夢と現実いったりきたり

雪組「夢介千両みやげ/Sensational!」

(0606追記あり

 

 東宝までもう観ない予定なので芝居の方の感想をつらつら書く。あんまり褒めてないのだけど、ここまで真剣に考えてるってことは好きなんじゃないかと思い始めた節があります。

 公演の細々した感想とかショーのことはこちら。

 

STORY

小田原・庄屋の息子・夢介は、父親から“通人”となるため千両を使っての道楽修行を言い渡され江戸へ向かう。道中、“オランダお銀”と呼ばれる女スリに懐を狙われる夢介だったが、夢介の朴訥で底抜けな優しさに触れたお銀は一目惚れ、押しかけ女房となり二人は江戸で奇妙な同棲生活を始める。夢介に相応しい善い女房になろうと努力するも元来気性の激しさを抑えきれないお銀。遊び人飛脚屋の若旦那・伊勢屋総太郎ら個性豊かな江戸の人々が巻き起こす騒動を、夢介は“金と優しさ”で解決して行く。
善意の塊のような夢介との出会いが人々にもたらすものとは、そして夢介の道楽修行の結末は?

 

感想

 前提として、石田先生は「壬生義士伝」で垣間見えた〈田舎へのまなざし〉が厳しかったので、同じく田舎者の夢介が主人公の話というところに若干の不安があった。蓋を開けてみるとそこは気にならず済んだのだけど、夢介がただ言葉を発しただけで笑う客席にぶち当たったときはひさびさに客席との解釈違いが勃発して修羅の顔に……。まあそこは別に演出家が意図的にやったわけじゃないことはわかるので別問題です。他にも台詞の細かいところに無神経さはほんのり感じるものの特筆するほどではない。ただ、そういうのを除いても石田先生とはウマが合わないな〜とは思った。子役の使い方が苦手なやつだったんだよな。年齢に反してませてる(お鶴)のも素直さゆえに大人の言いにくいことを言う(亀吉)のもどっちも苦手な子供描写なんだ*1。でもここは完全に好みの問題ということもわかっている……。

 懸念していた箇所がそこまで引っかからなかったからといってお芝居自体が面白かったのかというとそれも微妙なところで、評価できるところもあるんだけど……って言葉を濁してしまう感じ。まずいいところに目を向けると、いろいろエピソードを詰め込んでいるわりには要素の反復のおかげなのかまとまっていてある程度見やすいし、目に耳に楽しい場面も多いし、雪組の芸達者な娘役たちが活躍しているのがめちゃくちゃうれしいし、キャラを立たせるのはうまい。

 観ていて一番まずいと思ったのは、夢介に最後刀を抜かせてしまうところ。原作未読だからこれが原作準拠なのかどうかはわからないけれど、「力によってではなく金*2と優しさで人の心を動かす新しいヒーロー像」として描こうとしているのなら悪手だと思う。ここに限らず夢介のキャラクターがちょこちょこブレてしまっているように思えたのが残念。そこがしっかりしてないとテーマが弱いというか、本当にテーマとして認識して作ってるのか? と疑いの心が出てきてしまうから勘弁してほしい。あんまり俺を疑わせるな……って哀しい王みたいになってしまうから。

 他にも気になったところがいろいろある。まずは物語の構造について。三太が途中から急に語り部になるんだけど、その役割を担わせるのであればもっと序盤に登場させて観客にその事実を知らせるとかしてくれないと、途中で人称が(意図的でなく)入り乱れる小説を読んでるような据わりの悪さがずっと付き纏ってきて無駄に気が散ってしまう。

 エピソードの配分や展開、キャラクターの台詞や行動の因果の描写不足が散見されるのも気になる。あらゆるキャラクターが夢介に惚れ込んで善人になる、っていう展開自体に別段文句はないんだけど、配分のせいなのかどこにクライマックスを持っていきたいのかわかりづらいのと、キャラクターの行動の唐突感が否めない。特に悪七と総太郎の改心、叔父*3に諌められてからお白洲に出てくるまでの金の字の決意あたりの回収の仕方がどーーーーーしても気になる……。改心の方は半端にシリアスが入るせいで肩透かしを食らうんだと思うので、それなら割り切って全員お銀や太夫みたいにチャララン♪(SE)って演出してもらったほうが納得がいく。いやでも天丼は3回までだから全員分やるとちょっと多いんだけど……。悪七と総太郎のとこは別の手法を考えてもらうとしても、浜次のとこには入れてもよかったんじゃないかと思う。これでちょうど3回だし。金の字の決意については、叔父*4とのあのやりとりをわざわざ入れたのであればワンクッションとして心境の変化の芝居を入れてくれよと思うんだ。さもないと発言と行動がしっちゃかめっちゃかになってしまう……。

 

 というわけでいろいろ思うところはあるんだけど、ここまでやいやい言えるということは自分の中で芝居を評価するという俎上には載ってるってことなのかもしれないなと書きながら思った。受け入れられないと思ったら評価以前に放棄してしまう作品もあるから。悲しい話だ。でも本来ストーリーやキャラクターの解釈をこねくり回すのが大好きなオタクだからそういう演目も近いうちに見たいな。頼むで原田先生……*5

 

 ちなみに、お松は本当に総太郎でええんか……? というのはそれはそうなんだけど、ちゃんと夢介が同意をとったうえでのあのラストなのでよいのです。「百組いれば百通り 千組あれば千通りの恋愛関係が成り立つ それぞれが異なり ひとつとして同じものは有り得ない その関係は他者には理解不能であることはもちろん生物学的に間違いである可能性もあれば公的に認められないことも大いに考えられる」って森依四月*6も言ってるしな。ひまりちゃんはお芝居がうまいぜ!

 

 

(0606追記)

 東京公演も終わりに近づいてきた。感想を書いてから観劇を重ねて、どんどんアラも見えてきてしまい、幕間に毎度新鮮になんなん……と言ってはショーですべてを忘れてしまうことを繰り返している。よくねえ了見だ。どでかい爆弾発言がある、というよりも根底にある思想がちょっと厳しい、というタイプの合わなさなので、聞き落としていた台詞や演出を回収していくたびにじわじわと効いてくる。総太郎の父親が気にするのは世間体だし、お松が命を絶とうとしたことよりも「お腹の中の子」の方が大事に聞こえるニュアンスの台詞が飛び出してくるし。夢介が本人のいないところでお銀を「あばずれ」と評するのも怖いし、だんだん夢介が江戸の人たちを洗脳していく話に思えてきて、実はホラーなのかな……と思うのだった。わたしからすると理解できないロジックで話が進んでいくので、そう思う方がいくらかしっくりくる。

 反面、組子のお芝居はどんどん馴染んできたり自由度が高く(でもむちゃくちゃにはならない)なっていてキャラものとしては楽しく観れるところもあり……。

 もともとシングルキャストのお芝居を複数回観るタイプではないのでようやく実感してきているのが、作品の出来・テーマと自分の親和性とか条件によってその回数は変わってくるけど、作品を(文句を言いつつであっても)楽しんで観られる閾値というのが確実にあって、それを超えるといろいろごまかしが効かなくなって息切れしてしまうということ。それまでは気になること・ひっかかることがあっても、ここは楽しいからとかあれは好きだからとかでごまかせていたのに、急にどっと疲れてしまって自分でもびっくりする。

 観劇というのは問答無用で板の上で起こる出来事を受容する営みなので、完璧に自分と呼吸の合うお芝居というのはなかなか出会えるもんじゃない。だから面白いと思うお芝居も(面白ければ面白いほど上限が上がっていくだけで)どこかで限界が来てしまうのだと思う。各作品に対する自分の閾値をうまく計算して向き合っていけるようになりたいな……。

 

 

*1:演じてたブーケちゃんもりなくるちゃんも芝居がうまい

*2:個人的にお金はものすごい暴力だと思っていますがここは総太郎がお金を暴力として使う存在として出てきて断罪されるのでクリアしているものとします

*3:♡♡♡桜路薫♡♡♡

*4:♡♡♡桜路薫♡♡♡

*5:https://kageki.hankyu.co.jp/news/20220301_006.html

*6:『恋愛的瞬間』吉野朔実