、チケット代の安さ・ステージ数の多さに加えて、ほとんどのライブに配信があることに驚いたんですが(よしもとが自前の劇場と配信のプラットフォームを持ってて楽っていうのがあるのかも)、そうなると、劇場がいまいち合わない場合「夜も遅いし配信でいいかな……」ってなっちゃうのが人情ってものです。

 前置きが長くなったけど、いぬとの同期同士のツーマンライブでした。出演者数が少ない方がネタもじっくり見られるしな〜と思って見に行ったけど、いぬが最高でしたね……。2本目のドクターフィッシュのやつは何があったらそれを思いつくんだと思ったけど面白かったです。3本目のスイスがかなり好き。純愛だ。

 いぬといえばKISS&MUSCLEということでコーナーがほぼ半裸で進行されていて、わたしは不健康な肉体を見ると不安な気持ちになるんだなというのをまざまざと思い知った。太田さんの半裸しか安心して見られない……。

 

悪い芝居vol.30 めもりある『逃避紀行クラブ』

@本多劇場

 悪い芝居ってなんだかんだでお初でした。自分の中での勝手な劇団に対するイメージと、ポスターや煽り文などの事前情報から想像していた雰囲気とはかなり違うお芝居が展開されてた印象。いま、そしてこれからの時代に演劇をやっていくことについても描かれていて、その面ではグッと来るというか来ざるをえないというかだったのだけど、基本的なところで自分の肌にはちょっと合ってないのかなと思った。というか、どちらかというと劇団のファン向け演目なのかもなあという趣があったので、別なテーマの演目でもう一度悪い芝居という劇団を観ておきたいかも。

 いけぴこと池岡くんは本当にかわいいし、納谷くんとのアドリブにナベの先輩後輩関係が見えかくれしていたのがかわいかったな。主役の役者さんがとてもよかったんだけど悪い芝居の方なのだろうか。

 

 あとは柿澤さんのFCイベントに行ったり配信でお笑いライブをいろいろ見たりもした。柿澤ジョーの♪サンセット大通りを生で聴けたので悔いはない……。名曲すぎる。

 

劇団柿喰う客『禁猟区』

@本多劇場

STORY

理不尽極まる無差別殺傷事件が発生した人気商店街「ちぎり通り」!
異常な地元愛を抱く繁盛店の勇者たちは禍々しい厄災に立ち向かう!
劇団「柿喰う客」が年の瀬に放つ新作公演は総勢21名による狂騒劇!
熱き血潮がほとばしるパニック・アクション・エンターテイメント!!

 

感想

 このあとの現場はコンサートだったので、お芝居でいうとこれが2022年ラストでした。柿で始まって*1柿で終わる最高の年! 同じ回を観る人とクリスマスパーティーをしてから本多劇場に向かったら、交通機関の遅れで超・エクストリーム観劇になったことを含めて柿喰う客観劇っぽさがあった気がする。

 肝心の内容については、なんと最前列を引き当ててしまったせいで若干冷静に観れなかったので、詳しいことは改めて全景配信で見直したいのだけど、2022年の締めに足る演目だった。

 わたしは、福井夏さんという俳優の、板の上での圧倒的な存在感、最強とか無敵とかそういう形容が似合う強さが好きなので、破刃禍乱ちゃんが物理的に最強でうれしかった。今回の中心キャラクター・永田紗茅さんとツートップのような扱いで、それが超よかった。

 

 ところで、劇団員が増えてからの柿の本公演って、正直消化し切れていないところがあって。というのも、柿の脚本って劇団員へのあてがきな部分があるので、その人がどういう俳優なのかを理解したうえで観る、もしくは劇中でそれをがっつり感じられないと「普通に面白い」止まりになっちゃうと思ってるんですよね。もう一段階上の「柿を観たぞ!」っていう満足にまでは辿り着いていないような、不完全燃焼感が拭えなかった。自分が柿に求めてるものってそこだから。

 とはいえ『空鉄砲』にはそれがしっかりあったから、自分が新入りメンバーにハマってないのか、もしくは大人数で俳優の個性が出づらい(+自分が2021年入団メンツのことを全然わかっていない)のが要因なのかと思って*2、今回もちょっとハードルを下げてたんだけど、今回はしっかり「柿を観たぞ!」に至れてうれしかった。なにが違ったんだろう……。

 新入りメンバーにもすごく興味が湧いて、観れていなかった『初体験』の配信も見た。こっちもめちゃくちゃ面白かったし(中屋敷さんに「アイドル」って入力すると『初体験』が出力されてくるの!?っていうのも含めて)少人数だからこそ新入りメンバーの俳優としての個性、中屋敷さんが彼らをどう見てるかがじっくり楽しめてより一層愛着が湧いた。みんな芝居上手いな〜。今後も少人数での公演いろいろやってほしい。

 ちなみに、『初体験』は2023年1月22日まで絶賛配信中だから見てない人は見よう!!!→https://t.co/1ZZplpsTCk

 

 ついでに、見れていなかった『八百長デスマッチ』も見た。「女を挟んで友情を深めやがって……」感はあるけど、わたるさん敬三さんが最高なのは言わずもがな、これを穂先くん加藤さんで再現したのがものすごくアツい。

 

 柿の劇団員に関しては(中屋敷さんが「マレビト」と評していたのがしっくりくるので、それ以上の形容をするのが難しいのだけど)もはやひとりひとりが都市伝説的な「現象」のように感じる。でも単に浮世離れしてるってわけじゃなくて、柿の作品のキャラクターって現実には絶対いない超・フィクションの存在だけど、キャラクターたちが舞台上に、そして我々の中に残していく感情は現実以上に生々しくてプリミティブなものだというのが不思議だなあと思う。今回、柿に好きな俳優が増えたのがしみじみうれしい。

 

 ところでおみくじを引いたら敬三さんの大吉で超うれしかったです。字が綺麗〜

 

 

 

*1:『空鉄砲』

*2:宝塚なのか?

ミュージカル「東京ラブストーリー」

@東京建物Brilliaホール

空キャスト

永尾完治:柿澤勇人
赤名リカ:笹本玲奈
三上健一:廣瀬友祐
関口さとみ:夢咲ねね

 

▲どうでもいいけど公式HPのURLが「LOVE2022」で、そんな♪LOVE2000 みたいに言わないで!って思った

 

 

STORY

2018年春。愛媛・今治に本社のある『しまなみタオル』の東京支社に異動になった永尾完治は、アフリカ育ちの天真爛漫な女性・赤名リカと共に新プロジェクトを任される。 ある日、既に上京していた地元の高校の同級生・三上健一に会いに行くと、完治が高校時代から想いを寄せる、関口さとみもやって来た。 昔話で盛り上がりつつも、予想外の再会に動揺する完治。そこに突然、リカが現れた。……この夜、恋が動き出す。

 

 

感想

 発表された時点でたぶん合わないやつだなって確信めいた予感はあったんだけど、そもそも『東京ラブストーリー』のことすら(ドラマでも漫画でも)全然知らないのに、観ずにあれこれ言うのも……と思って。同じホリプロ×ジェイソン・ハウランドのミュージカル『生きる』も見てみたらいい作品だったし、食わず嫌いしちゃだめだよね!って思って。タイトルがタイトルだからなのか、宣伝の力の入れ方が若干空回ってるのとか、稽古場映像から察せられる作品の雰囲気とかを見るたびに「たぶん合わない」が「ほぼ確実に合わない」に変わっていったんだけど、観てみたらよかったみたいなことが…………ありませんでした。

 脚本も演出も全然よくなくて、「たくさん歌が聴ける」と「廣瀬友祐がずっと面白い」以外になにも言えない。廣瀬は本当にずっと面白い。もともと海宝くんでとってた『太平洋序曲』の廣瀬回も追加で取ったくらいには廣瀬友祐に夢中になってしまったことには感謝してる。

 上演数分前から赤いドレスの女性ダンサーが舞台上で踊り出した時点でなかば覚悟を決めてたけど、この作品、とにかくアンサンブルがめちゃくちゃパキパキ踊る。「東京」という場所の独特の活気、誰もが主人公!みたいなことを表したいのかなとは思ったけど、とにかくこのダンスのせいで舞台が散らかって見えて、視線誘導もうまくいってないからこっちが努力して本筋の芝居を追おうとするんだけど、そうするとちらちら視界に入ってきて集中を邪魔してくる。正直ストレス。脚本も、おそらく原作は「地方から出てきた主人公たちが東京と地方に抱く複雑な感情と彼らの恋愛模様の二重写」がテーマになってるんだと思うんだけど、肝心の憧憬やコンプレックスの描写が不足しているので登場人物の行動や葛藤に説得力が出なくて、とにかく作品として薄い。わたし自身が地方出身で「東京」に対する妙な幻想とコンプレックスを潰すために上京してきたクチだからそこの複雑な気持ち自体はわかるけど、彼ら自身の「なぜ地元を出て東京にいるのか」の背景を作品内でしっかり描いてほしい。冒頭にちらっと台詞で出てくるけど本当にそれだけで、その後の展開に活かされたりもしないというのはどうなんだろう。

 時代設定を現代に変更したのもいまいちよくない方向に作用してたと思う。もしかして単に数字を置き換えただけで他は手を加えてないのかな? 原作通りの時代設定なら「まあ昔はこうだったのかもね……」と思えた(かもしれない)けど、現代の物語として観るとどうも違和感があった。なによりも、赤名リカが背負(わされる)う「東京」が、いまわたしが見て・感じている東京という街の姿と合致しないために、おそらく当時はリアリティをもって受け止められたのであろうこの物語が実体のない空虚なもののように映ってしまうのが痛いポイントだった。

 そもそも東京で生きることに息苦しさを感じている赤名リカに「東京」を背負わせるなよ、とも思ったし。しかも赤名リカ消滅エンドって、これもしかして「意味がわかると怖い話」とかそういう類の話なの?

 

 この作品で世界進出うんぬんとドヤ顔をしていたのかと思うと腹が立ってくる……。なんなんまじで……。しかもこのタイミングでの上演ということで、演劇を普段あまり観ない人が『鎌倉殿の13人』で柿澤さんを知って、他でもないブリリアで『東京ラブストーリー』を観ることになったかもしれない……と思うと本当に胸が痛む。ホリプロの罪は重い。ミュージカル『東京ラブストーリー』のことは嫌いでも、ミュージカルのことは嫌いにならないでください。

 

 

2022現場まとめ

 

Intro

 気がつけばもう師走も目前(このエントリを書き始めたときはそうだったのです)。年々、1年が過ぎ去るのが早くなっているような気がする。そして毎年まとめエントリを書くときに来年こそはちゃんとブログを……と誓いを立てているのに実行できていない。気のせいではなく。Twitterが終了するかも、みたいな噂があったりなかったりするけれど、万が一そうなったらいつか若手俳優カテゴリで書いていた人たちもはてなブログに戻ってきたりするのでしょうか。ブログは面白い文化なのでそれはそれで楽しいと思います。

 

 

 

Review

1月

劇団柿喰う客「空鉄砲」@ザ・スズナリ

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 柿で観劇初め。非常におめでたいことです。3人芝居なのだけど、ものすごく「柿を観た!!!」という満足感と濃密度の芝居だった。同じ柿の『美少年』観たときと近い感覚かなあ。全員好きな役者。柿喰う客の主宰であり脚本演出を務める中屋敷さんは平素からBLが好きだとアピールしているのだけど、本当に好きなんだろうな……としみじみ感じた。BLの要素が詰め込まれていたというより、すべての文脈がBLというか。「安藤政信」と「綾野剛」が出てくるのは「わかってる」じゃん。BLギャグじゃん。ずるくない? アフトーのときに「大人の柿喰う客をやりたい、しっとりしたものを作りたい」って言ってできたのが『空鉄砲』だと言っていて、わかるけどわからないんだよなってなって最高でした。パンフを読んだら「この人と全然思想合わない!!!」ってなるのに芝居は超面白いのなんなんだろう。恋はミステリー。

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▲Kissミスを歌う穂先くんを長時間見てたら始まってしまいそうになったので(恋が)そっと目をそらしました

 

モダンスイマーズ「だからビリーは東京で」@シアターイース

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 シンプルに号泣した。上京した地方出身者だから余計に刺さったんだと思うんだけど、ひとりの演劇を観る人間としても泣いた。『ビリー・エリオット』自体は観たことがないくせにホリプロコンで♪エレクトリシティを聴いて号泣したことがあるんだけど、やっぱり「何か」に出会ったときの身体に電気が走るような感覚ってあるじゃないですか。田舎の閉塞感に息が詰まりそうになってるときにそこから連れ出してくれるようなものに出会ったらなおさら。田舎特有のあの、娯楽が酒と女とギャンブルしかない感じのリアルさがうまくてキツかった……。コロナ禍を念頭に作られた作品でうまくハマるものがこれまで無かったんだけど、これに関してはいまのこの時代に観られてよかったとしみじみ思えた。

 

宝塚歌劇団雪組「Sweet Little Rock'n' Roll」@宝塚バウホール

tsukko10.hatenadiary.jp

 

2月

「The View Upstairs 君が見た、あの日」@日本青年館ホール

theviewupstairs.jp

 序盤からずっとデールのことが気になっていて、デール中心で観てしまったからやり切れなかった。社会から弾かれているコミュニティ、の中でさらに爪弾きにされている存在を認識しているのに、楽しそうにしている他の人たちのことを楽しく観れるかって言われたら難しい。楽しそうに盛り上がっているみんなの輪から追い払われて、誰からも話を聞いてもらえない。それだけじゃなくて、同じことをやっていても許されるパトリックがコミュニティ内にいるっていう残酷さ。

 だから観劇後にもやもやが残ってしまって、期待値ほどは自分に響いてないんだと思ったのだけど、実際に起きた事件、だけど(ゲイコミュニティのことだから、という理由で)当時は顧みられなかった事件をこうして描き直すことによって、観客がキャラクターをいとしく思ったり、わたしのようにデールのことをやり切れなく思ったりする、ということこそがこの作品のねらいのように思えるので、結果的に響いているのかもしれない。

 

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3月

宝塚歌劇団雪組「夢介千両みやげ/Sensational!!」@宝塚大劇場

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4月

ミュージカル「ブラッド・ブラザーズ」@東京国際フォーラムホールC

horipro-stage.jp

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 自分でも驚くほどダメだった。コンセプトとしては好みな感じなのに全然面白くなかった……。1幕終わりの時点で曲もいまいちでストーリーが面白くなる予感もなくて、これは???と思ったのだけど(全体で面白ければいいのかもしれないけど、幕間挟む場合は1幕である程度惹きつけてほしい)、最後まで観てもいまいち乗り切れず。ふたりの母親役の堀内さんが本当に素晴らしくて、「兄弟の話」じゃなくて「母親の話」として構築されていたら面白かったのかも。

 ストーリーがいまいちだったのとはまた別で、演出が無駄に不快だった。エディとの対比でミッキーたちの貧困を見せたいのはわかるけど、無駄な不快さだと思う。木南晴夏への貧乳いじりとか演者にお尻を出させるのとかも嫌だった。演出家としての吉田鋼太郎を全然信用できてないです。あと単純に音で観客をびっくりさせるタイプの演出がとても苦手。銃社会アメリカで上演したときとかどう演出されてたんだろう。

 人生に絶望したりヤク漬けになったり破滅していく役どころの柿澤さんはわかるけど、薬物依存症の支援団体とかからクレーム来ていいくらい雑な描写だとも思う。

 

 

宝塚歌劇団宙組「Never Say Goodbye」@東京宝塚劇場

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2022/neversaygoodbye/index.html

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 奇しくも上演された時勢が時勢というのもあって*1、扱っているテーマに対しての話の軽さが余計に目立ってしまっていた。ジョルジュのように逃げずに立ち向かう=戦争へ身を投じることがかっこよく、逆に逃げるのはずるく描かれるあたりを無批判に受け入れることができない。民衆に簡単に「イデオロギーは不要」と言わせてしまうのも危ういと思う。芸術や生活が戦争によって覆われていく描写も、現代の自分たちから決して遠い話ではないのできつい。でもフィナーレの真風さんは銀河一カッコイイんだ。桜木ずんさんともえこちゃんの男役としての色のちがいもよくて視線が定まらなくて困っちゃったよ……。宙組のファンなのかもしれない。

 

「アンチポデス」@新国立劇場小劇場

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 亀田さんという役者から逃れられない。絶対に働きたくない職場だな……と思いながら観た。新しい物語を作り出すために個人のリアルな体験を「物語」として語ることを迫る、そしてその手始めに語られるのが各人の性体験についてというのが、特に昨今のもろもろを考えると余計に嫌だった。性体験に限らず、人生を「物語」として語ったり、それに対して面白い/面白くないという評価をくだすことの暴力性についてダニーM2が心境を吐露したあとの空気のしらけかた、ついにはあの場から退場させられるのが本当に嫌なリアルさで……。あのやり方で面白いものなんてできるわけないじゃん、って思わせられる最悪の職場。

 わたしが気になった人物はダニーM2とエレノアとサラ。いつも笑顔で元気なように見えるサラが自分の体験について話す時、ファンタジックなおとぎ話に置き換えて話すのが、「物語」に救われて生きてきた子なんだなと思う。ただ、現実に対する防衛としての「物語」が日常に侵食して「嘘」をつきつづけてるようすには胸が痛くなるけど、あの職場じゃしょうがないな……。みんな「新しくて面白い物語」を生み出すことを目的に自分自身を切り売りしてぐちゃぐちゃになって、結果チームは座礁するわけだけど(最悪の職場だから当たり前)、そこまてしてなんで「物語」を作ろうとするのかっていうと「好きだから」というシンプルな理由に帰結するのはそれはそうなんですが。エレノアが持ってくる宝箱に入っていた、子供時代の衒いのない「物語」にみんな聞き入るようすに、どんな人をも「物語」が救えるのかもしれない、という希望を描きたかったのかなと思う。宝箱の見つかり方も含めて、パンドラの箱の最後に残った希望のようなものとしての「物語」。

 

5月

劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎「神州無頼街」@東京建物Brilliaホール

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 宮野真守に光の男をやらせて福士蒼汰の陰を照らしたうえに子育てBLをやるんだな……前半はまあわかるけど後半はわからんやつ、という身も蓋もないことを思った。それだけじゃなくていろいろ渋滞してるんだけど、渋滞してるわりに全然刺さらなくて、もしかしたら新感線とは肌が合わないのかもなと思った。髑髏城はけっこう好きだったんだけど。

 設定だけ見たら好きな感じのキャラクター/関係性だと思うんなけど、出力されてくるものが自分のツボとはことごとく違う。好きな人はたまらなく好きだろうなというのもわかるんだけど。キャラクターがさくっと自己開示したり人を信用したりするネアカっぷりが自分にとっては物足りないんじゃないかと思った。

 

「ロビーヒーロー」@新国立劇場小劇場

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 中村蒼先生in新国立。やっぱりワンシチュエーションの会話劇が好きだなということを再確認した。観たものをリアルタイムにきっちり記録しておかないと、半年経っちゃうとなかなか具体的な感想が出せないな……。Twitterに残っていたものを転記しておきます。
 作中のジェフがそうであるように明確にこう、っていう判断を簡単に下せる話でもなく……。面白かったんだけどまあまあキツかった。ウィリアムの弟の件も、ウィリアムが黒人であることを考えるとかなりキツいんだけど、そういう現実の問題について、日本で上演する際にどこまで「当たり前の背景/前提」として戯曲を補えているんだろう、そして制作側はどこまで説明すべきなんだろう、っていうのも考えてしまった。少なくとも観客側が「知っておく」努力は普段からあるべきだなとは思うけど。あと、中村蒼先生が好きです。

 

 

宝塚歌劇団月組「Rain On Neptune」@舞浜アンフィシアター

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 どうしても月組を生で観せたい知人のためにチケットを工面した。完全なるお節介です。谷貴矢先生の作品は新感線と同様「自分とはツボが合わない」と思ってるんだけど、RoNは体験としての良さがあった。脚本がよく練られてるという方向ではなく、「舞浜アンフィシアターという東京ディズニーリゾートのお膝元で(かつ舞台機構と時間の制約がある中で)上演する作品」として、かなり良い。
 ネプチューンのことをトリトンが「俺のもの」、シャトーが「盗んでみせる」と言うところ(しかも畳みかけるように)では、あからさまなモノ扱いに焦ったけど、ネプチューンと宝石たちが文字の通りの「モノ」から自分の意志をもつ個人になる話だから、おそらくわざとそういう台詞なんでしょう。ネプチューンは自分の意志で地球に行くからシャトーに「盗まれた」わけじゃないし、最後にトリトンリュミエールのクローンであるネプチューンを「娘」と言うのも、ネプチューンを「妻のクローン」としてではなく自分の生み出した「ネプチューン」という別個の個人として認めたってことだし、そのあたりのバランス感覚が良いと思う。
 ちなつさんがネアカのソフィ・アンダーソンみたいになってたのもウケた。ネアカのソフィ・アンダーソンはソフィ・アンダーソンではないのだが……。
 個人的に、歌声がとても素敵だなと思っていた一乃凜さんの歌が聞けたのもうれしかった。

 

NCT127 「NEO CITY:JAPAN -THE LINK」@東京ドーム

宝塚歌劇団雪組「夢介千両みやげ/Sensational!!」@東京宝塚劇場

 

 

6月

宝塚歌劇団雪組「夢介千両みやげ/Sensational!!」@東京宝塚劇場

宝塚歌劇団宙組「FLY WITH ME」@東京ガーデンシアター

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 現時点で2022年最高に楽しかった現場第1位の『FLY WITH ME』。レーザーがんがんに炊かれると血が騒ぐ。LDHに関しては表面的にだけどわりと知っている方だからクロスオーバーという点でも面白かったし、「タカラヅカ」をやっているときの野口先生のファンだから楽しかった。いま「タカラヅカ」の再構築をやらせたら野口先生の右に出る演出家いないと思ってるから。
真風さんと潤花ちゃんは個人としてもトップコンビとしてもとても好ましく見ているふたりなので、おのおのの良さもコンビとしての良さも存分に楽しめてうれしかった。
ちなみに『FLW WITH ME』でやってほしいLDHの曲リストを友達と作っていたのですが、なんと1曲もセトリ入りなりませんでした。♪ふたつの唇か♪Lovers Againは入ると思ってたというか歌ってほしかったよ……。

 

 

宝塚歌劇団宙組「カルト・ワイン」@東京建物Brilliaホール

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NCT127 「NEO CITY:JAPAN -THE LINK」@京セラドーム大阪

 

7月

宝塚歌劇団星組「めぐり会いは再び next generation -真夜中の依頼人-/Gran Cantante!!」@東京宝塚劇場

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 めずらしく芝居とショーどっちも合わなくて、消化不良なまま劇場をあとにした。メタ的な構造は好きだけど内輪ノリが好きではないので、(星組にあまり明るくないのもあるけど)『めぐり会い〜』はまずその点でつらかった。

 この人にこの台詞を言わせたい、この設定をつけたい、この画を見せたい、というのが全部ストレートに伝わってくるんだけど、それって結局きっちり作品にまで落とし込めてないということだと思うし、やりたいことがつぎはぎになっているのが観ていてちょっとしんどい感じ。ただ、美穂圭子さまが歌いはじめたときはうれしすぎてリアルにマスクの中で歯茎剥き出しにして笑ってしまった。最高のディーヴァ……。
 藤井先生のショーは好きなところと苦手なところがきっぱり分かれるんだけど、今回のショーは苦手な要素ばっかり詰め込まれた感じでとてもつらかった。

 

 

宝塚歌劇団雪組「ODYSSEY - The Age of Discovery-」@梅田芸術劇場メインホール

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 夏だ祭りだ野口ショーだ、ということで、やっぱり野口先生のやる「タカラヅカ」のファンだから、2幕のタカラヅカ全部やったんで〜のターンが楽しすぎた。1幕終わりにさききわといえば!な『SUPER VOYAGER!』の《海の見える街》のアンサーというかリプライズというか、あれを再構築したものを持ってくるのはずるいじゃん。やっぱり野口先生は「再構築」がめっちゃうまいのかもしれない。
 あんまりエモ消費するのも……と思ってはいるものの、本当に今日もちゃんと幕が開くのだろうか? と思いながら梅田に通っていたので、OPの♪Be revivedで毎度泣きそうになっていたし、咲奈ちゃんはとってもかっこいいトップさんだなあというのを日々感じる公演期間だった。好きな場面をひとつに絞るならやっぱりNYかなあ。

 

 

宝塚歌劇団雪組「心中・恋の大和路」@梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ

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 わたし、2014年の壮・愛加コンビの大和路が大好きなんです。はじめて映像で観たときに、こんなに芝居も演出も曲も完璧な演目があるのか!と衝撃を受けて、以来宝塚の演目でも5本指に入るくらい好き。そんな大好きな演目を生で観れるなんて……と思って観に行ったのだけど、驚くほどしっくりこなくて、まあひとことで言うと「解釈違い」だったってことです。あのふたりにはもっと違う、ちゃんとふたりに合う演目を当ててあげてほしかったっていうのが本音。

 雪組でしっかりしたお芝居が観たいなあと思っていたタイミングだったので、別箱とはいえ大好きな和物でそれが叶ったのはうれしかった。雪組にはお芝居のうまい下級生たちがたくさんいるなあ。

 

8月

NCT127「NCTzen127-JAPAN Meeting 2022 'School127'」@さいたまスーパーアリーナ

宝塚歌劇団雪組「ODYSSEY - The Age of Discovery-」@梅田芸術劇場メインホール

SMTOWN LIVE2022「SMCU EXPRESS@TOKYO」@東京ドーム

 

9月

宝塚歌劇団宙組「HiGH & LOW -THE PREQUEL-/Capricciosa!!」@宝塚大劇場

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 ハイローを地味にドラマシリーズから追ってきた古参なんですが(古参マウント)、2022年はNCT127の悠太がザワクロに出演したかと思えば宙組で前日譚が上演されることになったり、自分の好きなものすべてがハイローになる謎の年でした。スピンオフであるザワも好きだけど、やっぱり本編のファンだから久しぶりに本編のタイムラインを感じられるというのがなによりうれしかった。発表時は真風さんがやるなら雨宮尊龍だろ!『THE RED RAIN』しかないだろ!とか思ったりしたけど。

 ただ、ショー作家としての野口先生は好きだけど劇作家としての野口先生は評価していないので、おそらくヅカオタでない人がたくさん観にくるだろう前日譚の出来をずっと心配してたんですが……結果的にすごいハイローで……脚本としての出来は全っっっっ然良くないんだけど(ここは主張していこう)、でもこれすごいハイローだ……ってなって、ハイローとしては満足度がめちゃくちゃ高かったしずっと肩震わせて笑っちゃったし。SWORDが全部燃えたとこで耐えきれなくなったし。これが果たして「正解」なのかはわからないけど、少なくとも普段笑顔のないわたしが笑顔になった現場ではあった。でも、野口先生と宝塚大橋とかでばったり出会ったら、良かったけど、本当に良くないと思うよ。って説教系おたくになってしまうと思う。

 『カプリチョーザ』は前作の『グランカンタンテ』に比べたらだいぶ持ち直した感じがある。藤井先生のショーで好きなのが『アクアヴィーテ』だから、藤井先生と宙組の相性がいいのかも。

 

 

秀山祭九月大歌舞伎 第二部「松浦の太鼓/揚羽蝶繍姿」@歌舞伎座

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 初歌舞伎座。コロナ禍でなくなっていた一幕見席が再開したら行こう!と思ってたけどなかなか復活しなさそうだったのでもうええわいと3等席をとりました。3等席は普通に遠いし、演者によっては何を言ってるか本当に聞き取れない!歌舞伎独特の台詞回しがあるからそもそもそれを初見で全部聞き取って……というのに無理があると思って、普段の演劇の鑑賞方法とは違う楽しみ方をすることにした。そもそも通しの作品の一場面だけ切り取って上演したりするわけだから、舞台だけ観てストーリーとして楽しむ想定でもないような……。

 《松浦の太鼓》はまだ見方が定まってないのもあって正直ちょっと眠たかったけど、《揚羽蝶繍姿》はいろんな名場面を少しずつやっていて(追善公演ということで、当たり役のオムニバスみたいな感じ)面白く観れた。ラストのすごく短い場面を観て、幸四郎っていいな〜と思った。歌昇のことも気になる。

 歌舞伎の観客は自分の好きなところで拍手するから拍手しなきゃダメかな……?ってなる瞬間がなくて気が楽。

 

新宿末廣亭

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 落語も聞きに行ってみたい〜と思ってはいたもののなかなか足を運ぶまでに至らず、ドラマ『タイガー&ドラゴン』を全話見てからようやく末廣亭に。クドカンのホンは面白いけど、過去の作品のホモソーシャルがかなりドギツい。ここから『監獄のお姫さま』にまで至ったことにちょっと感動できるほど。

 というわけで初寄席だったわけだけど、(当たり前だけど)落語に関しても芝居のうまさと声の良さが大事なんだなと思った。桂三四郎っていう新作落語をやっていた人が芝居がうまくて聞きやすくてよかった。最前にいたちっちゃい女の子がファンだったっぽくてあの年から落語ファンって相当頭よくない?って思いました。

 

宝塚歌劇団月組グレート・ギャツビー」@東京宝塚劇場

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 めちゃくちゃよかった……。久しぶりに宝塚の芝居に素直に「いい!!!」と思えたのもうれしかった。月城さんのお芝居が好き。原作を読んでたらまた捉え方も違ったかもしれないけど、芝居の終わり方が好きだったからもうフィナーレいらないのでは、とすら思う一本ものに出会えるとは……。わたしは人間のあわれさが描かれてる芝居に弱いのだ。

 『グレート・ギャツビー』に出てくるキャラクターの中で、実際に存在したら好きになれるような人はほとんどいないけど、ことお芝居においては人間のそういうところを見せられるとまとめて愛しくなってしまう。というか普段の生活ではあんまり人に見せない部分を見られるのがお芝居を観る醍醐味でもあるじゃん。

 それこそ、トムなんて本当にいいところがない。自分があらゆる人を踏んでることに気づいてないというか、気づいててもそれの何が悪いんだって思ってそうなところがひしひし出ていてすごかった。序盤のトムの貴族の歌が最悪で拍手したくない。ちなつさんたちは悪くないんです。
 神の眼の演出はすごく小池先生だな……と思いました。よみがえるロミジュリの記憶。るうさんのお芝居はとってもよかったです。

 

 

10月

宝塚歌劇団雪組蒼穹の昴」@宝塚大劇場

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 原田先生の脚本もいまいち信用できないところがあるので、原田先生の一本ものと聞いてまずうーん……と思ったのだけど、とにかく原作が面白くて。でも、原作が面白ければ面白いほどこれどうやってやるのかな、ちゃんとやれるのかな、となり、ラストのあれがないと文秀の傲慢さや改革が失敗した理由に結びつかないけどあれをやるのは無理ではとかやらせてほしくない、とかいろいろ考えたり、上演前から勝手に悩みまくっていた。

 実際に上演された作品を観て、場面場面の演出はすごくいいし衣装や美術の豪奢さもとてもいい、だけど肝心の脚本がやっぱり良くなくて、原作があってここまで書けないってなるともうBWものの演出とショーをやるしかないのでは……と思った。

 メディアミックスの作品を評価するときはいつも言っている気がするけれど、別に「原作をそっくりそのままやれ」なんて思わないしやる必要はないけれど、作品のテーマからはブレたらだめだと思う。春児が中心だけど群像劇として描かれている作品を文秀中心に組み替える時点でブレを心配してたけど、本来他のキャラクターが負うべき役割を文秀に負わせたり、文秀こそ英雄だという台詞を加えたり、文秀(たち)の傲慢さを断罪することなくあまつさえヒロイックに仕立てるのって、作品のテーマとして逆を行ってないか、という。文秀のために大幅に改変された譚嗣同 ……。

 日本軍に対する批判なしに日清戦争の場面で旭日旗を出すのも、ただ演出としていい画だからって理由でやってない?と疑う心が生まれてしまう。一応おどろおどろしさも感じるから、さすがにただ「かっこいい群舞」として挿入されたわけではないと信じたいんだけど。

 いろいろもやもやしてしまって、記者や淮軍をやってる風雅くんがずっと面白いのとか、それくらいでしか笑顔になれない。ただ男役群舞は本当に最高。かちゃさんとあすくんとすわっちがかなーーりいいです。デュエダンの方はいまだに消化できてないんだけど、男役群舞もデュエダンも同じ羽山先生だから愛すべきなのか憎むべきなのかわからない……って言いながら観てる。

 

 

芸術祭十月大歌舞伎 第一部「鬼揃紅葉狩/荒川十太夫」@歌舞伎座

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 11月12月は事情により大歌舞伎を観れないのだけど、こうして月イチくらいのペースでゆるっと観ていきたい。かといって知識があるわけでもないので、なんとなくの選択で第1部のチケットをとったら、《荒川十太夫》はなんと『メサイア』シリーズの西森さんの歌舞伎演出デビューだったという運命。こんな日が来ると思わなかった──ってメサイア有給乃刻(誤字ではない)になった。

 《荒川十太夫》はもともと講談でやってたものを歌舞伎化したらしく、新作だからなのかいわゆる歌舞伎のあの独特の台詞回しではないしちゃんとこの幕の中でストーリーが完結するので「演劇」として観た。

 《鬼揃紅葉狩》は鬼たちの毛振りがバンギャのヘドバンみたいで面白くなったり、猿之助がめっちゃかっこよくて夢中になったりしました。床を鳴らしながら踊るところがめちゃくちゃかっこいい……。名の知れている歌舞伎役者って本職で観ると確かにかっこいいんだなあということをしみじみ感じている。

 

 

「レオポルトシュタット」@新国立劇場中劇場

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 『エリザベート』上演と同時期にこの作品をやっていることに数奇なめぐり合わせを感じた。序盤こそ登場人物の多さや描かれる関係性の複雑さについていけるかを心配していたのだけど、話が進むにつれ、いつのまにか心配を忘れるほど作品に没入していた。人間関係が複雑な分、演劇の構造としてはすごく単純にできている。歴史的背景をしっかりわかってるともっとわかるんだろうな、という歯痒さもあったけれど、自分のようなざっくりとした理解でもちゃんと観られるようにできているのはさすが。

 衣装も素敵だった。担当は前田文子さん。盆がぐるぐる回るとそれだけで嬉しくなってしまう性なので、場転のためだけじゃなく何周か回るところもあって好きな盆の使い方だった。2階からの視点だから定かではないけれど、客席と舞台の段差がないように見えるし舞台がめちゃくちゃ広く感じるな、と思ったら客席を9列目まで(!)潰していたらしい。広々とスペースをとった盆の上に調度品と数本の柱、という基本のセットは変わらないけれど、ちょっとした変化で一族の経済状況がちゃんとわかる。時代が移り変わるときに柱に○○年って映し出されてたかな……。美術は文学座の乗峯さん。

 あまりキャストのことを頭に入れずに行った(「新国立の演劇」という理由で観に行っているので)かつB席オペラなしで観ていたので、ヤーコプ役鈴木勝大じゃんってカテコのときにようやく思い至った。遅い。カテコでリトルヤーコプの手を引いてはけていくかつひろ……。さらにパンフを読んで、ナータンが劇団Patchの田中亨くんであることに気づく。元気そうでなにより。

 めちゃくちゃデメルのケーキが食べたくなったのでわざわざ買いに行きました。甘すぎ。

 

11月

宝塚歌劇団雪組蒼穹の昴」@東京宝塚劇場

 

12月

 今年の現場納めが12月30日でギリギリまで営業しているので、12月分は別途エントリを書こうと思います。本当に書くのか?

 

ミュージカル「東京ラブストーリー」@東京建物Brilliaホール

宝塚歌劇団雪組蒼穹の昴」@東京宝塚劇場

劇団柿喰う客「禁猟区」@本多劇場

Thanks Musical Concert「A Gift For You」@日生劇場

木村達成 10周年コンサート -Alphabet Knee Attack-@ヒューリックホール

 

 

Outro

 2022年は演目数でいうとざっと30くらいしか観ていないのだけど、それはもう完全に宝塚にリソースを割かれていたからに他ならない。観たいものはたくさんあったけれど泣く泣く諦める、ということの多い1年だった。どうしたって懐は有限なので、なにかをたくさん観ようと思うとその分なにかを諦めなければならないんですよ。という当たり前すぎることをひしひしと感じる羽目になるとは……。

 もうひとつ気づいたことは、短期間に同じ演目を一定回数以上観ると人はおかしくなってしまうということです。ものすごーーーく面白くて自分好みの演目であればまた違ってくるかもしれないけれど、自分がそんなに面白いと思えない/好きではない演目の場合、「どこがどんな風に好きではないか」の言語化は尋常じゃなく捗って、その反復によってより一層演目を嫌いになるという悪循環に陥るのです……。無駄に人生の意味とか考えちゃったりして。自分がどんな表現がどんな風に許せないのかの理解が深まったからこの時間も無駄ではなかったのかも、とか。安くないチケット代を払っておいてそんなことを考えるのは嫌すぎるだろ。

 

 と、少しおかしくなってきたところに大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を一気見して、なんて面白いんだ!!!!!! と感動して鎌倉に行ったり伊豆に行ったりしてすっかり正気を取り戻したので、2023年は気の向くままにいろんなものを観に行こうかな〜と思っています。

 

*1:ロシアのウクライナ侵攻がちょうどこのころに始まった

宙組「カルト・ワイン」

@東京建物ブリリアホール

 

STORY

21世紀初頭のニューヨーク。狂乱のヴィンテージワイン・オークション会場に華やかに登場するのは、高級スーツに身を包んだヒスパニック系の男、カミロ・ブランコ。誰もがその名を知る、若きワイン・コレクターだ。羽振りの良さ、膨大な知識、確かな舌、上品な物腰と人懐っこい性格で信用を得たカミロのコレクションに、人々はこぞって高値をつけていく。
だが、そのほとんどは安ワインをブレンドして作られた偽造品で、カミロという名も偽名だった。
彼の正体は10年前に貧しい中米の国・ホンジュラスから入国した不法滞在者、シエロ・アスール。マラスだった彼は、殺るか殺られるかの暮らしから抜け出すため、幼馴染のフリオと共に命懸けの旅に出たのだった。
シエロは何故ワイン偽造に手を染め、如何にして業界を揺るがすワイン詐欺師となり得たのか?
貧しい一人の青年が、被害総額1億ドルの偽造ワイン事件犯として投獄されるまでを描いた、ちょっぴりビターなスウィンドル・ミュージカル!  

 

 

感想

 前作のデビュー作「夢千鳥」を見て演出がうまいなと思っていた栗田先生の新作。演出はいいのだけど芝居の結び方がいまいちな印象があったので、2作目でどういう先生なのか判断したいなと思っていたのです。完璧な作品ではないけれど、今作の着地点はわりと好きだったかな……。

 マラスであること、難民であること、そうしたラベルで差別されてきたシエロも、オーダーメイドのスーツを身にまとい、カミロという新しいラベルに貼り替えればどこの御曹司かと持て囃されるようになる。人もワインも、中身の真贋や価値をわかる人はほとんどいない。世の中の人は立派なラベルさえついていればそれでよいのだ、しかもみんなそれで幸せになっているのだからなにが悪いんだ、という考えに呑まれそうになるシエロ。主に一幕で描かれる、難民への差別や労働問題に一家言あるんだろうなという描写は好き。主義主張を伴う作品を愛しています。シエロのキャラも桜木ずんさんへの萌えが感じられてよかった。「かわいい先生」とかね……。好きなんだよな桜木さん。桜木みなとに騙されたい!って言いながら観にきたもんな。話が逸れた。

 シエロが道に迷うとき、いつも頬をひっぱたいてくれるのが親友であるフリオ。フリオはいつも正しいことを言う。シエロが自らを犠牲にしなければ妹の手術代は工面できなかったんだと思うと難しいものがあるけれど、実直な男は嫌いになれない。フリオのアマンダへのバックハグは正直結構ぞっとするんだけど、同時に萌えもあるという新体験だった。観劇中何度ももえこちゃんーーーーッッッて心の中で絶叫したからね……。シンプルにもえこちゃんのファンです。もえこちゃんがブリリアの音響に完全に「勝って」いたので最高だなと思いました。もえこちゃんであればブリリアでも安心して観に行けるよ。また話が逸れた。

 シエロの逮捕劇については、「芝居の幕引きは自分で決める」という台詞通り、シエロ本人が仕組んだことだという理解をしている。もうこの芝居を降りたいと思ってもチャボの支配下にある以上勝手に舞台を降りることはできないので、「役者が死ぬ」くらいのことを起こすしかない。そこであの逮捕劇を考えつく。自分を告発する役割をフリオに任せようにもフリオの性格上簡単にはいかないので、フリオの愛する女にコナをかけ、無事に逮捕される……という流れ。隠し金のありかを記したロザリオをフリオに託して、十年後に迎えにくるように約束させる用意周到さもシエロの計画っぽいなと思う。これであればアマンダがフェードアウトするのにも納得がいく。このへんがすごく「勝ち逃げBL*1っぽいな」と思った。ただ、BLとしては好きだけど、アマンダの扱いが微妙なのがなんとも……。フリオの父や妹もそうだけど、ほとんどのキャラクターが装置として扱われているように思えたのが残念。

 シエロが「人間の価値を決めるのは他人じゃなくて自分だ」という結論に至るのは好きなんだけど、テーマの掘り下げ方は物足りなく感じた。そのせいで裁判でのシエロの発言がちょっと浮いて聞こえてしまうのが惜しい。やっぱり作劇より演出の人なのかな……。演出は期待通り楽しかったので飽きずに観られた。ブリリアの縦長の空間を活かしていたのがよかった。ショーアップもうまい。特にプロローグがめちゃくちゃよかったです。

 いろいろ言ってるけど、別に作品として悪くはないんですよ。次の作品が栗田先生ですって言われたら心配せず待てるし友達連こうかなって思えるし。ただ、わたしが個人的に強烈に愛してしまうタイプの作品ではないというだけで……。

*1:勝ち逃げBLの例:新井煮干し子『先輩は女子校生』

雪組「夢介千両みやげ/Sensational!」

(0606追記あり

 

 東宝までもう観ない予定なので芝居の方の感想をつらつら書く。あんまり褒めてないのだけど、ここまで真剣に考えてるってことは好きなんじゃないかと思い始めた節があります。

 公演の細々した感想とかショーのことはこちら。

 

STORY

小田原・庄屋の息子・夢介は、父親から“通人”となるため千両を使っての道楽修行を言い渡され江戸へ向かう。道中、“オランダお銀”と呼ばれる女スリに懐を狙われる夢介だったが、夢介の朴訥で底抜けな優しさに触れたお銀は一目惚れ、押しかけ女房となり二人は江戸で奇妙な同棲生活を始める。夢介に相応しい善い女房になろうと努力するも元来気性の激しさを抑えきれないお銀。遊び人飛脚屋の若旦那・伊勢屋総太郎ら個性豊かな江戸の人々が巻き起こす騒動を、夢介は“金と優しさ”で解決して行く。
善意の塊のような夢介との出会いが人々にもたらすものとは、そして夢介の道楽修行の結末は?

 

感想

 前提として、石田先生は「壬生義士伝」で垣間見えた〈田舎へのまなざし〉が厳しかったので、同じく田舎者の夢介が主人公の話というところに若干の不安があった。蓋を開けてみるとそこは気にならず済んだのだけど、夢介がただ言葉を発しただけで笑う客席にぶち当たったときはひさびさに客席との解釈違いが勃発して修羅の顔に……。まあそこは別に演出家が意図的にやったわけじゃないことはわかるので別問題です。他にも台詞の細かいところに無神経さはほんのり感じるものの特筆するほどではない。ただ、そういうのを除いても石田先生とはウマが合わないな〜とは思った。子役の使い方が苦手なやつだったんだよな。年齢に反してませてる(お鶴)のも素直さゆえに大人の言いにくいことを言う(亀吉)のもどっちも苦手な子供描写なんだ*1。でもここは完全に好みの問題ということもわかっている……。

 懸念していた箇所がそこまで引っかからなかったからといってお芝居自体が面白かったのかというとそれも微妙なところで、評価できるところもあるんだけど……って言葉を濁してしまう感じ。まずいいところに目を向けると、いろいろエピソードを詰め込んでいるわりには要素の反復のおかげなのかまとまっていてある程度見やすいし、目に耳に楽しい場面も多いし、雪組の芸達者な娘役たちが活躍しているのがめちゃくちゃうれしいし、キャラを立たせるのはうまい。

 観ていて一番まずいと思ったのは、夢介に最後刀を抜かせてしまうところ。原作未読だからこれが原作準拠なのかどうかはわからないけれど、「力によってではなく金*2と優しさで人の心を動かす新しいヒーロー像」として描こうとしているのなら悪手だと思う。ここに限らず夢介のキャラクターがちょこちょこブレてしまっているように思えたのが残念。そこがしっかりしてないとテーマが弱いというか、本当にテーマとして認識して作ってるのか? と疑いの心が出てきてしまうから勘弁してほしい。あんまり俺を疑わせるな……って哀しい王みたいになってしまうから。

 他にも気になったところがいろいろある。まずは物語の構造について。三太が途中から急に語り部になるんだけど、その役割を担わせるのであればもっと序盤に登場させて観客にその事実を知らせるとかしてくれないと、途中で人称が(意図的でなく)入り乱れる小説を読んでるような据わりの悪さがずっと付き纏ってきて無駄に気が散ってしまう。

 エピソードの配分や展開、キャラクターの台詞や行動の因果の描写不足が散見されるのも気になる。あらゆるキャラクターが夢介に惚れ込んで善人になる、っていう展開自体に別段文句はないんだけど、配分のせいなのかどこにクライマックスを持っていきたいのかわかりづらいのと、キャラクターの行動の唐突感が否めない。特に悪七と総太郎の改心、叔父*3に諌められてからお白洲に出てくるまでの金の字の決意あたりの回収の仕方がどーーーーーしても気になる……。改心の方は半端にシリアスが入るせいで肩透かしを食らうんだと思うので、それなら割り切って全員お銀や太夫みたいにチャララン♪(SE)って演出してもらったほうが納得がいく。いやでも天丼は3回までだから全員分やるとちょっと多いんだけど……。悪七と総太郎のとこは別の手法を考えてもらうとしても、浜次のとこには入れてもよかったんじゃないかと思う。これでちょうど3回だし。金の字の決意については、叔父*4とのあのやりとりをわざわざ入れたのであればワンクッションとして心境の変化の芝居を入れてくれよと思うんだ。さもないと発言と行動がしっちゃかめっちゃかになってしまう……。

 

 というわけでいろいろ思うところはあるんだけど、ここまでやいやい言えるということは自分の中で芝居を評価するという俎上には載ってるってことなのかもしれないなと書きながら思った。受け入れられないと思ったら評価以前に放棄してしまう作品もあるから。悲しい話だ。でも本来ストーリーやキャラクターの解釈をこねくり回すのが大好きなオタクだからそういう演目も近いうちに見たいな。頼むで原田先生……*5

 

 ちなみに、お松は本当に総太郎でええんか……? というのはそれはそうなんだけど、ちゃんと夢介が同意をとったうえでのあのラストなのでよいのです。「百組いれば百通り 千組あれば千通りの恋愛関係が成り立つ それぞれが異なり ひとつとして同じものは有り得ない その関係は他者には理解不能であることはもちろん生物学的に間違いである可能性もあれば公的に認められないことも大いに考えられる」って森依四月*6も言ってるしな。ひまりちゃんはお芝居がうまいぜ!

 

 

(0606追記)

 東京公演も終わりに近づいてきた。感想を書いてから観劇を重ねて、どんどんアラも見えてきてしまい、幕間に毎度新鮮になんなん……と言ってはショーですべてを忘れてしまうことを繰り返している。よくねえ了見だ。どでかい爆弾発言がある、というよりも根底にある思想がちょっと厳しい、というタイプの合わなさなので、聞き落としていた台詞や演出を回収していくたびにじわじわと効いてくる。総太郎の父親が気にするのは世間体だし、お松が命を絶とうとしたことよりも「お腹の中の子」の方が大事に聞こえるニュアンスの台詞が飛び出してくるし。夢介が本人のいないところでお銀を「あばずれ」と評するのも怖いし、だんだん夢介が江戸の人たちを洗脳していく話に思えてきて、実はホラーなのかな……と思うのだった。わたしからすると理解できないロジックで話が進んでいくので、そう思う方がいくらかしっくりくる。

 反面、組子のお芝居はどんどん馴染んできたり自由度が高く(でもむちゃくちゃにはならない)なっていてキャラものとしては楽しく観れるところもあり……。

 もともとシングルキャストのお芝居を複数回観るタイプではないのでようやく実感してきているのが、作品の出来・テーマと自分の親和性とか条件によってその回数は変わってくるけど、作品を(文句を言いつつであっても)楽しんで観られる閾値というのが確実にあって、それを超えるといろいろごまかしが効かなくなって息切れしてしまうということ。それまでは気になること・ひっかかることがあっても、ここは楽しいからとかあれは好きだからとかでごまかせていたのに、急にどっと疲れてしまって自分でもびっくりする。

 観劇というのは問答無用で板の上で起こる出来事を受容する営みなので、完璧に自分と呼吸の合うお芝居というのはなかなか出会えるもんじゃない。だから面白いと思うお芝居も(面白ければ面白いほど上限が上がっていくだけで)どこかで限界が来てしまうのだと思う。各作品に対する自分の閾値をうまく計算して向き合っていけるようになりたいな……。

 

 

*1:演じてたブーケちゃんもりなくるちゃんも芝居がうまい

*2:個人的にお金はものすごい暴力だと思っていますがここは総太郎がお金を暴力として使う存在として出てきて断罪されるのでクリアしているものとします

*3:♡♡♡桜路薫♡♡♡

*4:♡♡♡桜路薫♡♡♡

*5:https://kageki.hankyu.co.jp/news/20220301_006.html

*6:『恋愛的瞬間』吉野朔実