夢と現実いったりきたり

2021年1月〜4月の現場まとめ

 「感想ブログを書く」という行為がルーティンから完全に外れてしまっていたのと、そもそも感想を書くような現場にほとんど行っていないのと……というダブルパンチでまったく記録をつけていなかったこの4月までを振り返ってみようと思います。

 

1月

スルース〜探偵〜

STORY

著名な推理小説家アンドリュー・ワイク(吉田鋼太郎)は、妻の浮気相手であるマイロ・ティンドル(柿澤勇人)を自身の邸宅に呼び出す。不倫ヘの追及を受けるものだと思っていたティンドルに対し、ワイクは意外にも、「妻の浪費家ぶりには困っている」、「自分にも愛人がいる」と切り出す。さらにワイクはティンドルに、自宅の金庫に眠る高価な宝石を盗み出してほしいと提案する。そうすることでティンドルは宝石とワイクの妻を手に入れ、ワイクは宝石にかかっている保険金を受け取り愛人と幸せに暮らすことができるのだ、と。提案に乗ったティンドルは、泥棒に扮しワイクの屋敷に侵入するが…

感想

 吉田鋼太郎氏直々のご指名(だったっけか)での二人芝居ということと題材も面白そうでかなり期待していて、実際そこそこ面白かったお芝居。ただ、これは完全に個人的な問題だけど予習せずに行ったら予想してたものとはかなり違うテイストのものが出てきて、ちょっと肩透かしを食った……。ザ・会話劇!って感じのお芝居を期待してたんだけどもっと動きのあるお芝居だった。

 金持ちの白人男性という圧倒的な「強者」アンドリューが無意識のうちにみせる差別やマウントに居心地の悪ささえ感じていた1幕、そしてそんなアンドリューが実は時代に取り残されていること、自分の衰えに向き合えず懐古主義と自分の世界に閉じこもっていること(1幕でその片鱗を見せつつ)がマイロによってつまびらかにされていく2幕、の構成。マイロ優勢になったあたりからは特に、「見たい柿澤勇人全部詰め」みたいな状態だったなと。2階の手すりにしなだれかかるようにして妖しく笑うマイロとか、すごかった。悪魔的美しさ。そんなマイロにお前しかいないって縋りつくアンドリューは本気でぞっとする気持ち悪さであった……。

 なんというか、性的不能って男性にとってそんなに沽券にかかわることなんですかね……って冷めた目で見てしまうな、しょうもないなって。男性のそういうしょうもない「沽券」に面するとげんなりしてしまう度が年々上がってきています。『スルース』はそもそもそういう部分を描いてるんだからしょうがない。

 

パレード

STORY

物語の舞台は、1913年アメリカ南部の中心、ジョージア州アトランタ南北戦争終結から半世紀が過ぎても、南軍戦没者追悼記念日には、南軍の生き残りの老兵が誇り高い表情でパレードに参加し、南部の自由のために戦った男たちの誇りと南部の優位を歌いあげる。そんな土地で13歳の白人少女の強姦殺人事件が起こる。容疑者として逮捕されたのはニューヨークから来たユダヤ人のレオ・フランク。実直なユダヤ人で少女が働いていた鉛筆工場の工場長だった。彼は無実にも関わらず様々な思惑や権力により、犯人に仕立て上げられていく。そんな彼の無実を信じ、疑いを晴らすために動いたのは妻のルシールだけだった。白人、黒人、ユダヤ人、知事、検察、マスコミ、群衆・・・・それぞれの立場と思惑が交差する中、人種間の妬みが事態を思わぬ方向へと導いていく・・・・。

感想

 やたらと注意喚起みたいなツイートを見かけたけど、個人としては単純に「観てよかったな〜」と思えた作品。ひさびさにお芝居で泣いたんだけど、どこで泣いたかって1幕のレオの最終意見陳述ですよ。レオのあの性格で、見渡す限り敵意の視線しかない中で、知ってる人も知らない人もみんな自分を陥れる嘘を証言している状況で、「自分の気持ちを伝える」ということがどれほど勇気のいることだったか、どれほど恐ろしかったか、というのを考えると涙が止まらず……。レオとルシールの塀の中のピクニックの場面でも泣いた。なぜルシールが果敢に気丈に振る舞えたか/なぜレオがあの状況で狂わずにいられたか、をお互いに知らないまま相手をたたえるフランク夫婦……。ピクニックの日がたぶんふたりの初夜で(名言はされないけどおそらくレオの初体験だと思う)、あんなにお互いをいとおしく見つめる視線があるのか……と思いながらオペラグラスで彼らの表情を見ていた。彼らが言うように、なにもないはずなのに陽だまりの匂い立つ草原が見えてくるようで心にくる場面だった。

 観てびっくりしたのは、よく見かけていたキービジュアルがめちゃくちゃひどい場面だったこと。「浮かれてる南部人のパレードの中、人目を避けながら仕事に向かっていたレオが主役に据えられた"パレード"」の場面って。*1

 ユダヤ人であるレオが冤罪によって追い詰められていく、という本筋の背景にうつりこんでいた黒人たちの言葉や冷めた視線もひしひしと感じる。演出もすごく好みだった。改めて言うけど、本当に観てよかった作品でした。

 

2月

舞台刀剣乱舞

感想

 刀剣乱舞はミュージカルもストプレも縁がないなと思っていたんだけど、松田凌くんが出るということで今回は気にかけていた。キャスト発表されたとき普段刀剣乱舞の話が出ないタイムラインが一斉に湧いたくらいにはみんな大好き松田凌。のはずなのに、松田凌くんを知らないファンをいっぱい観測して時代を感じてしまった。メサイア若手俳優おたくの必修科目ですと言いたいけど円盤が流通してないせいで気楽に勧められるシリーズではないのであった……。悲しい話です。以上、余談。といっても演目自体への関心は薄くてチケットはとってなかったんだけど、いろいろあって知人から譲ってもらって観ることに。

 なんと初ステアラだったわけですけど、劇場に来た感がまったくなくて、横アリに着いたときと同じ感覚だな〜というのが到着した時点の印象。そして観劇後も似たようなことを思った。お芝居を観に行く、ではなく、舞台刀剣乱舞というアトラクションを体験しに行く、って感覚がしっくりくる。是非とか貴賤の話ではなく、別のエンタメだよねという話。個人的には劇場自体がそんなに好みじゃないかもしれない。ステアラの利点ってセットを作り込めるところ、360度スクリーンに映像出せるところだと思うんだけど、セットは極力シンプルな方が好きだし、そもそも映像演出が好きじゃない……。映像作品とは違う舞台の面白みって、なにもないところに風景を生み出したり、男が女になったり大人が子供になったりっていう想像をさせるところにあると思ってるから、それを全部説明しちゃうと面白くないというか。映像演出だからこそみたいなものもあるんでしょうけど。

 というステアラの感想はここまでにして。

 過去作をちょっと予習したとき*2に人間キャストの芝居パートが好きだなと思っていて、それは今作でも変わらなかった。歴史という物語の中で主人公になれない・他者という鏡がなければ自己を確立できない みたいな人間があらがう、という、個人的に好きな物語が紡がれてたところは楽しかった。ズッキーさんを中心としたLILIUMみたいな場面もあったし……。幻覚じゃない。

 ただ、これはわたしがキャラクターにまったく思い入れがないから感じることかもしれないけど、 キャラクターが浮いているような印象がどうしても拭えなかった……。ああこれゲームの台詞なんだろうな、っていうのが知らなくてもわかる感じ、入れなきゃいけないノルマなのかなって観てて思っちゃう感じがあって、なんとなくさめてしまう場面がちらほらあるかなあ。でもそれがないと刀剣乱舞である必要がないというか、本当にただの末満さんのお芝居になっちゃうのか。ちゃんとゲーム好きな人だとまた見え方が違うのかもなとも思う。

 松田凌荒牧慶彦を組ませて背中合わせにするのは、「初期刀」の二振と、いわゆる2.5次元舞台を初期から担ってきた役者ふたりの二重写のようにも読めて、末満さんから「わたしたち」への目配せじゃないかと疑っています。

 

▲ひどい

 

3月

 なし。かわりに韓国ドラマ『麗〜花萌ゆる8人の皇子たち〜(原題:달의 연인 -보보경심 려)』にはまってた。ふざけた邦題だけど人生や愛が詰まっています……。最後の方は泣き続けてしんどくなったほどに……。『陳情令』が配信されるということで記念に登録したU-NEXTだったけどラインナップが充実してていい。

 

▲めちゃくちゃエンジョイしている

▲こんなノリの話ではない 嘘広告

▲1話無料らしいですよ!

 

4月

スリル・ミー (山崎・松岡、福士・成河)

STORY

監獄の仮釈放審議委員会。
収監者“私”の五回目の仮釈審議が進行中である。
34年前、“私”と“彼”が犯した犯罪。
物語は、34年前に静かに遡っていく——。

 

19歳の“私”と“彼”。
ある契約書を交わした2人。
彼らに一体何が起きたのか。

 

“私”と“彼”
衝撃の真実が明かされていく——。

感想

 題材や伝え聞く評判から絶対好きなやつ! と思っていて、ようやく今年観に行けるぞ〜とかなり期待していたわりに、驚くほどピンとこなかったというのが正直な感想。松山回と成福回をそれぞれ違う友人と観たのだけれど、松山回は友人がすごく響いてる横で「保留……」としか言えず、成福回は友人と互いに頭を悩ませるという結果になってしまった……。曲はすごく綺麗で好き。なんというか、宣伝から受けた/予想していたものとは全然違う感触のお芝居だった。『クロードと一緒に』とか『46億年の恋』とかそのあたりを想定していった自分にも非がある気がしてきた。

 倫理的にダメな人は〜という注意喚起をしてる人がちょこちょこいたけど、わたしに関してはそこが原因というわけではなく。いや、創作に対する「お前らの都合に第三者を巻き込んでんじゃねえよ」という思いは年々強くなっていくんですけどそれはそれとして*3。すべてを明かしたあとの〈私〉の台詞が「認めてくれる?」であることにすごく嫌なタイプのホモソーシャルを感じて拒否反応が出てしまったのかもしれないなあと考えていました。

 おそらく〈彼〉がタチなんだけど、個人的な感覚としてはすっごい「逆」を感じていて、『スリル・ミー』ってわりとイニシアチブの話だから、案外重要な気づきかもしれないな……。

 演目としては響かなかったけど、〈私〉を村井くんにやってもらいたいなという気持ちはある。

 

 

 

 本当に全然お芝居を観ていないので以上です。6月からはちょこちょこ予定入れてるけどどうなるんですかね。こんな投げやりな気持ちになってしまうのは現代日本のせいです。悲しい。そうこうしてる間にどんどん感性が枯れていく気がする。お芝居に限らずいろいろ楽しめなくなってきてるのもそのせいでは? 人はそれを責任転嫁と呼ぶ。

 

 ただ、生観劇とは別に、雪組のfff/シルクロードのLVを観てから急に宝塚への「理解」が進んできてスカステを契約したりはしているので、もろもろの経緯とか見たものとかはまた別途まとめておきたいなという気持ち。

*1:ひどすぎワロタ

*2:ミラステロスで義伝を見た

*3:これが歳を重ねるということかもしれない