夢と現実いったりきたり

雪組全国ツアー「ヴェネチアの紋章/ル・ポァゾン 愛の媚薬-Again-

前回までのあらすじ

この感情は、いったいなんだろう──?

雪組fff/シルクロードを観て、突如彩風咲奈さんへの《感情》が芽生えたしがないOLの「わたし」。謎の感情の出どころを探るべく、雪組新トップコンビのプレお披露目公演である全国ツアーへと旅立つ。そこで新たな出会いが待ち受けているとも知らずに──。高鳴る胸、動き出す運命。ミラーボールの光は誰を照らすのか。薄給OL冒険譚・待望のタカラヅカ編、開幕。

 

 

 fffを観てからひと月くらいスカステを見続けて、だいぶタカラヅカ偏差値が上がってきたところでやってきました全国ツアー。ど平日の日程ばかりだったのもあって、もともとは一回入ればいいかなという様子見加減だったものの、いろいろあって数回入ることになりました。目的は前述のあらすじのとおり(ただしファンタジー小説の裏表紙っぽく書いた適当なあらすじなので本気にしないでください)彩風さんに対して芽生えた謎の感情を確かめることだったのですが、途中からオペラグラスが制御不可能になってずっと眞ノ宮るいくんを追っていました。完全に目的が変わってしまったけれど、これはもう仕方がない。あれもこれも仕方がないのです。そういう運命だったのよ……というような多くの人間が持つ諦念に挑み、そして散っていったかわいそうな男の話が一幕の〈ヴェネチアの紋章〉です。*1

 

 

 思った以上に長くなったので目次をつけました。ただの感想なのに長々書きすぎである。

 

ヴェネチアの紋章

はじめに:彼はなぜ「紋章」が欲しかったのか

※ろくろを回しています※

 アルヴィーゼは、ヴェネチアが彼に与えなかった貴族の「紋章」を得るために闘い、そして散っていく。父から、母から、あらゆるヴェネチアのひとびとから、そしてなにより、最愛のリヴィアから説得されても、彼は頑なに「紋章」にこだわり続ける。それはなぜか。おそらくもともとのアルヴィーゼは、嫡子でないことで被る不利益や理不尽な扱いにも目を瞑って、コンスタンティノープルいちの商人として悪くない人生を送ることのできる人だったと思う。それができなくなったのは、リヴィアという存在に出会ってしまったから。

 ただ生まれた順番が遅かったというだけで、愛した女と一緒になれない。あまりにも理不尽な現実がアルヴィーゼの前に立ちはだかったとき、彼は、これまで目を瞑ってきた自分を取り巻く現実を直視する。アルヴィーゼは嫡子ではなく、嫡子でなければ貴族になれない。貴族でなければ政治に携わることができない。いくら才覚があってもその決まりは覆せない。コンスタンティノープルでは、奴隷から上り詰めたイブラヒムのように出自にかかわりなく能力で得られるものが、ヴェネチアでは得られない。そんなのはおかしいんじゃないか、という疑念が年月を経て、自分は「紋章」を得るのに相応しい人間のはずなのだから認めさせなければならない、という確信へと変質する。リヴィアを得てもなお「紋章」に執着し続けたのは、そういう彼の中での矜持に起因する。

 そんなプライドなんて捨ててしまった方がいい、と、現代に生きる我々は簡単に口にしてしまいそうになるが、それはかなり残酷で傲慢なことだと思う。特権を手にしている人の多くがそれが特権であることを理解していないというのが世の常で、それこそアルヴィーゼとアンドレアの間で交わされた、お前の苦しみはわかっているつもりだ/あなたにはわからない、というやりとりにもしみじみと表れている。彼の苦しみはリヴィアですら理解できていないのだ。高貴なお前に見合う身分で、と語るアルヴィーゼを不思議そうに見つめるリヴィアの瞳を見て胸が痛くなった。

※ろくろを回し終えました※

 

脚本のこと

 軽くろくろを回して満足したので、ここからは普通の感想を書きます。

 もともと一度きりの観劇予定だったのもあり、世界史に疎いせいで置いていかれたら嫌だなと思って原作の『イタリアルネサンス』第一巻を予習して行ったのが仇となったのか、脚本に対して思うところが多かった。

 祖国という絶対的なアイデンティティの拠りどころのない人間たちが自分の力でもがいている物語、という原作の印象に引きずられて、初回は「なんであのエピソードや設定を入れないんだろう」という疑問が頭を占めてしまったのだけれど、原作をいったん取り払って観てみると(わたしにはなかなか難しい作業です)、長くはない上演時間かつ宝塚の舞台作品として組みなおす際に、そもそもわたしが原作から受け取ったものとは別の面にポイントを置いたのかもしれないな、と思った。国がうんぬん、というのは削って、「嫡子ではない」というのをアルヴィーゼのコンプレックスの源流に置いた感じ。

 全体的に、アルヴィーゼを主役の座に据えることによってさまざまな変化が起こっていた。アルヴィーゼと同じく、錚々たる名門貴族の生まれでありながら嫡子ではない、がゆえに金の名簿に載らない=貴族になれないはぐれ組の三人衆が登場し、アルヴィーゼについてゆくという意思表示をする(カシムやトルコ兵士もだが)という改変により、少なくともアルヴィーゼが孤独に死んでいくことはなかった。それが物語としてよいか、というのは別として、宝塚の作品として成立させるにはアルヴィーゼをヒロイックに描くことが必要なのだろう。原作でも十分人々を魅了する人間ではあるけれど、やはり最期はかなりひどい死に方をするし、しかも我々はそれを伝え聞いたマルコの語りでしか知り得ないので、華々しい死に姿を見せるのには向いていない。

 マルコは一応原作どおり語り部として登場するけれど、それがかえってよくなかったような気がする。当事者ではないマルコの語りで物語が進行することで謎解き的な面白さが生まれる、というのが面白みだと思うのだけど、マルコが目撃していない、マルコの目を通さないアルヴィーゼの姿が描かれている以上、その効果も半減してしまっている。それならそれで、謎解き要素はばっさり切ってしまえばよいのでは……。アルヴィーゼとリヴィアのあいだで取り決められる「合図」にしたって、あれだけふたりのやりとりでがっつり説明したんだから、その後すぐに事情を知らないマルコのモノローグを入れるのはナンセンスに感じる。

 サンマルコ殺人事件についてもそう。マルコが、アルヴィーゼを殺したヴェネチアという国と、奇しくもヴェネチアのそこかしこにある「マルコ」の名を持つ自分、アイデンティティに疑問を抱いたことのないヴェネチア貴族の自分、特権を持ちそれの恩恵を受けていながらほとんどそれを意識していなかった自分を重ねて親友への贖罪と国家への空虚を抱く、というのがこの事件の意義なのだけれど、うまく扱いきれていない印象だった。なんかよくわかんない事件のことを元首の孫娘の旦那がちょこちょこ報告に来るな……と思ってたらキーイベントだったんだ、みたいな。マルコのあの「気づき」を終わりに持ってきたいのはよくわかるけど。完全に余談だけど、マルコ邸にはぐれ組と一緒に押しかけてきたオリンピアがアルヴィーゼを呼びに行くと言って席を外しておきながら事件の報告にそっと聞き耳を立てていて、細かいなと思いました。

 マルコがアルヴィーゼとリヴィアの娘・リヴィアと結婚する決意を固めるのは、それ以外にリヴィア(娘)が尼僧院から出られる方法がない、というちゃんとした理由があるのだけど、それを常識として知っている人ばかりではないと思うし、一応、孫娘の結婚式でプリウリ夫妻*2について噂する貴族たちが「30歳も離れている夫婦は貴族の社会では普通」という注釈を入れているとはいえ、もうちょっと説明してあげたらいいのにと思ってしまった。娘のシーンは元の脚本にはなくて今回追加したと聞いたけど、ひたすらあらぬ誤解を受けているマルコが気の毒でやまない。

 マルコもそうだけど、いろいろなキャラクターの描き込みが浅くなっていたのが少し残念だった。もちろん舞台化する際には仕方ないとはいえ、それぞれのバックグラウンドが交差しあっているのが面白いと思って読んでいたので……。オリンピアがマルコに宛てた手紙がものすごく好きだったのもあって、「あなたを愛していたのは本当です」という手紙にはオリンピアはそんなこと言わない(泣)と思わず思ってしまったけれど、そもそもマルコとオリンピアのエピソードはかなり削られているし、祖国のないひとびとをめぐるアイデンティティの話ではない以上、そこは重要ではないのだから、それはそれでただしい改変なのである……。でも、夢白あやちゃんのオリンピアはめちゃくちゃ綺麗だし、序盤にマルコを押し倒すかっこうになるところも好き。あそこの五秒間だけ急にやたらアダルトな雰囲気になる。マルコとオリンピアがところ構わず(と言うけどたぶんだいたいマルコ邸です)キスしまくってるの、ちょっと面白さすらあった。いいけど。タカラヅカのキスシーンは滋養にいい。

 アルヴィーゼの母親の登場については、ちょっと腑に落ちなかった。わざわざ生き返らせてまで*3登場させたわりに、元首アンドレア・グリッティが立場上口に出せない息子への愛情を補填したり、マルコからアルヴィーゼの状況の説明を引き出すためのキャラクターに見えてしまった。元首が口に出さないだけでアルヴィーゼに深い愛情を持っていることは自明だし、マルコの状況説明も相手と言い方を変えて数回なされてるから、あのあたりがちょっと冗長に感じたのだけど、母親の存在に別な意図があるんだろうか……。

 カシムとヴェロニカのコメディシーンも謎で、観客のためのほっとひと息シーンだということはわかるけれど、アルヴィーゼに心酔して忠義を尽くしてるカシムのキャラがブレブレになっちゃわない?という。カシムといえば「アラーの神より」という台詞が後半で変更されたのが印象的。原作にも該当の台詞はある*4のだけど、アルヴィーゼを盛り立てるために使うにはさすがにセンシティブだし、仕方がない変更だと思う。一禾くんのカシムはハマり役だと思うし、ヴェロニカ役の莉奈くるみちゃんは間の取り方がめちゃくちゃうまい。一時期なぜこのシーンが挿入されるのかを真剣に考えていて、いろんなものに雁字搦めの主人公たちとの対比か?とか思おうとしていたのだけど結局カシムも最期はアルヴィーゼへの忠義に死ぬんだよな。

 

 男、忠義に死ぬな。

 

 

演出のこと

 とまあ、基本的に脚本についてぐるぐる考えていたせいであまり演出のことを考える暇がなかったのだけど、手持ちの最後の公演を観てる最中、急に演出のことを理解し出した。ヨハネ第9章25節、わたしは盲目であったがいまは見える*5

 まず、幕やたびたび登場する青い影(ダンサー)が波の意匠であること。これはレミーネが言うように、歴史や社会や恋やいろんなものの波に呑まれて沈んでいくこと、そしてマルコが言うように、(命を賭して運命に挑んだのに)沈んでいった彼らのことを誰もが忘れてしまうという虚しさの象徴なんだろうと思う。

 ヴェネチアの風景がだんだん暮れてゆくのは、アルヴィーゼの人生が終わっていくのと連動している。と思わせておいて、アルヴィーゼが死んだあとも当たり前に太陽は昇り、ヴェネチアには晴々しい空が広がる。波の意匠とあわせて、アルヴィーゼたちの一大決心の虚しさを強調するかのように。

 そしてなにより、月下のモレッカ。わたしはこのシーンが随一で好き。なんて美しいシーンなのか、とため息が出る。現実にはひとりだけれど、リヴィアとふたりで踊る幻想のモレッカ。アルヴィーゼの叶わない夢。彼はただリヴィアを愛していた、ということ。1階のセンブロで観る機会がなかったのが惜しまれる……。 

 

ジョヴァンニのこと

 眞ノ宮くん演じるジョヴァンニははぐれ組のうちのひとりで、恋人は星南のぞみちゃん演じるビアンカ。本当にずっとかわいくて、ずっとかわいいなって言いながら見てた。冷静に見られていない。

 トルコ行きを咎める恋人たちのナンバーのラスト、寄せては返す波〜♪で女性陣と一緒になって踊ってしまうお調子者っぷりもかわいいし、ビアンカにかなり甘えたな感じで絡んでいてかわいい……*6。アルヴィーゼにがんがん絡んでいってて、日によってはアルヴィーゼの頭身を数えて九頭身だ!って仲間と盛り上がるだけじゃなくアルヴィーゼ本人にすごいですね!と話しかけてたり*7、挙動は軽率なんだけどどこか憎めない。ハンガリア進軍に加わったあと馬に乗ってヴェネチアの動きを探りに行くのだけど、たしかに馬乗るのすごいうまそうなんだよな。機動力のある顔。かわいい……かわいいけどアルヴィーゼとともに死んでしまう……。男、忠義に死ぬな……。

 

 ところでわたしは有栖妃華ちゃんがかわいくて歌声が綺麗で好きなのだけど、オープニングで裏メロみたいなのをおそらく歌ってるのが本当に綺麗な声でよかったです。書けるところがなかったのでここで書く。

 

 

ル・ポァゾン

 観終わるとルポァゾ〜ン……しか言えない妖怪になる。主題歌の歌詞が正しすぎる(この陶酔のひととき ああ ああ ああ 何もかも忘れて)。わたしはロマンチックやクラシカルなものを好むタイプなので、美術や衣装にいちいちときめいていました。なんとなく、場面のつぎはぎなのかな、と思うところもあったけれど……。眞ノ宮くんの出番がたくさんあったし、かなりおいしい立ち位置だったのでずっと楽しかったというのは大いにある。本当に楽しくて、マスクの下で口角が上がりっぱなしの不審者になってしまった。ルポァゾ〜ン……

 

プロローグ

 一幕で組長の声がすごく好きだなと思っていたら二幕では道化になっていた……。吟遊詩人役の諏訪さん、案外こういう長髪の方が似合う人なのではと思った。諏訪さんってどこにいてもすぐに見つけられるから強いんだよな……。〈愛の葛藤〉の牛(概念)でも「あれは絶対にすわっち!!!」って確信を持って指をさせる。

 プロローグの眞ノ宮くんは一列目にいがちなのでとても見つけやすいし追いやすい。つんと澄ましたような表情とベルベットっぽい衣装がすごく似合っている。自分の基本にダンス担というのがあるから、踊ってる姿を見られるのが嬉しくて楽しくて、この時点で脳汁がガンガン出てくる。プロローグ中盤*8では彩風さん・綾さん・諏訪さんと、ショーにおける三番手までの三人+眞ノ宮くんが娘役とペアを組んで踊る場面があったりして、本当においしい立ち位置にいた。

 

愛の歓び

 眞ノ宮くんは出ていないのだけれど、ショーを通していちばん好きな場面かもしれない。色づかいや美術がほとんどサンリオピューロランドでかわいいのです。ゆめゆめしさ大爆発。天井から吊るされた雨だれが光をちらちら反射しているのとか本当にかわいい……。場面としては天上の社交界という感じだったから、死後の予習をする気持ちで臨んでいた。自分が天国に行けるとは限らないのに……。ここの振りは基本にバレエがある感じが好みだった。ただし、ラランランランラララン♪という陽気な歌と、ミューズの乙女の独特な揺れ方がしばらく頭から離れなくなる。

 

愛の誘惑

 予習として見たパッションダムールにあったBad Powerとジゴロの場面。彩風さんのスーツの着こなし具合は一見の価値があるし、あの三白眼が活きまくっててよかった。眞ノ宮くんはあとから壇上に登場する数名のうちの最上手。プロローグでは垂らしていた前髪をオールバックにしていた。下に降りて合流したあとは彩風さんと一緒に動く組に入っていたので、オペラグラスで眞ノ宮くんと彩風さんが同時にとらえられるウルトラハッピーセット状態だった。ジゴロのあとの、愛は最高!!!って歌ってる場面でずっとまなはるさんにメロメロしていました。カッコイイ。人数的に男役五人娘役四人でまなはるさんがひとり余ってしまうことがあるんだけどかっこよく決めていたので無問題です。

 

若さ、スパークリング!

 眞ノ宮くんが掛け声とともに元気に登場して始まる。間奏曲というポジションらしいけど、唐突に挿入された感のある場面。歌ってるあいだは夢中で見てるけど、終わった途端「今の、白昼夢?」ってなる。もとは別のショーにあった場面らしい(のちのち〈Amour それは…〉で確認した)。みんなみずみずしくて楽しそうなのでいいと思います。なぜか左側の前髪を垂らしている公演と右側を垂らしている公演があるという……前髪ガチャ?

 

愛の葛藤

 個人的にショーにおける男役同士の絡みにいまいちピンときていないんだけど、わりとどの作品でも入ってくるパターンなんだな。彩風さんはマタドールが正装ってくらい似合う。闘牛士、自分の心に呑まれて死んじゃったのかな……と思ったら次の間奏曲(ナルシス・ノアール)で死を悼まれててやっぱり死んじゃったんだ……って。ショーにおける闘牛士だいたい死ぬ……。どうでもいいけど、黒レースのワンピースで観劇したとき、ナルシス・ノアールのコスプレだと思われたらどうしようって無駄に心配をしていました。

 

愛のロマンス

 わたしは結局こういう王道なキラキラが好きなんですよ。男役の白燕尾に、娘役のあのふわふわしつつも上品なドレス。あのドレスを見ると、小さいころ遊んでた着せ替え人形のドレスを思い出してほんのりノスタルジーを感じる。眞ノ宮くんは次の〈ジュテーム〉のために早めにはけるけど、彩風さんのすぐ後ろ上手側にいるのでまたまたウルトラハッピーセット状態になる。〈ジュテーム〉ではぱきっとした青の衣装なんだけどこれもまた似合うのだ。右耳につけてるイヤーカフがきれいです……。そろそろバレてると思うけど、オペラグラス覗いてるときってだいたいかわいい;;;かっこいい;;;で脳が支配されてるからそれしか言えないんだよな。わざわざ文字にして残す必要があるのだろうか……。でもここまで書いたから書きます。

 

ロケット

 めちゃくちゃ頑張ってる子がいる……!と思ったのだけど、そもそも組子を把握していないせいで誰だったのかは永遠に謎のまま。最後の方で少人数に分割されたときにセンターグループの最下手にいた子です。万が一心当たりのある方はご連絡お待ちしております……。

 

フィナーレ

 宝塚のデュエダンからしか得られない栄養素ってあるんだな。一幕からずっとだけど、朝月希和ちゃんが本当にきれいだなって思って謎に涙が出そうになっていた……。わたしは万が一宝塚にハマるなら娘役を好きになるんだろうなと思っていたんだけど、こういうときすごくそれが過る。

 そしてラストの主題歌で記憶喪失になる。ル・ポァゾンは魔法の言葉。

 

 

 なんかまとまりきらないまま長々と書いてしまったな……。お芝居に関しては言いたいことがかなりあった(全部書いたから長いんだけど)けど、振り返ってみるとすごく楽しかったんだと思う。ちなみに愛知県芸術劇場大ホールの五階では舞台奥の背景が見えないので、このヴェネチアの風景が……って台詞があっても本当になにも見えなくてまあまあウケます。いやウケはしないな。

 

 とりあえずシティーハンターもすでに行く予定は立てたので、そこまでにもうちょっとタカラヅカ偏差値を上げておこうと思います。

 

 次回、はじめての宝塚大劇場編に続く。

*1:下手くそなライブのMCみたいなつなぎ

*2:このときのリヴィアのドレスがすごく好き。劇中の衣装は軒並み素敵だけど、その中でも特にかわいい。

*3:原作ではすでに亡くなっている

*4:ただし発せられる状況もトーンもかなり異なる

*5:メサイア翡翠ノ章において行方不明になった海棠鋭利が御津見珀宛に残したメッセージ

*6:ただし絶対に尻に敷かれている

*7:それ本人に伝えるんかいってややウケていた

*8:変な日本語