劇団柿喰う客『禁猟区』
@本多劇場
【一般発売&PV公開】#柿喰う客『#禁猟区』
— 柿喰う客 (@kaki_kuu_kyaku) 2022年11月19日
2022.12.22〜12.30
本多劇場https://t.co/7z9wLGkFje
🔽プレイガイド
チケットぴあ⏩https://t.co/LcXHJBSZBL
ローソン⏩https://t.co/CQUNUqWpkr pic.twitter.com/FN0JOViqYl
STORY
理不尽極まる無差別殺傷事件が発生した人気商店街「ちぎり通り」!
異常な地元愛を抱く繁盛店の勇者たちは禍々しい厄災に立ち向かう!
劇団「柿喰う客」が年の瀬に放つ新作公演は総勢21名による狂騒劇!
熱き血潮がほとばしるパニック・アクション・エンターテイメント!!
感想
このあとの現場はコンサートだったので、お芝居でいうとこれが2022年ラストでした。柿で始まって*1柿で終わる最高の年! 同じ回を観る人とクリスマスパーティーをしてから本多劇場に向かったら、交通機関の遅れで超・エクストリーム観劇になったことを含めて柿喰う客観劇っぽさがあった気がする。
肝心の内容については、なんと最前列を引き当ててしまったせいで若干冷静に観れなかったので、詳しいことは改めて全景配信で見直したいのだけど、2022年の締めに足る演目だった。
わたしは、福井夏さんという俳優の、板の上での圧倒的な存在感、最強とか無敵とかそういう形容が似合う強さが好きなので、破刃禍乱ちゃんが物理的に最強でうれしかった。今回の中心キャラクター・永田紗茅さんとツートップのような扱いで、それが超よかった。
【お店紹介:その20】
— 柿喰う客 (@kaki_kuu_kyaku) 2022年12月29日
古式マッサージ『fuku』
極上のリラクゼーション体験を提供する癒しの空間。確かなテクニックでお客様を心地よい世界へと誘います。写真はセラピストの破刃禍乱さん。#ちぎり通り商店街 #禁猟区 #柿喰う客 pic.twitter.com/9ZjF5FHrck
ところで、劇団員が増えてからの柿の本公演って、正直消化し切れていないところがあって。というのも、柿の脚本って劇団員へのあてがきな部分があるので、その人がどういう俳優なのかを理解したうえで観る、もしくは劇中でそれをがっつり感じられないと「普通に面白い」止まりになっちゃうと思ってるんですよね。もう一段階上の「柿を観たぞ!」っていう満足にまでは辿り着いていないような、不完全燃焼感が拭えなかった。自分が柿に求めてるものってそこだから。
とはいえ『空鉄砲』にはそれがしっかりあったから、自分が新入りメンバーにハマってないのか、もしくは大人数で俳優の個性が出づらい(+自分が2021年入団メンツのことを全然わかっていない)のが要因なのかと思って*2、今回もちょっとハードルを下げてたんだけど、今回はしっかり「柿を観たぞ!」に至れてうれしかった。なにが違ったんだろう……。
新入りメンバーにもすごく興味が湧いて、観れていなかった『初体験』の配信も見た。こっちもめちゃくちゃ面白かったし(中屋敷さんに「アイドル」って入力すると『初体験』が出力されてくるの!?っていうのも含めて)少人数だからこそ新入りメンバーの俳優としての個性、中屋敷さんが彼らをどう見てるかがじっくり楽しめてより一層愛着が湧いた。みんな芝居上手いな〜。今後も少人数での公演いろいろやってほしい。
ちなみに、『初体験』は2023年1月22日まで絶賛配信中だから見てない人は見よう!!!→https://t.co/1ZZplpsTCk
ついでに、見れていなかった『八百長デスマッチ』も見た。「女を挟んで友情を深めやがって……」感はあるけど、わたるさん敬三さんが最高なのは言わずもがな、これを穂先くん加藤さんで再現したのがものすごくアツい。
柿の劇団員に関しては(中屋敷さんが「マレビト」と評していたのがしっくりくるので、それ以上の形容をするのが難しいのだけど)もはやひとりひとりが都市伝説的な「現象」のように感じる。でも単に浮世離れしてるってわけじゃなくて、柿の作品のキャラクターって現実には絶対いない超・フィクションの存在だけど、キャラクターたちが舞台上に、そして我々の中に残していく感情は現実以上に生々しくてプリミティブなものだというのが不思議だなあと思う。今回、柿に好きな俳優が増えたのがしみじみうれしい。
ところでおみくじを引いたら敬三さんの大吉で超うれしかったです。字が綺麗〜
ミュージカル「東京ラブストーリー」
@東京建物Brilliaホール
空キャスト
永尾完治:柿澤勇人
赤名リカ:笹本玲奈
三上健一:廣瀬友祐
関口さとみ:夢咲ねね
▲どうでもいいけど公式HPのURLが「LOVE2022」で、そんな♪LOVE2000 みたいに言わないで!って思った
STORY
2018年春。愛媛・今治に本社のある『しまなみタオル』の東京支社に異動になった永尾完治は、アフリカ育ちの天真爛漫な女性・赤名リカと共に新プロジェクトを任される。 ある日、既に上京していた地元の高校の同級生・三上健一に会いに行くと、完治が高校時代から想いを寄せる、関口さとみもやって来た。 昔話で盛り上がりつつも、予想外の再会に動揺する完治。そこに突然、リカが現れた。……この夜、恋が動き出す。
感想
発表された時点でたぶん合わないやつだなって確信めいた予感はあったんだけど、そもそも『東京ラブストーリー』のことすら(ドラマでも漫画でも)全然知らないのに、観ずにあれこれ言うのも……と思って。同じホリプロ×ジェイソン・ハウランドのミュージカル『生きる』も見てみたらいい作品だったし、食わず嫌いしちゃだめだよね!って思って。タイトルがタイトルだからなのか、宣伝の力の入れ方が若干空回ってるのとか、稽古場映像から察せられる作品の雰囲気とかを見るたびに「たぶん合わない」が「ほぼ確実に合わない」に変わっていったんだけど、観てみたらよかったみたいなことが…………ありませんでした。
脚本も演出も全然よくなくて、「たくさん歌が聴ける」と「廣瀬友祐がずっと面白い」以外になにも言えない。廣瀬は本当にずっと面白い。もともと海宝くんでとってた『太平洋序曲』の廣瀬回も追加で取ったくらいには廣瀬友祐に夢中になってしまったことには感謝してる。
上演数分前から赤いドレスの女性ダンサーが舞台上で踊り出した時点でなかば覚悟を決めてたけど、この作品、とにかくアンサンブルがめちゃくちゃパキパキ踊る。「東京」という場所の独特の活気、誰もが主人公!みたいなことを表したいのかなとは思ったけど、とにかくこのダンスのせいで舞台が散らかって見えて、視線誘導もうまくいってないからこっちが努力して本筋の芝居を追おうとするんだけど、そうするとちらちら視界に入ってきて集中を邪魔してくる。正直ストレス。脚本も、おそらく原作は「地方から出てきた主人公たちが東京と地方に抱く複雑な感情と彼らの恋愛模様の二重写」がテーマになってるんだと思うんだけど、肝心の憧憬やコンプレックスの描写が不足しているので登場人物の行動や葛藤に説得力が出なくて、とにかく作品として薄い。わたし自身が地方出身で「東京」に対する妙な幻想とコンプレックスを潰すために上京してきたクチだからそこの複雑な気持ち自体はわかるけど、彼ら自身の「なぜ地元を出て東京にいるのか」の背景を作品内でしっかり描いてほしい。冒頭にちらっと台詞で出てくるけど本当にそれだけで、その後の展開に活かされたりもしないというのはどうなんだろう。
時代設定を現代に変更したのもいまいちよくない方向に作用してたと思う。もしかして単に数字を置き換えただけで他は手を加えてないのかな? 原作通りの時代設定なら「まあ昔はこうだったのかもね……」と思えた(かもしれない)けど、現代の物語として観るとどうも違和感があった。なによりも、赤名リカが背負(わされる)う「東京」が、いまわたしが見て・感じている東京という街の姿と合致しないために、おそらく当時はリアリティをもって受け止められたのであろうこの物語が実体のない空虚なもののように映ってしまうのが痛いポイントだった。
そもそも東京で生きることに息苦しさを感じている赤名リカに「東京」を背負わせるなよ、とも思ったし。しかも赤名リカ消滅エンドって、これもしかして「意味がわかると怖い話」とかそういう類の話なの?
この作品で世界進出うんぬんとドヤ顔をしていたのかと思うと腹が立ってくる……。なんなんまじで……。しかもこのタイミングでの上演ということで、演劇を普段あまり観ない人が『鎌倉殿の13人』で柿澤さんを知って、他でもないブリリアで『東京ラブストーリー』を観ることになったかもしれない……と思うと本当に胸が痛む。ホリプロの罪は重い。ミュージカル『東京ラブストーリー』のことは嫌いでも、ミュージカルのことは嫌いにならないでください。
雪組バウホール公演『Sweet Little Rock'n'Roll』
シェイクスピアの「から騒ぎ」を下敷きに、舞台を1950年代のアメリカに移してハイスクールに通う若者たちの恋模様を描いた『スウィート・リトル・ロックンロール』。
1985年に月組で上演されたフレッシュでエネルギッシュなミュージカル作品を、2022年版にリメイクしてお届け致します。
ロックンロールの軽快なリズムに乗せて繰り広げられる青春ミュージカルと、HOT&COOLなナンバーで構成されたフィナーレが、雪組バウホール公演を盛り上げます。
超〜〜〜〜〜〜楽しかった。いや本当に。中村暁先生のショーがあんまり肌に合わないのと、下敷きになってる『から騒ぎ』がいまいち好きじゃなかったのと、アメリカンハイスクールものがあんまりツボじゃない……という要素が積み重なっていて正直期待値はあんまり高くなかったのだけど、本当に楽しい公演だった。それが嬉しくて嬉しくて、泣くような話じゃないのにフィナーレで泣きそうになるの巻。SLRRをひとことで表すと、「シェイクスピアをベースに80〜90年代少女漫画を新喜劇的手法で演出して漫才のエッセンスを加え、KPOPを違法増築した作品」になる。泣くような作品ではないな……。
一幕はロバートとメアリー、ビリーとシンディのカップルがくっつくまでの騒動が、そして二幕ではロッキーとミリーの不和を解決するまでの騒動が描かれる。いろいろなカップルに焦点を当てていくことで、キャラクターを持て余すことなくきちんと個性を描けていて、雪組って面白い子たちがいっぱいいるんだなあと再確認できた。それでいて主演カップルの存在感が薄くなることもない。二幕の糸を引いているのがビリーとシンディだから……というのもあるけど、やっぱり縣千くん・夢白あやちゃんのふたりのスターとしての存在感が強いからこそ。あがちはビリーみたいな思春期の男の子を演じるとかっちりハマっててよかった。夢白あやちゃんはもう完璧だし言うことないよね……。おのおのが独立したスターとして素敵だけど、ふたりが掛け合わさったときに魅力が何倍にもなる感じがまたパワーがあっていい。
冒頭でグッドマン校長がビリーにかけた「何かに出会うことで自分が変わる」という言葉にこの作品のテーマは凝縮されていて(作中ではそれがロマンスに発展するボーイミーツガールを意味する)、意地だの見栄だのプライドだのを脱ぎ捨てて、素直に自分の心と相手に向き合ってみよう、そうすればきっともっと素敵なものになれるから、という前向きで明るいメッセージが詰まってる。若手メンバーで、そして今の時代に上演するのにぴったりな作品だと思った。あんまり眩しくて涙が出る……。すぐ泣くやん。コメディリリーフ的役回りだと思っていたロッキーが二幕で中心に据えられるのにも泣いたね。ミリーの狂言のクライマックス、周囲がてんやわんやと動き回っている中でスポットライトを浴びて動かないロッキーとミリーを見ていると(あくまで主役はビリーとシンディだけれど)ふたりにとってはお互いが世界の中心だというのがよくよく伝わってくる。真ん中でカップル芝居をしてることもそうだし、黒燕尾のボタンがキラキラ光っていたことも嬉しかった。そういう意味でも楽しい公演だった。
作品全体の話に戻る。舞台やミュージカルやタカラヅカの「お決まり」を違う文脈で使うことでユーモアに仕立てる、ということをやっていて、その構造が面白かった。昔の作品をリライトしている/下敷きがシェイクスピア作品、というのもあり、価値観に引っかかるところがあるかな? と構えていたけれど、案外すんなり観られたのはそういう作品の構造のおかげだと思う。「男らしさ」で意中の女の子にアピール!という展開もあるものの、同時に「男らしさ」をギャグとして消化しているから気になりづらい。特に、ビリーやロッキーの「男らしさ」は過剰さをもって演出されて、笑いどころとして提供されていて、そういうところが面白い。
ただし、他の場面もあわせて考えると、「男らしさ」というところを意図してギャグ化しているというよりは、「過剰さ」という宝塚の特性を利用して、宝塚でしかできないギャグをやっている……という認識の方が近そう。シンディの心象風景として登場する《幻想のビリー》や、ビリーの投げキッスに笑いが起こる*1って不思議な話で、主演の男役が真っ白な王子様衣装で登場するのも投げキッスをするのも普段は「かっこいいもの」のはずなのに、それがギャグの文脈で使われているという。宝塚をメタ的に使うのは見たことあるけど、こういう使われ方はわたしは初めて見た。もしかしたら嫌な人もいるかもしれないけどわたしは好き。
この公演で雪組のあみちゃんが見納めかと思うとすごく寂しくなってしまうんだけど、そういう事情が本編中は吹き飛んでしまうくらいあみちゃんのお芝居が面白かった。あみちゃん自身がカフェブレで「コメディのお芝居は難しい」と話していたように、コメディ芝居ってすごく難しいものだと思うんだけど、お芝居のうまい人がやるコメディ芝居は死ぬほど面白いということを他ならぬあみちゃん自身が証明してた。勝手に厳選!SLRRで面白いパート:フクロウネタ、マットのガヤ、ロバートのすべて(特にシンディの物真似)フィナーレのソロのあみちゃんがあまりにも綺麗でまた組替えのことを思い出して、行くな……と思いつつ月組のあみちゃんも楽しみなんだよなあ。フィナーレのあみちゃんに月城さんの面影を感じてびっくりした。はおりんにはあゆみさんを感じるし、宝塚のそういうところがいろんな意味でゾクゾクする。
作品でちょいちょい惜しいな〜と思うところもあったけど、特に言いたいのはぐいぐいジョーがフェードアウトするところだよ!!!あのクセが強すぎるキャラクターをあんなふうにフェードアウトさせていいわけがないだろうが!!!なんなん!!! なんなんついでに言うと、フィナーレで本格的に2PMをカムバさせようとするのはかっこいいとかの前に笑ってしまうから勘弁してください。好きなタカラジェンヌが2022年に2PMとしてカムバックするなんてノストラダムスでも予想できないから。るいくんのパートはチャンソンのパートらしいです。なんなん。もう近頃は毎日ハートビート聴いてます。リスントゥマイハービー……
*1:前者は回によって起こらないこともある
2021年現場まとめ
自分でもびっくりすることに、2021年はほぼブログを更新していない。観てすぐアウトプットしないと自分の頭ではきれいに忘れてしまうというのに……。うまく思い出せないかもしれないけど、今年の現場を振り返っていこうと思います。
雑感
上半期は興行も再開しはじめてまたぽつりぽつりと舞台も観に行けるなあと思っていたのだけど、急に宝塚に「気づい」て以来、もっぱらタカラヅカづいてた下半期。どうしたってお勉強おたくなところがあるからスカイステージを活用しながら昼夜「タカラヅカ」を学んでいたら、あまりにもタカラヅカばっかり見てることに気づいて、焦っていろいろ手配した秋口……。恐ろしいことに、来年にはU-25割引も使えなくなってしまうという。このブログを始めた当時はまだ成人してなかったことを思うと感慨深い。それはそれとして、この1〜2年は大目に見てほしいんだけど駄目ですか。
自分がなにかにハマると一辺倒になる性分というのもあるけど、ここ最近は国外コンテンツにハマっていたために1〜2年強制的在宅状態で、現場がある国内コンテンツに傾いていったのは仕方がない。
1〜4月
だいたいここでまとめてます。
5月
柿喰う客『滅多滅多』@本多劇場
魑魅魍魎が跋扈する「高天原市立秋津島小学校」!時刻は4時44分、夕闇迫る逢魔が時!
忌まわしき歴史に血塗られた幽愁暗恨の教室で、悪魔たちの課外授業が幕を開ける!!演劇界の風雲児「柿喰う客」の最新作は怪優20名による大スペクタクル!
大人と子供と「七不思議」による学内抗争を描くホラー・スリラー・ミステリー!!
感想
シンプルに人が多い。わたしの中で柿の団員の記憶が2016年入団で止まってる(2017年入団はわかる人とわからない人がいる)せいで1/3くらい誰!?ってなって困った。今改めて公式HP確認したけどやっぱ人多くない???
人が増えたのに「柿」濃度はそんなに高くないように感じて、いや柿の芝居だし濃いんだけど、妙にサラッと観ちゃうというか。もうすでにストーリーをだいぶ忘れている……。新メンバーをまだ柿の俳優って認識できてないのが原因な気がするけど、だからこそもうちょっと人数減らした公演もやってほしいなと思った。2020年末に観た『夜盲症』はかなり満足度高かったし……とか思ってたら発表された2022年の本公演がまさかの3人芝居でしかもメンバーが大村・玉置・田中って期待しかないやつだった。みんな好きなやつじゃん。絶対観るぞ。
とはいえ『滅多滅多』も面白かったんですけど。どうしても音楽ネタに弱いんだよな……。滅多滅多音頭でセンターを張る穂先くん、路線男役です。というか『空鉄砲』で新人公演やるし、もはや寄せてきてるのかもしれない。
これまでになく考察で盛り上がってたような気がする(あくまで自分の観測範囲で)。柿の芝居ってわりと時系列がガチャガチャになってたりリフレインが多かったりで入り組んでるけど、最後まで観たらすんなり理解できる印象なのに今回複雑に感じたのはやっぱり人数が多いからでは!?
『夜盲症』に引き続き長尾さんがズボン役だったありがたさよ。同様にズボン役の沖さんがよくて、ていうかシンプルに「顔が好き」というあさましい感想なんだけど、でもここふたりをズボン役にした中屋敷さん、「わかってる」じゃんって……。
6月
雪組『ヴェネチアの紋章/ル・ポァゾン 愛の媚薬-Again-』@相模女子大学グリーンホール/愛知県芸術劇場
16世紀前半のイタリア、ヴェネチア元首の息子であるアルヴィーゼは、正当な世継ぎでないがゆえに愛する人リヴィアと結ばれず、異国へと旅立つ。十年後、持ち前の才覚で貿易商として成功を収めた彼は、忘れることがなかったリヴィアと再会し、モレッカのダンスでさらに想いを滾らせる。そしてついに、愛する人を取り戻すために、そして自分自身の誇りのために、アルヴィーゼはヴェネチアがくれなかった“紋章”への強い執着に突き動かされ一国の王となるために立ち上がる─
最近Blu-rayが出て、部分部分を見返してるんだけど芝居の衣装がかわいいし、ロマンチックレビューはいいものですね……。初演を見てしまうとつぎはぎだなあとは思うんだけど。芝居の方はやっぱりホンの古さが否めないのと、いらない付け足しがちょっとな〜と思う。原作が爆裂面白いというのもある。しかし月下のモレッカは筆舌に尽くし難い。あの瞬間のために観たかいがあるというものです。さききわというトップコンビが(自分と一緒に走り出したという贔屓目があるにせよ)好きだなとしみじみ思う今日この頃。
イキウメ『外の道』@シアタートラム
同級生の寺泊満と山鳥芽衣は、偶然同じ町に住んでいることを知り、二十数年ぶりの再会を果たす。
しかし二人には
盛り上がるような思い出もなかった。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。寺泊はある手品師との出会いによって、世界の見え方が変わり、妻が別人のように思えてくる。
新しい目を手に入れたと自負する寺泊は、仕事でも逸脱を繰り返すようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった。日常生活が困難になっていく寺泊と芽衣は、お互いが理解者であることを知る。
二人はこの混沌の中に希望を見出そうと、街中に広がった無を見つめる_。
イキウメってどうしてこうも外れないんだろう。観終わったあと「イキウメゎサイコー」しか言えなくなる。めっっっっちゃくちゃ面白かったし怖かった。イキウメといえば会話のうまさ、それによって紡がれる人間関係のうまさだけど、それがうまければうまいほど、のちのち描かれる秩序や常識の綻びをいっそう恐ろしく感じる。わたしの観るイキウメはいつも「ふつう」の枠や境界に疑問を投げかけていて、だけど人間のことが好きだというのが根底にある。怖いけど明るい。
自分はどこから来たのか。自分は何者なのか。自分は本当にまっすぐに世界を見ているか。そういうことをずっと捏ねくり回している。イキウメは絶対に「考えること」を諦めないんだな。それが心地いいし、観ていて救われる気持ちになる。
ところでシャッターのついている家に住んでいるんですが、シャッターを閉め切ると「外の道」ごっこができます。
7月
『Being at home with Claude クロードと一緒に』@シアターウエスト
1967年 カナダ・モントリオール。判事の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。
殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。
順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。
密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。
2019年にBlancバージョンを観ていて*1、再演の報を受けて絶対に観ようと思っていたクロード。やっぱり作品としてすごく好きなんだけど、がっつりセットが組まれた中で観るクロードって、なんだか違和感があった。本来こっちが正しいのかもしれないけれど、イーヴをこんな狭い部屋に閉じ込めるなんてひどい、と思った。赤レンガ倉庫がイーヴの見ている世界だったとしたら、シアターウエストは現実の世界。だけどその分すごく理解しやすくて、クロードってこんなにあからさまに社会構造の話だったんだなというのをひしひしと感じた。この位相で見るイーヴはあまりにもぼろぼろで、見ていてつらかった。これは溝口イーヴの特色というのも脚本演出の違いというのもあるだろうけど、溝口イーヴは最後の最後までわかってほしかったんじゃないかな……というのがつらかった。松田イーヴはこちらを突き放して、わたしたちに理解されることを拒んでたから。確かイーヴの「もうやめるよ」で幕切れだったんだよね。わたしはがらんとした赤レンガ倉庫を縦横無尽に駆けまわる松田イーヴに恋していたのかもしれない。
ジーザス・クライスト=スーパースター inコンサート@シアターオーブ
舞台は約2000年前のイスラエル。
ひとりの人間として、神や民衆との間で苦悩するジーザス(イエス・キリスト)と、ジーザスに仕える弟子の一人でありながら、裏切り者として歴史にその名を刻むことになるイスカリオテのユダ。
民衆の間で人気を高めるジーザスに対し危険を示唆するが、ユダの心配をよそに民衆はジーザスを崇拝していく。ユダヤ教の大祭司カヤパは、大衆の支持を集めるジーザスに脅威を感じ、他の祭司たちとジーザスを死刑にしようと企てる。
そして自分の忠告を聞かないジーザスに思い悩むユダは、祭司たちの策略により、とうとうジーザスを裏切り、祭司たちに居場所を教える。神の子としての自分と、人間としての自分との狭間で思い悩むジーザス。
遂には弟子や民衆の裏切りによって捕えられ、十字架にかけられたジーザスは、自分の運命に対する神の答えを問いただしながら息絶えるのであった…。
JCSは曲が好きで、以前配信されていたコンサート形式のものだけ見たことがある。今回もコンサート形式だから次やるときは見たいな……。わたしは芝居>ダンス>歌で、あまり歌唱力重視ではないんだけど、うまい歌を浴びるとやっぱりテンションが上がる。歌がうまいっていいことですねえ! 柿澤さんのシモンはニンというか、ああいう突っ走る若者みたいな役柄ほんとに似合うんだけど、前にコンサートで歌ってたヘロデ王もいつか見たい。藤岡さんのヘロデ王がどうひっくり返っても好きで抗えない。
月組『桜嵐記/Dream Chaser』@東京宝塚劇場
南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。
「太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。
怖かったんだよね。観終わったあとずっと「怖い」って言ってた。争いをやめた方がいいとわかっていてもやめられない天皇。過去の呪縛。「国体」とかそういうワードが思い浮かんでは消え、具合が悪くなってきたところに、晴れやかに華々しく退場してゆく正行の姿に「泣ける」ことにぞっとしてしまう。恐ろしいほど演出がうまいんだよな……。
8月
宙組『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!/Delicieux!』@東京宝塚劇場
19世紀末イギリスの小説家コナン・ドイルが生み出した不滅のヒーロー、シャーロック・ホームズ。その人並み外れた洞察力と観察力、そして変装術を駆使する名探偵の縦横無尽の活躍を描いた「シャーロック・ホームズ・シリーズ」は、時代と世代を超えて今尚、様々なメディアで世界中の人々を魅了し続けています。
稀代の名探偵、シャーロック。その宿敵となるジェームズ・モリアーティ教授。ただ一人、シャーロックの心を動かした「あの女」、アイリーン・アドラー・・・
「罪を追う者」。 「罪に生きる者」。 そして、「罪を背負う者」・・・
「罪」によって分かち難く結ばれた三人のキャラクターの描き出す幾何学模様(トライアングル・インフェルノ)!
「人」とは? 「罪」とは? そして「愛」とは?
霧と煙に包まれた都・ロンドンを舞台に、数多の難事件を解決してきた名探偵の挑む冒険活劇。
なお、この公演は、新トップコンビ、真風涼帆・潤花の大劇場お披露目公演となります。
生田先生の美的感覚・こだわりは好きだけど、いつものことながらストーリーが練りきれてないと思うんだ……。キャラシートはがんがん作り込むけどストーリーまで落とし込めてない感じ。でも演出は本当に好きだから生田先生には頑張ってほしい(SALU)と毎度言い続けます。キャラクターといえばモリアーティ率いる犯罪シンジケートの面々にGファンタジー的オタク臭さが漂っててちょっと赤面しちゃった。小学生時分のキズが疼いてしまうんや。
ホームズといえばワトソンだけど、生田先生の萌え的にはホームズとモリアーティになるのはわかる。それで割りを食ったと思いきやワトソンが存外いい役だった。桜木さんの演じる「人のよさ」が好き。生田先生、シャロモリシャロに萌えすぎてちょっとおかしくなっちゃってるじゃん(笑)とか言ってたけどわたしもポーロックに萌えすぎておかしくなってしまった。あんなん好きだよ。どうしてくれるんだよ。
デリシューはプロローグが異常に楽しかった。ドルオタの自我が野口先生のアイドル場面を消化できずに喧嘩してしまうんだけど、パリ野郎はよかった。若干乗り切れない場面もあるにはあったけどおおむね楽しかったです。野口先生も性癖をもうちょっとうまく抑えられるようになったらもっと好きになれるのでよろしくお願いします。
9月
雪組『CITY HUNTER/Fire Fever!』@宝塚大劇場
新宿を舞台にスイーパー(始末屋)として生きる“シティーハンター”こと冴羽獠。彼が依頼を請け負うのは、美女絡みか、依頼人の想いに“心が震えた時”のみ・・・・。
獠の持つハードボイルドかつコミカルな魅力を、彼を取り巻く個性的なキャラクター達の活躍と共にドラマティックに描きます。
公演にまつわるツイートをtogetterにまとめてます。
本当に苦しい公演期間だった……。自我が引き裂かれていくような……。先に言ってしまうと、「芝居」としては全く評価してない。
まず、何十年も前の作品を現代で上演するってなったとき、問題のある表現を除去/改変するか、問題と認識したうえで必要があるから描くか、というその議論の俎上にすら載ってないんだろうな、というやるせなさ。ここはnot for meとかじゃなく最低限のラインがクリアできてないってことだからがっかりした。
ここからは自分の好みの問題も入ってくるけれど、「問題のある表現」のことを抜きにして作品を見たときにやっぱりいまいちぴんとこない。そもそも、演出によって完全に統率のとれた芝居が好きだからアドリブとか日替わりって極論必要ないと思ってて。インスタントな笑いよりきちんと練られた「文脈」を見せてほしい。台詞の一言一句に気を配って、そこからキャラクターの背景がぐっと広がるように作り込んでほしい。群衆芝居は本筋にきっちり目を向けられるように視線誘導すべきだし、その点から見るとCHの新宿雑踏って群衆芝居としては成り立ってないんですよ。……っていう、とうとうと不満をたれる自分がいる一方で、雪組子が好きな自分としては下級生までほぼ通しの強めのキャラクターがあって、台詞はなくともみんなが自由に芝居ができるのがありがたい……という感情が捨てきれないジレンマ。新宿雑踏の話も、それを敢えてやってるのは「全員が主人公」をやりたかったってことに他ならない。そういう愛情はすごーーーく感じられるからずっと苦しかった。自我が引き裂かれる……。
「そう。「憎しみに限りなくちかい愛情」など、そんなものは存在しない。真の憎しみで彼を思い、真の愛で彼を思う。どちらも本当で、別個のものなのだ。この相反するもっとも激しいふたつの感情が、同じだけの焦げつくような熱さで、彼一人に執着する。同じだけの強さでこの胸を引き裂く。引き裂かれた肉が血が細胞が悲鳴をあげる。身を焦がし尽くして、業火のなかでのたうちまわることしかできない。」
—『炎の蜃気楼9 みなぎわの反逆者 (集英社コバルト文庫)』桑原水菜著
https://a.co/6GYBzVt
まさにこんな感じだった。まさか宝塚を観ることで直江信綱の心情に寄り添えるとは思わないじゃん。宝塚はいつもわたしに新しい感情を教えてくれる。
花組『銀ちゃんの恋』@梅田芸術劇場シアタードラマシティ
1982年に「直木賞」、1983年に映画版で「日本アカデミー最優秀脚本賞」を受賞した、つかこうへい作「蒲田行進曲」。宝塚歌劇では1996年に、久世星佳主演で初演、2008年と2010年には、大空祐飛主演で再演。異色の題材ながらいずれも大好評を博しました。
自己中心的でありながら、どこか憎めない映画俳優の銀ちゃんが、恋人の小夏や大部屋俳優ヤスなど、個性豊かな「映画馬鹿たち」と繰り広げる破天荒でありながら、人情味溢れる物語が、再び宝塚の舞台に登場致します。
この題材(スターと大部屋)を宝塚でやるって悪趣味だとは思いつつ面白い。銀ちゃんの語るスターの在り方(スターはかっこよく「存る」もの、芝居はまわりの人たちがやってくれる)は銀恋におけるパラーバランスそのもの。ヤスがうまくないと成り立たないけど、同時に銀ちゃんが「かっこよく在る」ができてないとやっぱり成り立たない。観客はそれを宝塚のシステムと重ねて観てしまうし、そういうとこはやっぱ悪趣味なんだよね。つかさくんが好きかつヤスという役が好きだからめちゃくちゃ泣いた。なんなら、初っ端の階段落ちをやる子分はいないのか〜のときにヤスが階段を調べてるとこから既にちょっと泣いてたから。年々涙腺が弱くなってきていていかん。
ヤスが元々チェーホフをやるような演劇青年だったというのがまたいい。それを受けた銀ちゃんが、観客が望んでるのはそんな理屈っぽいのじゃななくてちょっと見逃してもストーリーがわかるような娯楽作品だ、と返すのは、宝塚という国内有数の娯楽作品のために劇場へ足を運んでる我々観客への皮肉すぎる……。
銀ちゃん=銀幕、映画の擬人化……とまではいえないかもだけど、その象徴として描かれているからこそ、映画というものに惚れ込んだヤスにとって銀ちゃんはかっこいい理想の銀幕スターでいてくれなくてはならないし、そのためになら自分を犠牲にすることを選ぶ。
銀ちゃんが銀幕の象徴、というのは小夏にとってもそうだけど、小夏の描かれ方はだいぶグロテスクだからそこはしんどい。銀ちゃんから散々な扱いをされたあげく、貧乏でつましい生活だけど幸せ、と歌ったりあたかも自分が悪いかのように謝ってたり、でも小夏は悪くないんだよ……。
ところでつか作品って改竄熱海と銀恋しか知らないのだけど、「田舎」のディティールが異様にうまくて舌を巻く。熱海の相撲、銀恋のミス農協。ミス農協のシーンでは客席から笑いが起こっていたけど、あれは意図された笑いなんだろうか。はたから見たらしょうもなく見えるかもしれないしそこへ拘ってるのってキツく感じるけど、あれはその人のプライドの象徴だし、それを笑うのはその人を踏みつけることだと思うんだよな。少なくともわたしはミス農協のことを笑えない。都会と田舎、「女」への視線、そういうものが詰まっていてどうしても悲哀を感じてしまう。つかこうへい的にはそのへんわかってやってると思うんだけど、石田先生のことをいまいち信用していないせいでそのへんどうなのかな〜と思ってしまう。
余談だけど、田舎のディティールといえばヤスと小夏の凱旋で出てきた村長が人のメダル勝手に噛みそうな嫌さがあってすごかった。
10月
雪組『CITY HUNTER/Fire Fever!』@東京宝塚劇場
11月
雪組『CITY HUNTER/Fire Fever!』@東京宝塚劇場
『イロアセル』@新国立劇場小劇場
海に浮かぶ小さな島。その島民たちの言葉にはそれぞれ固有の色がついている。それは風にのって空を漂い、いつ、どこで発言しても、誰の言葉なのかすぐに特定されてしまう。だから島民たちはウソをつかない。ウソをつけない。
ある日丘の上に檻が設置され、島の外から囚人と看守がやって来る。島民は気づく。彼らの前で話す時だけは、自分たちの言葉から色がなくなることに――。
新国立は裏切らない。演劇の想像の妙味を愛してるがゆえに、それを限定してくるような映像演出が鬼門気味なのだけど、これはいい映像の使い方だった。SNSをテーマにした作品もたいてい紋切り型だしオチや込められたメッセージが好きではないことが多いけど、イロアセルはブラックコメディ的切り口で面白く観れた。寓話っぽい。
花組『元禄バロックロック/The Fascination!』@宝塚大劇場
花、咲き乱れる国際都市、エド。そこには世界中から科学の粋が集められ、百花繚乱のバロック文化が形成されていた。
元赤穂藩藩士の優しく真面目な時計職人、クロノスケは、貧しいながらもエドで穏やかに暮らしていたが、ある日偶然にも時を戻せる時計を発明してしまい、人生が一変する。時計を利用し博打で大儲け、大金を手にしてすっかり人が変わってしまったのだ。我が世の春を謳歌するクロノスケであったが、女性関係だけは何故か時計が誤作動し、どうにも上手くいかない。その様子を見ながら妖しく微笑む女性が一人。彼女は自らをキラと名乗り、賭場の主であるという。クロノスケは次第に彼女の美しさに溺れ、爛れた愛を紡いでいくのだった。
一方、クロノスケの元へ、元赤穂藩家老クラノスケが訪ねてくる。コウズケノスケとの遺恨により切腹した主君、タクミノカミの仇を討つために協力してほしい、と頼みに来たのだ。だがそこにいたのは、かつての誠実な姿からは見る影も無くなってしまったクロノスケだった。時を巻き戻したいと嘆くクラノスケに、時計を握りしめ胸の奥が痛むクロノスケ。だが、次の言葉で表情が一変する。コウズケノスケには、キラと言う女の隠し子がいることを突き止めたと言うのだった・・・。
元禄時代に起きた実話をもとに、様々なフィクションを取り入れ紡がれてきた、忠臣蔵。古来より普遍的に愛されているこの物語を、愛とファンタジー溢れる令和の宝塚歌劇として、エンタメ感たっぷりにお送りします。
クロノスケとキラ、二人の時がシンクロし、エドの中心で愛が煌めく。バロックロックな世界で刻む、クロックロマネスク。
この公演は、演出家・谷貴矢の宝塚大劇場デビュー作となります。
こんなにおたく向けなビジュアル・設定なのに刺さるキャラクターがいない不思議。貴矢先生とはたぶんおたくとして違う方向を向いている。貴矢先生の作品って未来志向なんだよね。過去になにかしら瑕があっても、それは「乗り越えるべき」壁であって、最終的には明るい未来へ向かって笑顔で歩んでゆく。少年漫画の系譜。全然悪いことではないんだけど、自分のツボとはことごとく違うっていうだけの話です。個人的にはもっと過去の比重が高くて閉塞感のある物語やキャラクターが好き。もう凱旋門見とけよ。でも目に楽しいし普通に楽しく観れるからいいですね。タイムリープの原理はちょっと謎だったが……
今作で特筆すべきはショーの方だと思う。神のショー。観ながらずっと顎外れそうになってた。中村先生のショーはもとから好きなんだけどそういう次元ではなく、中村先生はとうとう神籍に入ったのかもしれないな……。オマージュの場面が多いという話だから、中村先生のキュレーターとしての才能がものすごいのかもしれない。これを作った中村先生もすごいけど、上級生から下級生まで誰が銀橋に出てきても納得できる、ちゃんとその役割を全うできている花組子もすごい。いいものを観た……。こんなおめでたいショーが三ヶ日にNHK BSで放送されるなんてぴったりすぎる!!!(宣伝)
二兎社『鴎外の怪談』@シアターウエスト
舞台となるのは千駄木・団子坂上の森鷗外の住居「観潮楼(かんちょうろう)」。この家は、歌会を催し、文学談義に花を咲かせるサロンである一方、帝国軍医としての鷗外に近しい軍人や官僚が出入りするなど、文学者にして官僚という、鷗外の「二つの頭脳」を象徴するような場でした。
家庭生活においても、鷗外は「二つの頭脳」の使い分けを余儀なくされていました。二度目の妻・しげと、鷗外の母・峰(みね)は、森家の主導権をめぐり、壮絶なバトルを繰り広げていたのです。鷗外は、しげに対しては「良い夫」、峰に対しては「良い息子」としてふるまうという、危ういバランスを生きていたのでした。ところが、社会主義者の幸徳秋水らが明治天皇の暗殺を企てたとする「大逆事件」が報じられると、文学者と官僚の二つの立場を行き来する鴎外の危うさがピーク に達します。
面白いんだけどどうしたって現代社会のことを考えてしまってつらい気持ちになる。鴎外の「結局こういう結末」って台詞は鴎外自身の人生のことだけじゃなく日本社会がずっと同じようなことを繰り返して今まで続いてるってことの風刺なわけだし。落ち込んじゃう。
鴎外は人から望まれる人間として生きていて、だから他の人から懇願されるとそちらへ引っ張られる。それは「やさしさ」とは呼べない。自分自身の生き方、責任から逃げている。鴎外自身もずっとそう感じていて、それの「ぶり返し」として発露したのが山縣有朋への直訴だけど、結局それを旧態の象徴である友人や母に阻止される。しげが男児を産んだことで義母から「一人前」って認められるの(相変わらずばちばちではあるけど)がグロテスクなのだけど、しげもそちら側に取り込まれてくのかなあ。
平出は唯一あの事件にきちんと立ち向かってたけど、「大いなる力」によって定められた結論ありきだから、彼がどれだけ尽力してもひっくり返ることは絶対にない。どうにかする力を持っていたはずの鴎外は結局その力を行使できないまま終わる。獄中から感謝を述べられるけど、真にあの手紙に励まされる資格があるのは平出だけなんだよな。
荷風は自称・他称ともに「不真面目」って言われる人だけど、その実は真面目な人なんだよな。ただ行動ができなかった。なんだかんだと事件から逃げ続けてた自分を許せないがゆえのあの転身。事件への向き合い方という視点では荷風の態度が自分に近いところがある気がするからちょっと居心地が悪い。平出と荷風の犬猿コンビはめちゃくちゃかわいい。久々に味方さんを見ました。
12月
宙組『バロンの末裔/Aquavitae!!』@福岡市民会館
貴族階級の支配が崩れ去った20世紀初頭のスコットランドを舞台に、男爵家に生まれた男が、双子の兄の婚約者への叶わぬ想いを胸に抱きながらも、愛する土地と人々を守る為、貴族的な潔さでダンディに生き抜く姿を描いた物語。1996年、月組の久世星佳のサヨナラ公演として上演され、心揺さぶる主題歌と共に鮮烈な印象を残した作品の初の再演となります。
アクアヴィーテというショーがとても好きで、再演があるなら絶対に行かなきゃでしょ〜と思って観てきた。アクアヴィーテが最高なのは語るまでもないんで割愛するとして、バロンの末裔の話。正塚先生の作品は結構好きなのです。台詞と間を大切にしてくれる先生。文明も価値観も新しくなる過渡期、旧態のものとして否定的・悲観的に描かれる印象が強い貴族という存在を「家名へのプライドではなく、そこにいる人々のために土地を守ること」という切り口であたたかく描くのが新鮮に響いた。ホテルに改装されるボールトン家、キャサリンとエドワードの関係性、形を変えても変わらないものの話だった。キャサリンとエドワードの選択と物語の結び方が大好き。
キャサリンがローレンスに返す言葉が、嘘ではあるけれども心からの言葉としても響く、というのがすごい。やっぱり潤花ちゃんのお芝居が好きです。銃のシーンのキャサリンとエドワードの掛け合いの集中力もすごい。潤花ちゃんだけでなく、誠実なもえこちゃん、人のいい桜木さん、二役を演じ分ける真風さん、全員よかったな……もしかしなくてもかなり宙組が好きだな!?
THE CONVOY SHOW『コンボ・イ・ランド』@こくみん共済coopホール
本田さんのおたくに連れて行ってもらいました。完全に周年記念公演って感じでお芝居として観たときに初見には優しくないけど、とにかくダンスのうまい若手が揃い踏みだからショータイムが楽しい。加藤さんのことが地味に好きたからだいたい加藤さんのことを見てたんだけど、ターンが綺麗で速くてものすごく目を引く子がいて、終わったあとにあの子誰?!って聞いたら山野光くんというらしい。183cmでガタイもいいんだよね。そろそろものごとの基準が宝塚になってきてて男役群舞みたいな場面が何回かあったなってなった。宝塚ではない。やっぱりダンスがうまいっていいことだなあ。
星組『柳生忍法帖/モアー・ダンディズム!』@東京宝塚劇場
山田風太郎の小説「柳生忍法帖」。史実にフィクションを織り交ぜ壮大なスケールで描く傑作時代小説の初の舞台化に、宝塚歌劇が挑みます。
寛永年間。暴政を敷く会津藩主・加藤明成を見限り出奔した家老・堀主水の一族に、復讐の手が迫る。明成は堀主水の断罪だけでは飽き足らず、幕府公認の縁切寺・東慶寺に匿われた堀一族の女たちをも武力をもって攫おうとする。しかしそれは、男の都合に振り回された生涯を送り、女の最後の避難場所として東慶寺を庇護してきた天樹院(豊臣秀頼の妻であった千姫)には許しがたい事であった。女の手で誅を下さねばならぬ。そう心定めた天樹院は、敵討ちを誓う女たちの指南役として、密かに一人の武芸者を招聘する。将軍家剣術指南役の嫡男ながら城勤めを嫌い、剣術修行に明け暮れる隻眼の天才剣士、柳生十兵衛。女たちを託された十兵衛は、死闘を繰り広げながら会津へと向かう。待ち受けるのは、藩を牛耳る謎の男・芦名銅伯と、銅伯の娘で明成の側室ゆら。果たして十兵衛たちは、凶悪な敵を打ち倒すことが出来るのか…。
作品の出来としては物足りない部分もあるんだけど、ストーリーが興味深かった。フェミニズム活劇みたいな話だった。
劇中何度も注釈が入るように、この物語自体は紛れもなく堀一族の女たちの話で、十兵衛は堀一族の女たちの物語を乗っ取らない。だけど同時に柳生忍法帖の主人公はちゃんと十兵衛で成り立ってるから、そこが不思議。十兵衛がちゃんとかっこいいのがキモなのかな。
十兵衛って、復讐のために立ち上がった女たちを性的な目で見ることもないし、なんならゆらとのラブ要素も薄い。そもそも作中で女の人を愛する描写自体がない(いやゆらに口づけはしてたけど)。十兵衛のかっこよさがあらわれるのは、たとえば最後にゆらをひとり弔う場面。ゆらは罪人だけど被害者でもあり、彼女を弔う者が十兵衛以外にいないからこそちゃんと弔ってやる。彼女の痛みをちゃんと理解している、そういうやさしさこそ十兵衛のかっこよさ。女を食いものにする男たちの中で育ってきたゆらが十兵衛に惚れるのはすごくよくわかる。すごく現代的なヒーロー像に思えるんだけど、原作は60年代に書かれてるんだよな。
十兵衛と虹七郎が刃を交える場面で、やろうと思えばかっこよく一騎討ちを描くこともできるのに最後は堀一族の女たち自身に討ち取らせるのとか、この復讐の主役は女たちだということ、仇である七本槍かっこよくは果てさせないぞという意図を感じる。時間の都合もあるかもだけど、みんなあっさり死んで散り際かっこよくないもん。そのへんのバランスもよかった。
ショーの方はもう、岡田敬二先生と同じ時代を生きて劇場でロマンチックレビューを観られている事実に感謝感激雨霰ですよ。星組では朝水さんと天路くんが好きなんだけど、ショーでちゃんと天路くんを見つけられて嬉しかった。かわいいし髪型のセンスがめちゃくちゃいい。
風姿花伝プロデュース『ダウト』@風姿花伝シアター
2004年ブロードウェイにて、 ストレートプレイとしては異例の一年以上のロングラン上演を記録し、 ピューリッツァー賞、トニー賞最優秀賞など数多くの演劇賞を受賞した作品。 1964年のニューヨーク・ブロンクスのミッションスクールを舞台に、 「疑い」をめぐって繰り広げられる緊迫した濃密な会話劇。
新国立は裏切らない、いや、小川絵梨子は裏切らない。劇場のアクセスが悪い以外は本当によかった。観に行こうと思えばこれを1,000円で観に行ける東京の高校生が羨ましくなってしまう。
副題の「疑いについての寓話」は、たびたび出てくる神父の説教のことでもあり、この芝居全体のことでもある。現代、特に日本の社会を考えたとき、校長の疑いが「勝つ」(厳密には作中でも「勝って」はいないのだけど)ところが絶対に現実ではなくて暗澹とする。やっぱり会話劇が好きだな。「タージマハルの衛兵」で知った亀田さんはもちろんのこと、校長役の那須さんがとてもよかった。
男性ブランココントライブ「てんどん記」@草月ホール
男性ブランコのコントライブ『てんどん記』(12/25 12:30)
急にお笑いにハマってる人に誘われて、自分からお笑いの現場のチケットをとるってなかなかしなさそうだからいい機会だと思って行ってきた。関西出身のくせにお笑いにとんと疎くて、キングオブコントも今年初めて見たレベルなんだけど、その中で男性ブランコはちょっと印象に残ったコンビだった。コントって形式自体が演劇的だけど、その中でも手法が特に演劇に近かった。
「てんどん記」はさらにその感じが強くて、独立した短いコントの連続でありつつ、「祝祭/鎮魂の祭り」、そして共通する「てんどん様」という謎が少しずつ露わになっていく構成なんだな、というのが冒頭の《旅》《ひよこ》で示されていたので、コントを見るというか普通にオムニバス演劇を観る感覚で臨んでしまった。○と◎は晴天と曇天、同じ「てんどん様」を祀ってるけど別な場所の話で……みたいな。めっちゃ考えちゃった。最初は同じ場所だけど別な時代(過去と未来)の話かと思ってた。落とし方はやっぱりコントだなって思ったけど。お笑いの単独ライブって短歌でいうところの連作みたいなものなんですね。
ラストのミカさんと易者(ではない)のエピソードは漫画でいう単行本のおまけ巻末漫画みたいな話だなと思いました。
というわけでまさかのお笑いで今年を締めた。1月2月でU25割引のある現場があれば教えてください。1月はちょっと既に立て込んでるけど、お得に観られるうちにいろいろ観ておきたい。ブログに感想を残してなさすぎてまとめるのが大変だったので来年はちゃんと残したいって毎年言ってるんだよな。
花組 アウグストゥス-尊厳ある者-/Cool Beast!!
STORY
ローマ史上初の皇帝となり、「尊厳者」を意味する“アウグストゥス”の称号を贈られたオクタヴィアヌス帝。彼はいかにして、志半ばで死したカエサルの後継者となったのか?
カエサルの腹心・アントニウスや、ブルートゥスらとの対立の果てに、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」の境地に至った若き英雄の姿を、フィクションと史実とを織り交ぜて描く。
紀元前46年。政敵ポンペイウスを討ち、ローマに帰還したカエサルの凱旋式当夜。ユリウス家の邸では、カエサルと敵対していた貴族たちとの和解の宴が催される。そこに現れた招かれざる客…それは、今は亡きポンペイウスの娘・ポンペイア。彼女は無謀にもカエサルに斬りかかり、父の仇を討とうとするが、ユリウス家の末裔であるカエサルの大甥・オクタヴィウスがそれを阻止する。オクタヴィウスは、ポンペイアを赦す事こそ真の和解の印だとカエサルに訴え、彼女を助けようとするのだが…
感想
作品の出来不出来と好き嫌い、テーマへの理解というのは別軸で成り立つ。アウグストゥスは作品として出来がいいとは思わないけれど(欠点も目につくので)「理解」できたし、好きな作品だった。田渕先生って、たぶん伝えたいことや先生の中での哲学みたいなものがしっかりある人で、それが脚本や演出よりかなり先走ってしまってるんじゃないかな……。で、荒削りな部分を、役者の力量(後述するけど本当に芝居がよかった)や、観客のテーマへの「共鳴」によって補っている、という印象。わたしは田渕先生の描きたいテーマにかなり共鳴しているから、すんなり理解につながったのだと思う。共鳴できなかった人には難しく感じるのかな。でも歴史ものにしてはストーリーは別に難しくないよね。田渕先生と5Gでつながっちゃってる*1からわかんないや……。
わたしは東宝の〈ロミオとジュリエット〉で延々とろくろを回していた経歴があり、それが本作を観るにあたっての手助けになっているんじゃないかと思うくらい、〈ロミオとジュリエット〉と共通項のある作品だと思っている。ロミジュリを理解した人間はアウグストゥスも理解できるはずなのだ……。特に、オクタヴィウスの「マッチョイズムの真逆にいる・出自(家柄)が恵まれた若者」というキャラクター造形はロミオと重なる。争いを嫌い、剣を抜くことをためらうオクタヴィウス。そんな彼の在り方・考え方は「それをしなくても済む」からこそ可能なのだけど、序盤は彼自身そのことに気がついていない。大叔父・カエサルの暗殺を契機に憎しみに呑まれかけたことで、同じく大切な人を殺されたポンペイアの憎しみをようやく理解する(このあたりもロミオっぽさがある)。だけど、オクタヴィウスのブルートゥスへの復讐が不発に終わり、「復讐を遂げて英雄になる」という望みは本当にオクタヴィウス自身が心から望んだことだったのか?という自己との対話がはじまる。自分はなぜ、なんのために、なにを為したいのか。憎しみや民衆の声に惑わされないように、必死に目を凝らして見えてきたのは、静かに祈りを捧げるポンペイアの姿だったのである……。みたいなことを受信している。人が亡くなっていくけれど決して悲劇ではなく、各人の祈りや意志へとつながり、開かれていく物語なのがよい。
ところで、オクタヴィウスと対照的にマッチョイズムの象徴として描かれるアントニウスの存在を考えたとき、オクタヴィウスを主役に据えるということ自体に未来志向を感じる。アントニウスのような「強い男性」像はこれまでいくらでも描かれてきていて(特に宝塚の男役だとよりそうなるのかも?)、なるほどたしかに多分に魅力を備えたキャラクターだと思う。だけど、そうじゃない男性にだって魅力はあるじゃないですか。革新的とまでは言わないけれど、オクタヴィウスという新しい男性主人公像を提示したかったのかな、という。まあオクタヴィウスの魅力についてはアグリッパに注釈つけさせてるし……。これはメタ的な読み方になってしまってあまり行儀はよくないと思うけれど、オクタヴィウスが柚香さんへの当てがきであることを考えると、田渕先生は柚香さんに宝塚の男役像の未来を見て/託していて、役者としてもかなり信頼を置いているのでは、と思った。門外漢なりに。
"Brainy is the new sexy*2"以来、メディアで多様な人間の魅力を描くのってすごく大事なことだと思っているので、そのあたりを組み込もうとする田渕先生の感覚を好ましく思う。〈ハリウッド・ゴシップ〉も雑にまとめればハリウッドという権威から「降りる」話だし、やっぱり田渕先生の描こうとしてるテーマは個人的にすごく馴染みやすい。だからこそ、もう少し頑張れるのでは?! と思ってしまうのだけど……。正直、メイン数名以外のキャラクターは持て余してしまっているように感じたし、役者の力量で補っているところもあるし。これだけ共鳴してしまっている自分でも、もしオクタヴィウスとポンペイアが柚香さんと華さんじゃなかったらどうだったかわからない……。こんなに芝居がうまくていいのか?と思うくらいふたりの間で交わされるお芝居がよすぎて、ずっと胸がつまりそうになりながら見ていました。このふたりがトップコンビとして芝居をしてるのなんて奇跡レベルじゃないですか。宝塚以外も含めて、ここまで密度の高い芝居を見れることってなかなかないんじゃないかな、と思ったのだけど、もしかしたらこれは宝塚だからこそ起こった化学反応なのかもしれない。なんにせよ、ふたりの芝居の目撃者になれたことを幸せに思います。
と、深夜にぐるぐる考えていたことを書き連ねたところで終わろうと思ったらCoolBeastに触れていないことに気がついたのでひとことだけ……すごい藤井先生って感じで、おおむね楽しかった。衣装が本当に素敵だった〜。
宝塚作品視聴記録#2(霧深きエルベのほとり、義経妖狐夢幻桜、CRYSTAL TAKARAZUKA)
忘れないうちにどんどん書いていくぞ!
霧深きエルベのほとり(星組・2019)
STORY
年に一度のビア祭りの初日を迎えて浮き立つドイツ北部の港町ハンブルグに、貨物船フランクフルト号が帰港する。船を降りた水夫のカール(紅)は、仲間たちと訪れた酒場でマルギット(綺咲)と出会う。カールは家出をしてきたというマルギットと店を抜け出してビア祭りを楽しむ。カールの粗野な振る舞いの奥に見える純粋さに惹かれて、マルギットは恋に落ちる。一方、古都リューネブルクでは、上流階級の青年フロリアン(礼)がマルギットを探していた。マルギットは実は名門シュラック家の長女で、フロリアンはその許嫁だった。エルベ河の畔で一夜を共にしたカールとマルギット。マルギットの持つ本当の優しさを知ったカールは、真剣に彼女を愛するようになり、真面目に彼女に求婚する・・・。
感想
脚本はあの菊田一夫演劇賞の菊田一夫氏、潤色・演出は上田久美子先生。星組のお芝居を見るのはこれが初めて。すっっっ………ごいよかった。まずオープニングからいいですから。色づかいも衣装も好き。
カールのように対外的には道化を演じているけれど内に誠実と悲哀を秘めている、というキャラクターは珍しくないし、ストーリーとしてもシンプルなものだったと思う。だから展開としては予想していた通りに進んでいったんですよね。それなのになぜこんなにも泣けるのか。序盤はけっこうカールの芝居のクセが強く、キャラクターとしても決して「かっこいい男性」ではないので、どうなるだろうと思っていたのだけど、結果爆泣きするという……。うっかり紅さんを好きになるの巻。手切金を持ってシュラック邸を後にして、マルギットのピアノを聴きながらひとりごちるカールの台詞(もしも俺が文士だったら)、ヴェロニカに向けて、カールがマルギットへの本心を吐露する場面の良さったらない。
船の停泊期間だけ港町でかりそめの恋をする、そう謳われる船乗りたちの中で、もっともそのレッテルにふさわしい振る舞いをしているようでいて、その実とても誠実に恋に向き合ってきたカール。マルギットと出会ったときにどうしてあんなに切ない瞳で彼女を見つめているんだろうと不思議だったのだけど、前の恋人であるアンゼリカのこともあって、マルギットに惚れたときもたくさん予防線を張って張って、それでも抗えないくらい惹かれてしまって、という切実な気持ちがあらわれている瞳だったんだなと。
マルギットが無意識のうちに見せるカール(の職業)を低く見るような態度、しかもそれにマルギットがまるで気づいていないのがかなりえげつないのだけど、それを諌めるフロリアンの存在がまたよい。フロリアンは他者への理解が深くて、深いからこそマルギットとカールを引き裂こうとはしない。前述のようにマルギットを諌めたりもする。カールはマルギットが幸せになるために身を引いたけれど、フロリアンはフロリアンでマルギットの意志と彼らふたりが愛し合っていることを尊重して身を引く。考え方や方法は違えど、マルギットのことを考えて行動しているふたり……。
しょうもないおたくなので七海ひろきさん演じるトビアスの「そんな相手が……(石で水を切る)いるのかい」のところを3回ほど繰り返し再生しました。本当にしょうもないおたく。
義経妖狐夢幻桜(雪組・2018)
STORY
ヨシツネはかつて天才的軍略で平家を打倒した英雄であったが、その存在を危険視した兄ヨリトモによって陥れられ、追われる身となっていた。あてどない逃避行の末、自分がどこにいるのかもわからなくなっていたある日、ヨシツネはツネと名乗るキツネ憑きの少女と出会う。少女の願いを一つ叶えるという約束と引き換えに、ただ一人の従者ベンケイと共に果てなき雪の隠れ里に誘われていくと、そこは奇妙に文明の進んだ不思議な村だった。村で久しぶりの休息をとったヨシツネ達は再び出発しようとしたが、雪に惑わされ、何度やっても村に戻ってきてしまう。村人たちは、それこそツネの幻術であり、その代わりこの村には無限の安息があると笑うのだった。一方その頃、ヨシツネを追うため村への入口を探すヨリトモの前にもツネが現れ、同じく夢幻の里へと誘っていく・・・。
感想
朝美さん主演のバウ公演。個人的な問題で注意力散漫な状態で見てしまってほとんど内容が入ってきていないので、また良きタイミングで見られたらいいな……。ビジュアル的にはWeb小説原作の華流ドラマ感があるなと思っていたのだけど、ノリやキャラクター造型は劇団☆新感線っぽさがあった。特にその成分を背負っていたのがエイサイ。演じられていた久城あすさんがうまかったです。ああいうキャラは楽しそうに悪事を働いていればいるほどよい。楽しそうでなにより。
朝美さんの、すこし眉根を寄せて目を眇めるような表情が特に好きです。美形が顔を歪めるのはいつ何時見てもいい。バウ初主演ということで感極まっていたのか挨拶がしっちゃかめっちゃかになっていたので、ひとりで応援上映を実施しました。
CRYSTAL TAKARAZUKA-イメージの結晶-(月組・2017)
引き続き中村暁先生とはあんまり気が合わないと思ってるけど、このショーは嫌いじゃない。なんといっても人形に変えられたオランピアを演じる愛希さんのダンスがすごい。永久保存版。
4月末から見た宝塚作品まとめ
前回エントリで少し触れたのだけど、絶賛宝塚を学んでいます。
もともと周囲で宝塚にはまっている人が多かったのもあり、ちょこちょこ劇場に観に行くことはしていたのだけど(たしか雪組の凱旋門あたりから)、誰かに熱を上げるとか、贔屓にしたい組があったりとか……の感覚が得られずだったので、自分にはてっきり宝塚の才能がないのかなと思っていたところに急に謎の感情が生まれて困惑……自分で自分がわからない……ということで、この感情の正体と出自を探るために次回公演のチケットを取り、それまでは主にSKY STAGEで直近のタカラヅカを詰め込み学習中です。スカステではなんと一日中タカラヅカの映像が見れるのだ。すごい。世間のニュースよりタカラヅカニュースに詳しくなってしまう。
そんなこんなで、スカステとタカラヅカオンデマンド(+NHK BS)で見た宝塚作品を雑な感想とともにまとめていくぞ!!!
雪組
芝居
ドン・ジュアン(2016)
「絶対好きだよ」「手叩きながら見そう」などとヅカオタの先達からさんざんな言われようだった『ドン・ジュアン』を手はじめに見た。この先嵐に遭おうとも、生田先生のことを愛し抜こうと決めた。*1言わずもがな、ドン・カルロのことが好きでたまらない。「ドン・ジュアンに友人なんていなかった」と言われてもなお、ドン・ジュアンの死後、友よ……と語りかけるドン・カルロからはじまる時点で、そういうね……そこを描きたいんだよね……ってなるじゃん。神への根深い不信によって悪行を重ねるドン・ジュアンにずっと神への信仰と愛を説いてきたドン・カルロが、愛に殉じていったドン・ジュアンのことを「わからない」と回顧してるのが最高ポイント。ということで、〈悪の華〉をiTunesで購入して以来ずっと聴いています。♪違う……違う……違う……間違ってる……
個人的に彩みちるちゃんのことが妙に好きなので、みちるちゃんがヒロインだったのもうれしい。
壬生義士伝(2019)
鹿鳴館に集まった人々の回想というかたちで新撰組にいた吉村という男についての話が展開されるのだけど、そのせいで紙芝居みたいになってしまってたのが気になる。吉村はこういう男だった(暗転)回想(暗転)そういえばこういうこともあった(暗転)みたいな。鹿鳴館のシーンで毎度現実に引き戻されてしまうし、そこでいちいち入る小ネタもいまいち笑えなくてなんというか……外国人キャラクターのカタコト表現って必要と思えないし、正直ノイズだなあと思った。
斎藤一と大野次郎右衛門の感情バトルfeat.全くブレない吉村って感じは見ててちょっと面白くなってきて、基本的にはじめくんの圧倒的攻勢なんだけど(そもそも中盤はじろえの霊圧がない)、最後に手ずからおにぎりを握ったりしてじろえがぐいぐい盛り返してくるから思わず脳内実況しそうになってしまった。大野選手頑張っています。なんなんだ本当に。おもさげながんす。
朝美さんのはじめくんはやたらオラついててかっこよく、もう朝美絢で宝塚版ミュージカル薄桜鬼*2を上演しなさいという気持ちになりながら見ていた。はじめくんのキャラは薄桜鬼とは随分違うけど……。
とまあ、脚本/演出は置いておくとして、望海さんや真彩さんの演技と歌はすこぶるよかった。おもさげながんす……(言いたいだけ)。
ONCE UPON A TIME IN AMERICA(2020)
これの前にパッションダムールを見て眞ノ宮るいくん……♡になっていたので眞ノ宮くんの台詞からはじまったことにややウケていました。
見ながら「これ絶対原作はヌードルスとマックスが主軸でしょ」と思ったら本当にそうらしい。物語としてはそっちの方が自分好みというのもあるけど、ヌードルスとデボラの話に改変したことで(宝塚に持ってくるには必要な改変なんだろうけど)話がちょっとブレてしまってる感は否めない。
とはいえ、ヌードルスとデボラの対比は好き。同じロウアー・イーストサイドで生まれ育って同じ志を持っているはずのふたりが、真逆の場所で成り上がっていって、だからこそ徹底的に交われないという……。裏社会と関わりを持つヌードルスにデボラはずっとNOを言い続けていて、でもヌードルスはそこ以外でどうやって金を稼いで「皇帝」になればいいのかわからないから抜けられない。デボラの言い分はすごくよくわかるのだけど、自己責任論を感じてしまうところもあり……。こういうのはね、社会が悪いんですよ(急に?)。ヌードルスが少年時代に殺人で服役してることを考えると余計につらい。デボラはヌードルスを受け入れられないし(愛していたとしても)、ヌードルスは生き方を変えることができない。少年少女時代に一度だけ交差して以来ずっとすれ違っていたふたり……。
マックスがヌードルスから手柄としてもらった懐中時計をずっと持ってるのどうかと思うんですが……あと服役後にサイズぴったりのスーツプレゼントするのとか。対キャロルの挙動を見てても、キャロルはそんなDV男やめときなさいよと思ってしまう(犬のエピソードやばくて 手を叩いて喜んでしまった)んだけど、守ってあげたくなっちゃうんだろうな……それはもう、しょうがないよね。人間と人間のあいだだと、理屈なんてどうでもよくなることあるから。誰?
本編がめちゃくちゃ好きかと言われたらそうでもないのだけど、フィナーレはめちゃくちゃ好き。男役群舞が最高。という話をしながら友達とフィナーレを見ていたら、「この(彩風)咲奈はつっこちゃんの好きな咲奈やろ」と言われてしまった。正解です。キャロル役の朝美さんはOP(男役)→本編(女役)→フィナーレ(男役)→階段降り(女役)で大変そうだった。男役に女役をあてるのっていまいちよくわからないんだけど、いつかわかる日が来るのだろうか。
ソルフェリーノの夜明け(2010)
彩風さんがこれの新人公演で初主演ということもあって見た。本公演ではイタリア負傷兵で、単独で目立つ場面があるわけではないけど、教会のお手伝いなどをしていてかわいかったのと腰に布を巻いてるせいでウエストマークみたいになって余計に脚が長かった……。
赤十字思想誕生150周年記念公演ということで、赤十字がどういう思想のもと誕生したのか、というのを描いた作品。若干まんが伝記シリーズっぽさがある。あれ小さいころめちゃくちゃ読んでたんですよ。
愛原さんって雪組のトップ娘役だったんだ、ということをここで知る。そして彩吹真央さんがかっこいい。
仁-JIN-(2012)
沙央さんがかわいい。印象に残るのは佐分利(沙央さん)と山田くん(彩凪さん)のかけ合い、恭太郎(未涼さん)と龍馬(早霧さん)の相反するふたり。
過去へのタイムスリップものには必須の「自分が歴史に干渉してしまったら未来はどうなるのか?」というジレンマはあるにはあったけど要素薄めで、どっちかというと南方先生の恋人を救えなかったトラウマ由来の「先人がすでに発見した知識を利用してるだけで本当の自分は大したことがない」という葛藤にフォーカスされてた感じ。タイムスリップしたことより目の前の人命に向き合う南方先生リスペクト。
巻数のある原作をまとめるとなると仕方ないのかなとは思いつつ、謎の赤子の声の回収が唐突だった気がする。急に龍馬お前だったのか(©︎ごんぎつね)ってなってたけど、なんでわかったんだろう。わたしが流し見だったせいなのかいまいちよくわからなかった。
彩風さんはふくふく元気のよい小悪党という感じでかわいかったです。齋藤先生×漫画原作ということで今度のCITY HUNTERどうなるかなあという方が気になっている……。
ショー
Music Revolution(2019)
先に望海さんサヨナラショーを見ていたので元ネタの曲だ! という感動が。中盤出てくるダイナミックな色づかいのフリフリの衣装、たぶん好き嫌いあると思うんだけど個人的には結構好き。見たのが最初の方だったのと同じ時期に見たのとでMRとドSが混じってしまってるところがあり、彩風さんがかっこよく登場してかっこよく踊る場面があったのはMRだったかドSだったか……どっちもかもしれない。だいたいかっこよく踊っているので。
Dramatic"S"!(2017)
私の愛する人のイニシャルはS〜♪ってトップコンビのおたくも単推しもどっちにも適用できるいい歌詞だな。前述の通りMRと混じってしまってるんだけど、サプールやってたのはこっちのはず。芝居以上にショーは即感想を残しておかないと思い出すきっかけが難しい。
パッション・ダムール(2020)
雪組の下級生中心に出演した専科の凪七さんのコンサートで、見といたほうがいいよ〜と勧められたから見た。すごく好きなコンサートだった……。雪組には素敵な下級生がいっぱいいるんだな〜というのを知れたことも含めて、見れてよかった。
岡田先生のロマンチック・レビューというシリーズから場面を集めて構成されているのだけど、どの場面も本当に素敵。カテコでお話が出た、岡田先生は「清潔・上品・ロマンチック」をレビューをつくるうえで大切にしている、というのがまさしく体現されていて、「宝塚」を見たぞ! と思えるコンサート。衣装のセンスや色づかいもまるっと好き。革新的な要素はないのかもしれないけど、とにかく大満足した。
お気に入りの場面はたくさんあるけど、サスペンダーで男役が踊る場面は今度の全国ツアーのル・ポァゾンにもあるとのことなので楽しみ。彩風さんのジゴロ絶対似合うしすでに興奮気味です。コンサート全体的に縣くんがガンガン推されていたけど、ここの縣くんはダンスがうますぎて笑ってしまうという域に達していた。ダンスのことはよくわからないなりに、キメ・静止の仕方が綺麗な人が好きだから縣くんも漏れなく好き。体格からすでに最高ですが。
あとはやっぱり二幕冒頭のタンゴからのPARADISOが最高。縣くんはもちろんのこと、眞ノ宮くんにメロメロになって繰り返し繰り返し見た。凪七さん・眞ノ宮くん・縣くんの三人が太ストライプの明度違いのスーツというのが、二人が凪七さんの影のようにも見えてグッときた。ジゴロとPARADISOはジャニオタ(特にJr.担)通ってると余計に響くんじゃないかなと思った。
娘役だと2021年版「さよなら皆様」で選抜されている有栖妃華ちゃんが歌がうまくてかわいくてかわいくてかわいいです。全然名前負けしてない。
Greatest HITS!(2016)
彩風さんならこれを見てほしいと言われていたグレイテストヒッツ。スカステに加入した5月がちょうど稲葉先生のショーの特集が組まれていて何本か見た感じ、稲葉先生とは趣味が合わない予感がする。衣装とか小芝居のセンスが好みではない……。GHはわりと好きな方。ベートーベンの運命をアレンジした曲にのせて望海さんを翻弄する彩風さんのダンスと表情がすごくいい。無邪気に遊ぶ子供みたいで……。目的を果たしたら途端に興味をうしなうとことか。でもやっぱり稲葉先生とは性癖が合わないんだろうなとも思う。
踊ってる彩風さんを見ていて、自分の傾向として楽しそうに踊る人、首の可動域が広い人が好きだからさもありなん、と思った。
GOLD SPARK!-この一瞬を永遠に-(2012)
中村暁先生のショーも最近見る機会が多い。けど稲葉先生以上に趣味が合わない気がしている。
ご本人がいい位置にいるからというのは重々承知のうえで、OPの総踊りでは秒で彩風さんを視認できて、48GとJr.とプデュで培った動体視力があってよかったなと思っていたら赤い鳥の場面では全然見つけられなかった。わからん!と匙を投げたところで、真っ白な彩風さんと彩凪さんが銀橋を渡りながら歌いはじめたからびっくりしてベッドから転げ落ちてしまった。彩彩と呼ばれてコンビ扱いされてるのは知ってたけどこういう感じで出てたんだな〜と。階段降り然り。アイドル場面でも彩凪さんとシンメ位置でふくふくニコニコしながら歌って踊ってるのがすごいかわいくて2012年を強く感じた。ここからの積み重ねで今があるんだなというのも……まあ当たり前なんですが。
音月さんがめちゃくちゃかっこよかったので見ている間ずっと「けいくん」と呼んでいました。
花組
芝居
金色の砂漠(2017)
とりあえず上田久美子作演の芝居を見ろと言われているので素直に見た。「コンサバ見たら手叩きながら床びしょびしょにしそう」という悪口を言われていたのだけど、遠からずという感じだった。「復讐こそ我が恋」って歌詞が本当にいい。わたしは憎しみで繋がっている(少なくとも傍目にはそう見えるし、当人たちもむちゃくちゃになっている)ふたりがものすごく好きなのである。
タルハーミネとギィの場合、彼らが主人と奴隷という立場である限り世間一般でいうところの「恋」をやるわけにはいかない、という固定観念があるわけで。そんなのバカバカしいって一蹴してしまったら終わりなんだけど、それができないのがあのふたりというか、タルハーミネなんだよな。テオドロスがイスファンの奴隷制度の歪さを指摘しても「そういうもの」だから、って取り合わないあたり、タルハーミネは王族の自分が奴隷に恋することは許されない/自分が許さないけど、だからこそ専属の奴隷という鎖でギィを繋いでおきたかったという無意識があるんじゃないかなと思う。イスファンから遠く離れた金色の砂漠でしかふたりは抱き合えないのだ……だんだん炎の蜃気楼みたいな話になってきたな。
個人的にはテオドロスのキャラクター造形が好き。ギィを犠牲にしてからは父親と同じく赤い衣装を身にまとうタルハーミネとは対照的に、テオドロスははじめから終わりまで真っ青な豪奢なお召し物。イスファンに染まらないテオドロスを象徴するかのような。あっさり国に帰っていくあたりがテオドロスらしくていい。スタイリッシュにタルハーミネの膝枕にありつく場面がすごい好き。
そしてシンプルにゴラーズ様に泣く。
はいからさんが通る(2017)
映像は2020年のものだけど。はいからさん、めっちゃよくないですか。そもそも紅緒と少尉みたいなカップリング好きすぎるんだよな……。ラストのキスシーンで少尉が紅緒の手を自分の腰に回させるところにめちゃくちゃ萌えた。
漫画原作の舞台という意味ではこれも2.5次元に分類されるんだろうけど、不思議とそんな感覚はなく、2.5次元化(というのも変な言葉だが)というより「宝塚化」なんだなと思った。
紅緒がとても主体的・能動的な人物であったり、劇中でも平塚らいてうへの言及があったり舞台が女性の社会進出が進んだ時代だったり、原作はかなり昔の作品だけど、そういうところに現代の宝塚で上演する意味というか、意図を感じる。
中学生時分だったら鬼島軍曹が好きすぎただろうな〜と思いながらpixiv百科事典を読んでたら、過去の内容もさることながら結びがなかなかエモーショナルだったのでオススメです。
ショー
DANCE OLYMPIA(2020)
一幕が予想してた感じと違って初見時かなり困惑した。とりあえずアキレウス様に萌えればいいのか……? って。他にいろいろ見たあと振り返ってみると稲葉先生っぽいなと思う。
EXCITER!2018(2018)
これは当時観に行った。富山に。なんで? しかも藤井先生と同じ日の観劇だった。当時も楽しかった記憶があるけど、改めて映像を見るとノリノリなショーで問答無用に楽しくなれるから在宅勤務中によく流してる。花組は飛龍つかさくんが本当にかわいいと思っています。チェンジボックスの場面、特にビューティマイティのくだりは本当にバカだなと思うんだけど、クセになってしまう中毒性がある。しかもあんなにバカなのにカッコいいんだよな……。という感じで藤井先生のショーはわりと好き。
シャルム!(2019)
在宅勤務のBGVとして見たから流し見ではあるんだけど、華優希さんがこの世のものとは思えないかわいさで存在しているショー。ピンクのドレスを身に纏って魔法の杖を振りながら舞台を横切っていく姿が驚異的にかわいい。全景ショットになって気づくのだけど、もはや描く軌道、ドレスの裾の動き、というところまでかわいいのである……。
シャルムの主題歌は各所で耳にしていたので、ようやく本家を聴けて満足。メロディが耳に残るいい曲だと思う。オタクだからなのかショーの主題歌が本当に好きで、もはや主題歌のために見てるところがある。
宙組
芝居
オーシャンズ11(2019)
「絶対悲劇的な展開にならない」という確信と安心感を持って見られる明るくて楽しい舞台。真風さんの演技がやたらとトレンディ。真風さんのかっこよさは「かっこいい」というひとつの芸なのだな……。真風さんのこと好きになっちゃった。
主人公サイドのキャラクターが多い、かつそれぞれ特徴的だから顔見せにはいい演目だなと思う。ミーハーだから和希そらくんが結構好きなのだけど、ライナスはキャラクターが多い中でフォーカスされてて、期待の若手に担わせる役なんだろうな〜という感じ。オーシャンズ11の中でも若いことと偉大な父親へのコンプレックスもあって、ひとりだけごくせんのエピソードみたいになっててかわいい。
宝塚偏差値がちょっとだけ上がったいま、これまでのキャスト表を見ると、かなり「わかる」配役だった。望海さんのベネディクト、瀬戸さんのフランク・カットンはちょっと見たすぎるので今度花組オーシャンズも見ようと思う(前にBSで放送したとき録画して見てない)。
夢千鳥(2021)
前述の通りの和希そらくんへのミーハー心に加えて、「好きだと思う」って勧められて配信を買って見た。初・バウホール作品。オチで失速した感はあるけど、演出もつくりもすごく好みの作品だった。舞台のセットがシンプルで、これは個人的な好みともマッチしてるし(これは小劇場だからこそというのもあるだろうし、大劇場の舞台装置もそれはそれでいいものです)、それによって転換がただの転換でなく、効果的に機能したのかなと思う。現実と映画の世界(あるいは夢二の現実、または白澤の心象風景)を行き来するからおのずと場転は多くなるけどそれを感じさせず芝居に没入できたからすごい。
夢二のやってることは本当にクソ男なんだけど、ああいう「かわいそう」が核にあるタイプはどうしてもかわいくて惹かれてしまう人が多いのもわかる。わたしも創作ではすごく好きなので。クソ男……かわいそう……かわいい……が延々とループしてた。わたしはたまきと夢二みたいなカップリングが本当に本当に好きだからタンゴの場面もたまきの怖さにも大興奮だった。夢二が君は異常だ! って言ってたまきから逃げ出すところまで含めていい。
夢二が「青い鳥」を求め続けたのは幼少期に唯一自分の理解者だった姉の言葉に無意識のうちに縛られていたからで、その思い込みから夢二を解き放つのきっかけになるのが彦乃の父親の言葉ってことだと思うけど、それって『青い鳥』の筋書き通りだし、夢二は自分で『青い鳥』読まなかったのかな? というのがちょっと腑に落ちなかったのだけど、調べてたらメーテルリンクの原著はもう少し違う意味を孕んでる可能性が見えてきたので逆にわたしが『青い鳥』を読もうと思う。
白澤が夢二が自分のもとを去っていくお葉にかける言葉を書きかえたのは、白澤自身が夢二を追体験することによって、いま自分の掌中にある「青い鳥」の卵を大切にあたためようと思ったから、そして蟻地獄にいる夢二を映画の中では掬い上げてあげようと思ったから、と思うんだけど、わたしはお葉にすがりつく惨めでかわいそうな夢二のことも愛してるんだよな……。急に性癖の話をしてます。
恥ずかしながら宙組の娘役のことを全然知らなかったのだけど(男役もだけど)、みんなうまいんだなと思った。特に琴乃役の山吹ひばりちゃんのお芝居がすごくよかった。105期て……。これは個人的な問題だけど、夢二と琴乃の駆け落ちの場面でPTSDになった。
あらゆる趣味が合う予感がしている栗田優香先生もこれがデビュー作ということで、今後の作品は組や出演者にかかわらず観に行っておきたいな〜と思った。
リッツ・ホテルくらいに大きなダイヤモンド(2019)
なぜか瑠風くんのことが妙に気になっているので見た。これもバウ作品。幕開け即パーシー(鷹翔千空くん)からジョン(瑠風くん)への異常な矢印ソングが飛び出してきて、これジョンが主人公でいいんだよな? って確認した。最初に感じた違和感はある意味では合ってて、終わったあともずっとパーシーのことを考えてる。
パーシーはキスミンと違って外の世界に触れていたけど、ジョンの前には誰も家に連れてこなかった、ということは、パーシーは「楽園」に招かれる客が殺されることに抵抗を感じていた、ということだと思う。そんなパーシーがなぜジョンを家に招いたのか、というのは劇中で彼自身が「手にかけなければならないとわかっていても、ジョンをひと夏だけでも自分ひとりのものにしたかった」と説明しているし、実際それは本心だと思う。だけど、彼が家督を継ぐために、その通過儀礼としてジョンを殺す必要があったんじゃないか、とも思う。パーシーがそれを意識していたかは別として。ジョンのような存在に惹かれる自分は「楽園」を守るためには邪魔になってしまうから、決別のために。
パーシーにとってジョンの存在は「知らない方がよかったこと」だったんだろうか? ジョンは貧乏で、だけど魅力に溢れたみんなの憧れで、パーシーの言う「経済」の基準でははかれない存在だった。彼に出会ったことでパーシーは、「楽園」への疑問をより強く確信してしまったんじゃないのか。
ジョンが結局キスミンの手を取るところがすごく悲しく思える。もしキスミンがいなかったら、ジョンはパーシーの手を引いていただろうか? そしてもしジョンがパーシーの手を引いてくれたとしたら、パーシーは「楽園」を抜け出せたんだろうか。ダイヤモンドの山を捨てて貧乏に生きるという選択ができない人たち、そうやって生まれて生きてきた人たちが口々に祈りを捧げる中、静かに涙を流すパーシーを見ながらそんなことを考えた。
瑠風くんはとにかく声がよくて、歌もだけど芝居でも声がよく通る。ジョンがキスミンへ呼びかける〈I'm calling you〉は特に瑠風くんの声質に合ってて素敵だった。しかしもう黒塗りは勘弁してくれ……。
ショー
ハッスル・メイツ!(2018)
和希そらくん主演のショー。なんとなく見てたんだけど中盤の小芝居で結構真面目になんなんだ、と思ってしまった。石田先生とは合わないんだなと思うことにした。
クラシカル ビジュー(2017)
真風さんがすごい芸当を披露していた。フィギュアスケートペアで見たことがあるようなリフト。
VIVA!FESTA!(2017)
ネコハジャが流れてきて爆笑してしまった。ネコハジャ大好きなので。正確にはPRODUCE 101 SEASON2の課題曲になってたネコハジャが大好き。高田くんが頑張ってるやつ。
▲セウンが好きなんだけど改めて見ると全然映ってなかった
ネコハジャ選抜に瑠風くんも和希そらくんもいたのでそこだけ永久リピートしてます。博多座では和希そらくんがセンターを張っていたと耳にしたのでいつか見たい。ひとしきりネコハジャを堪能したあとに冷静になって「なぜ……?」と思うまでがセット。
アクアヴィーテ!!~生命の水~(2019)
▲イメージビデオみたいになっててなんだこれ……って気持ちになれるのでオススメ
シンプルに愛してる……って、真風さんが、真風さんがアタシにそう言ってくれたの。みたいな気持ちになりながら見てしまうし、それが正しい楽しみ方な気がしてくるショー、アクアヴィーテ。途中いきなり私のホストちゃんがはじまるけど許してしまう。やっぱり藤井先生のこと好きなのかもしれない……。
月組
ショー
GOLDEN JAZZ(2015)
これも見たのが前すぎて愛希さんがガッツリ踊る場面(おそらくジャズの起源の場面)と冒頭に朝美さんがドラムを叩いてる場面のことしか覚えていない……やっぱり愛希さん好きだなと思う。
星組
ショー
ESTRELLAS(2019)
これは見たショーの中でも異色で、JPOPやKPOPを多用していたんだけどいまいち選曲が自分の好みと合わず……。
こうして並べてみると結構見てる気がするし、組がかなり偏ってるなという感じなんだけど、月組と星組は録画してるけどまだ見れてないものが大量にあるので……。見れば見るほど解像度も上がっていくので、どんどん宙組のことを好きになってきています。やっぱり過去の公演だと組替えや退団もあって難しいな〜と思いつつ、『おとめ』を引き引き見てます。
今後放送するおすすめ作品があれば教えてください。正座して真面目に見るので。