夢と現実いったりきたり

それでも生きていく、ということ/Dステ「アメリカ」

 

 

作・演出に小劇場界を代表する劇作家、THE SHAMPOO HAT赤堀雅秋氏を迎え、赤堀氏の代表作「アメリカ」に挑戦。脚本に大胆な改訂を加え、登場人物も増え、まさに2010年のD-BOYS STAGEのための「アメリカ」となった。演劇の聖地、本多劇場紀伊國屋ホールでの初の公演、また大阪以外の名古屋、新潟での公演も初めてであった。
築30年ほどのボロアパートの一室を舞台にした過去と現在の物語。劇団の公演を目前に控えた弟の部屋には、いつものように仲間が集まっていた。台本の執筆は一行に進まず、息詰まる空気を打ち破る事ができない。一方現在、兄は弟が姿を消したその部屋に遺品整理のために訪れていた。兄と弟…隔てられた2人の気持ちが交差することはあるのだろうか?

 

 

 「TRUMP」と「淋しいマグネット」を見た後、次何見ようかなと思ってたところに「好きだと思う」ってすすめてもらった「アメリカ」。当たり前に好きでした。

 

 私は映像で見たから余計にだけど、この作品は、稔に手向けられた花束から始まる。真赤な情景とパッヘルベルのカノンも印象的。これらはラストシーンとも共通している。あの真赤な情景に、夕陽の光という表現は似つかわしくない気がする。あれこそ「赤光」だ、と感じた。ちゃんと読んだことはないけど、斎藤茂吉の『赤光』という詩集があって、どうやらこの赤い光は狂人の精神状態と結びついているらしい、と、芥川の『歯車』を読んだとき耳にした。「アメリカ」の人たちは、みんな少しずつ不自然で、でもそこから目を背けていて、息苦しい。あからさまな狂人がいるわけではないけれど、どこかにしこりがある人たちばかりだった。

 

 中でも一番、「歪み」があるなあと感じたのは、荒木さん演じる清。弟が死んでも、涙一つ見せず、平気なふりをしている。本心を誤魔化しているところも、困った時に浮べる作り笑いも、上司からの電話に不自然なほど笑い声をあげるのも、なんか痛々しくて、後輩が「頭にくる」って言うのも仕方がないと思う。離婚したばかりで、鬱病を患ってて、潔癖症っぽい。「あの人アッチ系じゃないよね?」って言われてたけど、私は割と真面目にそうなんじゃないかな、と思う。直観的なものでしかないけど、それがしっくりくる。隣人が「『仮面』の『仮』だよ!」と何度も言うけど、その言葉はいつも清に向けられていて、離婚した奥さんとは仮面夫婦だったのかなあ、とか考えてしまった。いつも平気なふりをしている=仮面をかぶっている清、という意味かもしれないし、それとも全く意味なんてないのかもしれないけど。

 

 このお芝居では、何かと印象的なものが多い。窓。時間。煙草。トイレ。だけどそのどれも、明確な意味は明かされない。登場人物のことも、「どうして?」と引っかかることがたくさんあるけれど、明かされないどころか一切触れられないまま終わっているものの方が多い。たとえば、森くんはどうして骨折しているのかとか、兄弟がどうして10年もの間会っていなかったのかとか、稔がどうして異常にトイレに行っていたのかとか。明かされない、というのが、あまりにもリアルすぎた。私なりに「納得のいく答え」を勝手に導き出してしまいそうになるけれど、人間と人間と人間の間に生まれるドラマって、そんな単純な謎解きなんかじゃない。因果関係ってもっともっと入り組んでいて、本人たちですらわからないくらい細かいことが少しずつ影響しあって織りなされるものなんだよな、と思った。

 

 ただ唯一わかることは、彼らみんながそれぞれに複雑な思いを抱えていて、それを口に出そうとはしないということ。出さない、というより、出せない、という方が正しいかもしれない。それは、口に出す勇気がなかったり、相手への遠慮だったり、はたまた自分自身でも気が付いていなかったりするからなんだろうなと思う。いくらバカなことをやっていても、彼らは既に子供じゃなかったから。いろんなもやもやや、許せないことや、悔しいことや、そういうものって解決しないことがほとんどで、でもそれでもなんとか毎日生きていかなきゃいけない。目を背けながら、口を噤みながら、だましだまし生きている人間たち。私は彼らを愛しく思う。

 

 だけどやっぱり、いつまでも向かい合うことを避けたままでは生きていかれなくて、それがラストシーンで描かれた兄弟の邂逅だったのかな、と思います。アメリカに旅立つ準備をする稔を見つけて、心底嬉しそうな顔をする清。子供のころのように、輪ゴムの銃で稔を狙う清。いくら命中させても声をかけても気が付かない稔に、これは自分の幻覚(もしくは夢)なのだと気が付いて崩れていく表情がとても素敵でした。本当に稔が銃に撃たれて死んだのだとしたら、「輪ゴムの銃」というのも切なくなるアイテムだな、と思う。果たしてラストの稔の表情は何に向けられたものだったのか、決して交わるはずのない二人の視線は交錯したのか? というのも人によるだろうけど、どちらにせよ、清が稔に対する未練から少し解放されたことを示しているんだと思った。鳴り響くカノンが、彼らの訣別をより際立たせているようだった。明るい話ではないけれど、カタルシスが得られた。これまでのすべての出来事がこのラストシーンのためにあったのだと言いたくなるくらい美しいラストだったと思う。大くんも荒木さんも良い演技をする人たちだなあ。

 

 単純な謎解きなんかじゃない、と思いつつも、「アメリカ」のお話についてはこれからも考えたいことが山ほどあるから、またいつかなにか書くかもしれません。いま一番考えたいのは森くんの存在です。彼の考えていることを知りたくて仕方がありません。とにもかくにも「アメリカ」、みんな見てくれの気持ちです。余談ですが、過去にジャニーズ主演で舞台の戯曲をドラマ化してた「演技者。」っていうシリーズでもこの「アメリカ」をやっていたそうで、今のジャニーズと今の演劇界がコラボして同じようなプロジェクトをやったらめちゃくちゃ面白そうだから何とかしてやってくれないかな~~。

 

 

 

 

 

 

 

花は咲くか?/Dステ「淋しいマグネット」Reds

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 スコットランドの気鋭の劇作家ダクラス・マックスウェルによる珠玉の名作を、日本初上演した。 物語の舞台を日本に置き換え、全役ダブルキャスト、4バージョンで上演。 惹かれあい、傷つけあう4人の若者達の20年間を痛烈に描いた青春群像劇。

 

 

 最近はD-BOYSチャンネルやDVDなどでD-BOYSの舞台ばかり見ている気がします。タイトルからして好きそう! と思ったこの「淋しいマグネット」、大好きでした。

 

 色んなことを考えるけれど、とりあえずざっとした感想を。リューベンが初めて語って聞かせた『空の庭』では、最後に種が残る。その種が芽を出すのか否か、それはわからない。「淋しいマグネット」のラストシーンはこの『空の庭』をなぞったもので、あの後彼らの「種」が芽を出すかどうか、それは私にはわからない。そういう話だった。めちゃくちゃ余談になるけれど、この「種が芽を出すかわからない」というので、映画『青い春』の「先生、咲かない花もあるんじゃないですか?」という台詞を思い出した。ラストの彼らの涙を見ていたら、芽は出るもの、花は咲くもの、って信じたくなってくるけれど、彼らにとって芽が出ること、花が咲くこと、ってなんなんだろう。

 

 結末だけじゃなくて、このお話全体として「わからないこと」ばかりで、いろいろ考えてこうかな、って思うことはあるけれど、確実に「こうだ」と言い切るには不確かすぎる。それは、お話の核になっているリューベンの存在について、私たち観客に与えられる情報が少なすぎるからだと思う。リューベンは19歳で、(おそらく)自死する。しかも、私たちがこの目と耳でリューベンの存在を確認できるのは、9歳で他の3人に出会った時、そして19歳で意を決したように崖の上に立っている時だけ。後はすべて他の3人が語るリューベンの情報しか知り得ない。だからわからない。彼らの語るリューベンの姿は、どれも食い違っている。それは彼らがそれぞれ見て聞いて感じたそれぞれのリューベンだから、そのうちの全てが正しくて正しくないのだと思う。「事実」というのは人の数だけあって、それを正しいとか正しくないとか判断するのはナンセンスなんじゃないかなあ、というのを改めて感じた。だけど、彼らにとっての「事実」は何だったのか? っていうところにはきっとものすごく意味があって、私はそれをできるかぎり読み解いていきたいなと思って、鑑賞後に気づいたことをメモしていたらかなりの量になってしまった。また考えがまとまったらエントリを書けたらいいんだけど、いつになるかはわかりません。Blues見てからかも。

 

 キャラクターとしてはやっぱりトオルを愛しく思う。トオル自身がどう思ってたかはわからないけれど、彼のゴンゾへの執着は愛というか彼のことを好きだったんだろうなと思う。ああいう男が好きで好きでたまらないし、荒木さんのビジュアルも演技もすごく好きだからトオルを偏愛しています。19歳のビジュアル、狂おしいほど好き。

 

 作品としてすごく好きなので、どこかで再演してくれることを望むばかりです。誰にやってほしいかな。

 

 

お皿を割ってしまうなら、割れないお皿を買えばいい/映画『未成年だけどコドモじゃない』

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何不自由なく育てられたお嬢様・折山香琳(平祐奈)が16歳の誕生日に両親からプレゼントされたのは“結婚”!しかも、親の決めた結婚相手は、香琳の初恋の相手で学校イチのイケメン・鶴木尚(中島健人)だった!幸せな結婚生活を夢見る香琳…しかし、現実は甘くない!結婚した途端に、学校では決して見せない冷たい表情で尚が言い放った言葉。「お前みたいな女、大っ嫌いなんだよな」この結婚は尚にとって、折山家の経済力を目的とした“愛のない”結婚だったのだ。しかも結婚していることは、学校では2人だけの秘密にしなければならない。“結婚したのに片想い”な香琳だが、尚への一途な想いと持ち前の天真爛漫な性格で、尚に好きになってもらえるよう慣れない家事や勉強にも果敢に挑戦していく。 そんなある日、絶対秘密の結婚が、香琳の幼馴染で同じ高校に通う超お金持ち・海老名五十鈴(知念侑李)に知られてしまう。香琳に想いを寄せている五十鈴は、尚に香琳と離婚するように迫る。果たして尚と香琳の結婚生活はどうなってしまうのか!?

 

感想

 

 最近D-BOYSのニコニコチャンネルで色々見ていまして、2、3作品ほど感想がたまっているんですけど、まずは早めにあげた方がよさそうなこちらから書きたいと思います。映画『未成年だけどコドモじゃない』、本当によかったので見てください(公開からかなり経ってるから役者のファンは既に見てるだろうけど)。

 

 正直、宣伝の感じからトンチキ映画を予想して観に行きました。役者を綺麗に撮ってくれて、それでちょっと笑えればいいかなぐらいの期待値だった。でも全然違くて、真面目~~~~~にいい映画だった。真面目な話、『みせコド』は、全てを肯定する香琳によって、尚先輩の呪いが解かれる……という、魂の救済の話だったんですよ。これは本当に宣伝詐欺って言っていいと思う。だってこれ、香琳が主人公だと思わせておいて、本当の主人公は尚先輩の方じゃないですか。

 

 尚先輩は、1000万の借金を残して消えた父親似の顔のせいで、母親から存在を否定され続けて育ってきました。それにより、彼自身も自分の存在を否定的にしか見れなくなっています。母親からかけられた、そして自分でかけた呪い。香琳が言っていたように、彼はなんでもできる人です。だけどその「なんでもできる」っていうのが、もし何とかして母親に認められたいって気持ちからきた努力の結果だとしたら、ものすごく痛ましい。香琳と結婚するのだって1000万の借金を肩代わりしてもらう+折山グループの跡取りになるためで、これも母親のためじゃないかと思うとなんだかなあと思う。しかも、尚先輩は否定され続けた大嫌いな自分の顔を利用してるんですよね。

 

 一方、香琳はひとりじゃ「なんにもできない」子でした。朝の支度も寝てる間に終わってる(あれ本当にうらやましい)。でも、香琳は両親や周囲の人々から存在を祝福され続けてきました。そんな香琳は、何に対しても肯定的な見方しかしません。というか、できません。それ以外知らないからです。彼女の存在こそがこの『みせコド』を特別なものにしている要因だと思います。『みせコド』の設定って少女漫画の王道が満載なんですけど(高校生で秘密の結婚、共同生活、最悪な第一印象、ヒロインを一途に想う幼馴染、元カノからのゆさぶり……とか)、香琳の存在が無二すぎてそれら全部が意味をなさなくなってるんです。たとえば、元カノから「あいつは借金を抱えてる、金目当てだ、顔につられただけならやめといた方がいい」って忠告されたら普通一回悩んでから乗り越えていくし、上手くいってない時に自分を一図に想ってくれてる幼馴染からプロポーズされたらちょっと迷いが出てなんなら一回付き合ってみるってなるところじゃないですか。でも、そこで「尚先輩のところにはお金が足りなくて、私のところにはお金が余ってるんだから、お金があるところからないところに移動させたらいいんじゃない?」「金目当てと顔目当て、ちょうどいい!」って言葉が自然と出てくるのが香琳*1。プロポーズに返事すらしないのが香琳。彼女は最後まで自分の感情に迷いがないっていうのに、宣伝ではまるで先輩と幼馴染の間で揺れるわがままな女みたいな印象にされてたのが本当に許せない。香琳をナメないでもらいたい。香琳の考え方全体的にすごく好きなんだけど、「割れないお皿を買えばいい」っていうのが特に好き。お皿がこの映画ポイントポイントで出てくる気がするんだけど(香琳が癇癪起こして割る、元カノが落とす、尚先輩の母親が割る)、お皿=人間関係の暗喩なんじゃないかな。普通、落としたり叩きつけたりしたら割れてしまうものだって諦めちゃうけど、香琳はそこを「割れない皿を買う」って方法で回避しちゃう。コロンブスの卵みたいなものじゃないですか?

 

 お気づきかと思いますけど、私はめちゃくちゃ香琳のことが好きです。とはいえ、最初の方は香琳のことを好きになれるかすごく不安でした。共同生活を始めた当初の彼女の行動にイラッとして、なんなんだ? と思ったし、最後までこの感じだとキツイな~~と思ってたけど、香琳はただ「知らない」だけなんだな、って気づいて仕方ないか……って許す気持ちになれて。元カノに持論展開して「バカなの?」って絶句されてるときには思わず笑ってしまったし、あ、これだんだん香琳のこと好きになってるな、って気づいて、よくよく考えたらこの香琳への感情の移り変わりが、尚先輩と合致してるんですよ。尚先輩が主人公だ! って初めに書いたけど、これって私が尚先輩と同じ視点で香琳を好きになっていってるからそう感じたんじゃないかな。二度目の結婚式で、尚先輩が香琳を「最高の女性」って表現するのも完全に同意だし。最後の方の香琳のビジュアルとか完全に聖母だったし。香琳の本質って最初から変わってないし、実は彼女自身が何か特別なことをしてるわけでもないんですよね*2。ずっと素直な気持ちを貫いているだけ。だけどそんな香琳が、尚先輩の気持ちをやさしくさせて、結果的に呪いから解いてしまった。香琳が壁をこえて尚先輩の方に飛び込んでいく姿が、その時香琳側から注がれる光が、二人の関係性を的確に表していて綺麗でした。

 

 リンリンのことも色々考えるけど、あれは元から覚悟を試すために言ったんですよね。リンリンは香琳が何を選択するかなんてわかりきってたし、そういう香琳を好きだった。わかった上で発破をかけつつ、香琳が自分に靡いてくれたら……って万が一の期待も見せてるのがちょっとかわいかった。リンリンの家ってどう見ても極道だし、彼もまあ色々過去にあるんじゃないかな~~。リンリンも過去に香琳に救われているのかもしれません。余談だけど鏑木とリンリンが仲良いのかわいい。

 

細かい部分では、

  • シルビアさんの歌が聴ける
  • 「テスト」「テスト?」「テスト」「テスト」「…テイラースウィフト」「友達だよ?」「すごいね…」のくだり
  • 香琳の「尚先輩のうそつき」って台詞は、鐘を鳴らした時の「一緒にいれたらいいな」だけじゃなくて「電気が止められた」ってことにもかかってる

のが良かったな〜と思います。

 

 なんかもうしっちゃかめっちゃかですけど、とにかく私が『みせコド』をめっちゃ楽しんで見たんだぞ! ということを上演中に残しておきたかった。尚先輩と香琳の関係性を踏まえて主題歌の「僕らはきっとただ幸せになるため生まれてきた」っていうのを聴くとだいぶグッとくる。尚先輩の魂が救済されて本当に良かったです。まだ見てない人は見たほうがいいと思う。上演ももう残り少ないけど……。

 

 

*1:最後まで香琳がこの「金/顔目当て」っていうのを一切否定しなかったのが本当に良かったです

*2:もちろん生活能力が身についたりはしたけど

君にパトラッシュは救えるか?/柿喰う客「フランダースの負け犬」

 

https://youtu.be/gk5MH3h3krA

 

「君にパトラッシュは救えるか?」
中屋敷法仁が19歳の時に執筆した戯曲。
第一次世界大戦を背景に若き将校達の生き様を描く。

 

 現在無料公開中の柿喰う客「パトラッシュの負け犬」を見ました。これは本当〜〜〜に色んな人に見ていただきたいです。もう私の感想を読む前に見てください。90分くらいで見れるので。

 

 (追記:以下、引用はすべて http://kaki-kuu-kyaku.com/pdf/pdf_makeinu.pdf からです)

(2/22追記:なぜか途中から消えていたので復旧して上げなおしました)

感想

ヒュンケルとバラック

 この作品でメインとして描かれるのはミヒャエル・ヒュンケルクリスチャン・バラックのふたり。士官学校を卒業したヒュンケルは、入隊後も軒並み優秀な成績を叩き出し、上官からも目をかけられる優等生。そんな彼は、恋にうつつをぬかし、ろくに訓練にも出ず、『フランダースの犬』を読んで泣く同室のバラックに辟易していました。

 

 しかし、軍のお偉いさんの遠い親戚であるバラックのことを無下にできない上官・クルックとベームから、彼を立派な軍人にするよう要請され、出世のため、嫌々ながらバラックを鍛え始めます。バラックが優秀なヒュンケルに懐いて「友達」だと言うたび、天才とバカは対等じゃない、対等じゃなければ友達にはなれない、俺とお前は上官と部下だ、と否定するヒュンケル。ある日、バラックがヒュンケルの失態を庇ったことでふたりの関係性が変化します。代わりに殴られて、「これがバカの使い道だよ」と笑うバラック。“軟弱なバカ”だと見下していたバラックのことを、対等な存在として見直し、友人関係を築き始めます。

 

 そしてとうとう第三部隊の司令官を任されたヒュンケルは、上官に頼み込んでバラックを自分の部隊の配属にしてもらいます。やっぱり君はすごいね、僕みたいなのはきっと待機だよ、と落ち込むバラックに、お前は俺の部隊所属だ、ここ最近のお前の頑張りをクルック将軍も認めてくれたんだろう、と嘘をつくヒュンケル。嘘ではあるけれど、バラックの努力を誰よりも認めていたんですよね。そして結成式の日。司令官として、『フランダースの犬』を例にとった訓示をおこないます――「私がネロだったら、間違いなくパトラッシュを殺す」

 

 戦地にて、バラックとヒュンケルはある約束をします。その約束とは、バラックが怪我をして血が足りなくなったら、ヒュンケルから血をもらうこと。

 

 

バラック:いいから聞いてくれ。血がたくさん出て、血が足りなくなったらさ、僕に血くれないか?

ヒュンケル:…。

バラック:僕、君の血がいい。君の血を分けてくれよ。僕に、血をくれよ。

ヒュンケル:うん。なんていうか…血液型違うだろ?

(中略)

バラック:いいんだよ。君の血なら。

ヒュンケル:…お前になら、喜んでくれてやるよ。好きなだけもっていけ。

 

 「血液型が違っても君の血がいいんだ」「お前になら喜んでくれてやる」。血液型が違うヒュンケルの血を輸血すれば、最悪バラックは死んでしまうわけですが、それでもヒュンケルの血がいいのだと。このやりとりは、「友達だろ」という直接的な言葉――ヒュンケルの口癖ですが――よりももっと強烈に、彼らの絆を示しています。

 

 戦況が変化し、「負け犬」となった第1軍の将軍・クルックは、自分たちの保身のために、バラックにすべての責任を擦り付けようと考えます。そこで、バラックを殺すようヒュンケルに要請する。覚悟を決めたヒュンケルが「俺のかわりに死ねよ」と銃口を突きつけると、バラックは命乞いをすることなくそれでいいんだ、それがバカの使い道なんだ、撃って君は生きろ、と受け入れる。もちろん、ヒュンケルは撃てません。

 

ヒュンケル:いいから、命乞いしろよっ。お前のこと、死んで欲しくないって思ってるやつ、いるんだぞ。そいつの為に、命乞いしろよ。死にたくないって言えよ。

バラック:…(クビを振る)

ヒュンケル:…できない。できない。できない。できない…。

バラック:バカ野郎。引き金を引くんだ。ドイツを最強の国家にするんだろ。その為に、手段なんか選んじゃいけないんだろ。君は将軍じゃないか。将軍が、そんな弱気でどうするんだよ。

ヒュンケル:将軍だと。…お前みたいなバカ一人の命も助けられないで、何が将軍だ。何が国家だっ…。

 

 元々、ヒュンケルは国家のために闘い、出世欲の塊で、バラックを叱ってばかりいました。それがここでは国家や自分の役職のことよりもバラックというひとりの友人を守る方が大きくなっている。バラックに叱られている。完全に彼のあり方が逆転しています。

 

 ヒュンケルはバラックを助けたいし、バラックはヒュンケルに生きてほしいし、お互いがお互いを想いすぎて延々平行線なわけですが、その間にバラックは出血多量で命を落とし、ヒュンケルはベームに殺されます。彼らの、お互いを助けたいという願いは叶えられなかったのです。そして、『フランダースの犬』のラストシーンのように寄り添う二人の遺体は――ト書きにはこう記されています――「ヒュンケルの身体が、バラックから引き離される」。ショックでした。

 

 他人のことを想いすぎて、結局は自分の命すら落としてしまったヒュンケルとバラックは、たとえばクルック将軍やベームから見れば、「負け犬」なのかもしれません。だけど、人間としての心を忘れて、他人を踏みつけて、そうやって生き残ることと一体どちらが幸福なんでしょう。わからないけれど、おそらくヒュンケルにとってはバラックを殺さないという選択が最善だったのだと信じたいです。

 

君にパトラッシュは救えるか?

 作中何度も繰り返される『フランダースの犬』のラストシーン。眠ってしまったパトラッシュに、ネロが声をかけるシーン。バラックが愛するこの物語を、ヒュンケルは否定し続けていました。ヒュンケルにとっては、国のため闘う軍人にあるまじき“軟弱さ”の象徴だったからです。

 バラックはヒュンケルに鍛えられたことで「もう必要ない」と自身の“軟弱さ”と決別します。そしてヒュンケルは、結成式の訓示では「私だったら、間違いなくパトラッシュを殺す」とまで言い放ちます。けれど、ヒュンケルにはパトラッシュ=バラックを殺すことが出来ませんでした。彼らは、ネロとパトラッシュそのままの末路を辿ります。

 

 ここからは、クルックからヒュンケルへの「君にパトラッシュが殺せるか?」、そして作品紹介の「君にパトラッシュは救えるか?」という問いかけを見て、考えたことを書いてみたいなと思います。

 

 まず、「パトラッシュ」が象徴するものは何か。これはクレーゼルが言う通り、「友達」のことでしょう。ただし、ネロにとっては大切な友達のパトラッシュも、他の人から見ればただの犬でしかない(ここを巡ってクレーゼルとヒュンケルの間に亀裂が入りました)。序盤のヒュンケルはバラックの名前を覚えません。バラックの強烈なキャラクターは認識しているのに、名前だけは覚えていない。この時点ではヒュンケルにとってのバラックはただのバカ=犬であり、それが名前を覚えることでバラックとなり、最終的には友達になったのかなあと考えています。名前とは呪術的なものですね。

 

 

 さて、「パトラッシュを殺せる/殺せない」「パトラッシュを救おうとする/救わない」で登場人物を分類すると、以下のようになります。

 

 

  • パトラッシュを殺せる者:ベルニウス、クルック、ベーム、ヘンチュ、(ビューロウ)
  • パトラッシュを殺せない者:ヒュンケル、クレーゼルバラック
  • パトラッシュを救おうとする者:ヒュンケル、クレーゼル、ビューロウ、バラック
  • パトラッシュを救わない者:ベルニウス、クルック、ベーム、ヘンチュ

 

 忘れてはならないのが、全員がパトラッシュを救えないということです。

 

 この中で特異なのはビューロウ。彼だけ、「パトラッシュ」を救いたがっているけれど、殺すこともできる人間のように見えました。

 

ビューロウとクルックについて

 

 クルック率いる第1軍を見捨てて撤退命令を出すようヘンチュに要請された時、ビューロウは躊躇います。「既に第1軍を助けられる可能性がない」と、頭のいい彼にはよくわかっているにもかかわらず、です。

 

ヘンチュ:僕らだけで、帰りましょう。ビューロウ、私をベルリンに連れて帰って。

ビューロウ:いえ…私は…。

ヘンチュ:ナニ? クルックを助けに行きたいの? もう無駄だってわかってるのに?

ビューロウ:…。

ヘンチュ:あなたを置いてっちゃった男よ。仕返しよ。こっちも置いていっちゃえ。

ビューロウ:…。

ヘンチュ:…判断が遅いぞカール・ビューロウ。イギリス遠征部隊が動いたら、壊滅的な打撃を受けるのは明白。迅速かつ的確な判断を。

ビューロウ:…撤退。

 

 ヘンチュに「クルックを助けに行きたいの?」と問われてビューロウは沈黙しています。軍人としての「迅速かつ的確な判断」は「撤退」。それは分かりきっているのに沈黙している。クルックのことを、ビューロウ個人の感情としては助けに行きたい。でも、ビューロウは軍人で、しかも第2軍の将軍という立場です。国家と部下のことを考えなければならない軍人としては、「撤退」しなければならない。最終的には、ヘンチュから「軍人」として扱われることで、「軍人」としての判断――「撤退」を選んでいます。

 

 クルックとビューロウは、犬猿の仲のように描かれています。なぜビューロウはクルックのことを助けに行きたかったのでしょう。色々な場面から、彼らの関係性を考えてみたいな……と思います。まず、クルックとビューロウがお互いについて言及している場面を抜粋します。

 

 

 ①クルックとビューロウの初登場シーン

 

クルック:頭が固い男は嫌われるぞ。

ビューロウ:頭の柔らかいお前の方が、俺は嫌いだがな。 

クルック:もうたくさんだ。ヒュンケル君…また後でな。

 

ビューロウ:クルックには気をつけろ。あいつが考えていることは自分の出世のことだけだ。うかうかしていれば、いいように利用されて、やがて捨てられる。

ヒュンケル:…。

ビューロウ:カール・ビューロウだ。困ったことがあったら、いつでも俺のところに来い。

 

②ヒュンケルがバラックの教育を要請されるシーン

 

ビューロウ:何をしている。

クルック:ビューロウ。

ビューロウ:何をしているんだ。

クルック:頼むよ。私につきまとわないでくれ。

ビューロウ:つきまとわれているのはこいつの方だ。

 

 

シュリーフェンプラン遂行の命を受けるシーン

 

ビューロウ:…正直、今回の作戦、どう思う? シュリーフェンプラン

クルック:完璧だ。

(中略)

ビューロウ:そうだろうか…。俺は不安だ。

(中略)

クルック:…君が何を思っていようが、作戦は遂行する。 全力を尽くしたまえ。

ビューロウ:偉そうな事を。俺はお前の部下じゃない。

クルック:ビューロウ。私は第一軍の司令官。君は第二軍の司令官。私のケツを追いかけるだけだ。実質的に、私は西部戦線最高司令官なんだよ。

 

ヒュンケル:しかしあなたには残念ながら、野心あふれる男の魅力が、まるでない。

ビューロウ:…アイツのことは任せた。無事を祈る。

 

 

④軍議のシーン

 

クルック:勝てばいいんだビューロウ。これは戦争だ。勝者だけが正義だ。

ヘンチュ:勇ましいですね、クルック。お手並み拝見。

クルック:はっ。

ビューロウ:…作戦にはもちろん従う。だが、クルック。ひとつだけ約束してくれ。俺の部隊から離れるな。

クルック:なんだ、ひとりぼっちが淋しいのか。

ビューロウ:ひとりぼっちになるのはお前だ。最前線のお前は、俺から少しでも離れたら孤立するんだぞ。

クルック:…うんざりだ。

ビューロウ:クルックっ。

 

 

 ⑤クルックの兵舎にて

 

 ベーム:このままの調子で行けば…クルック将軍の参謀本部入りは間違い無しですな。

クルック:まだだ。まだ手柄が足りない。リエージュの攻防戦では、ビューロウに先を越されてしまった。

 

クルック:…ヒュンケル、あまり失望させないでくれ。どうして僕が、あの男から離れられたかわかるか。

ヒュンケル:え?

 

 

 ⑥ビューロウの兵舎にて(前述)

 

ヘンチュ:僕らだけで、帰りましょう。ビューロウ、私をベルリンに連れて帰って。

ビューロウ:いえ…私は…。

ヘンチュ:ナニ? ルックを助けに行きたいの? もう無駄だってわかってるのに?

ビューロウ:…。

ヘンチュ:あなたを置いてっちゃった男よ。仕返しよ。こっちも置いていっちゃえ。

ビューロウ:…。

ヘンチュ:…判断が遅いぞカール・ビューロウ。イギリス遠征部隊が動いたら、壊滅的な打撃を受けるのは明白。迅速かつ的確な判断を。

ビューロウ:…撤退。

 

 

  特に重要と思われる箇所には下線を引きました。さらにそれを、下記のように種類によって色分けしています。

 

  • 赤色:クルック→ビューロウ、苛立ち
  • 黄色:ビューロウ→クルック、警戒
  • 青色:ビューロウ→クルック、不安
  • 緑色:ビューロウ→クルック、心配

 

 ここから、

 

  1. ビューロウは、出世のためなら手段を選ばないクルックの本性をよく知っている。ゆえに警戒している。自分ならそれを感知し、解決できると考えている。
  2. ビューロウはクルックに、作戦に対する不安を吐露している。警戒しているはずの相手を、どこか信頼をしているようにも見える。
  3. ビューロウには、クルックを出し抜こうという気持ちはない。むしろ心配している。クルックがどんな行動をとるのか何となくわかるがゆえに、その危うさを案じている。
  4. ビューロウは、クルックを警戒しているが、それ以上に心配する気持ちの方が強い。クルックにヒュンケルが利用されることを警戒しているが、ヒュンケルがクルックの下につくと決めた際には「アイツ(=クルック)のことは任せた」と頼んでいる。
  5. クルックは、心配ゆえに自分にまとわりついてくるビューロウのことを鬱陶しく思っている。ビューロウから離れたがっている。心配される=見下されている気持ちになる?
  6. クルックは、ビューロウを出し抜きたい。シュリーフェンプランへの見解など、ビューロウの方がクルックよりも優れているような描写があるため、どこかにビューロウへのコンプレックスがあるのか。

 

 ということが見えてきます。ビューロウもクルックも、互いのことを「嫌いだ」と言います。しかし、そうは言うものの、ビューロウはクルックのことを心配し、自分の本音を打ち明けている様子が見られます。クルックは劇中、つねにヒールとして描かれています。そんなクルックのことを、なぜこんなにも心配するのでしょう。私は、「ビューロウはクルックのことを嫌いになることが出来ないのではないか」と考えています。

 

 彼らの過去について、玉置さんが「付き合ってたのかな?」と仰っているのがとても好きなのですが(確かにビューロウが別れたのにやたら干渉してくる元カレっぽいな……)、それはさておき、過去において、二人は親しい関係にあったのではないでしょうか。で、それがどんな関係性だったのか? を考えたとき、ベルニウスとヒュンケルの関係性だったんじゃないかな、と。

 

 ベルニウスとヒュンケルは同じ士官学校出身の“親友”。ヒュンケルと、共に軍で成りがっていこう!と約束を交わしていた男です。言葉の節々から、出世への意欲も滲み出ていました。ベルニウスはおそらく作中で最も「友達」という言葉を発していた人間ですが、最後にはヒュンケルやバラックを見捨て、彼らを助けようとしたクレーゼルを殺して生還し、笑顔で「ヒュンケル? …そんな男は知りません」と言います。この時の笑顔がめちゃくちゃ怖いんですよね。彼は今後、笑顔でたくさんの嘘をつきつづけるのでしょう。だけど彼がヒュンケルやクレーゼルバラックに関してはわからないけれど)に対して抱いていた友情が嘘だったとは思いません。彼も戦場で狂ってしまった人間のひとりなんだと思います。

 

 クルックが、過去にベルニウスと同じようなことを――自分が生き残るために「パトラッシュ」を殺し、そこから狂ってしまったんだとしたら、それを隣で見ていたビューロウは彼のことをただの悪として切り捨てられないだろうし、その危うさを心配してしまうんじゃないかな、と思います。作戦が失敗したとき、梯子にしなだれかかっているクルックがものすごく美しいのですが、あれも彼の危うさからくる美しさじゃないかな。

 

 と、いうことを色々考えてはいるのですが、何分正解がないですし、だいぶ長くなってしまったのでこのあたりで一旦終わらせたいと思います。フラ犬未見の人がここまで読んでいるとは到底思えませんが、未見の方、なにとぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

OFFICE SHIKA REBORN パレード旅団を観ました

 

12月24日(日)13:00@ABCホール

 

shika564.com

 

この戯曲は二つの世界を移動する。

ひとつはいじめにさらされている、中学生の世界。

もうひとつは、崩壊にさらされている、ある家族の世界。

全国から集まった「いじめられっ子」たちには、夢があった。

何不自由の無い「普通の家族」は、ばらばらに抱えた孤独があった。

世界を変えるために少年は言う。

「復讐、しませんか?」

世界を変えるために父は言う。

「今日かぎり、父さんは父さんをやめようと思う。」

ふたつの旅が、始まる。

 

 

 OFFICE SHIKA REBORN、パレード旅団を観に行ってきました。過去の名作戯曲を上演するプロジェクトの第一弾、ということで、これからも続いていくようです。「パレード旅団」は私が生まれるもっと以前に書かれているので、当然観たことのない戯曲ですが、テニミュに出演されていた佐藤祐吾くんもいるし、ヤング券でお安く観れるし、題材も面白そうかな~~というわけでチケットを取りました。これだけは言わせてもらっていいですか? 鹿殺し……チケット購入がめっちゃ楽!!! わざわざコンビニ行く手間もいらないし、発券忘れもなくなるし。楽に買えるのは良いことです。プレイガイドが間に入ってる公演の方が多いし、この形が一気に普及するのは難しいかな~~とは思いますが。

 

 さて、「二つの世界を移動する」とあるように、この作品は「いじめられっ子たち」の話と「家族」の話を移動しながら進行していきます。それまで「父親」を演じていた役者が、激しい嵐の音がした後は「いじめられっ子」を演じている。次の暗転ではまた「父親」に戻っている……そんな風にぱたぱたと世界が切り替わる。どんどんその切り替わりの頻度が高くなっていき、全く別の状況にある二つの世界がラストにはリンクしあう、というつくりは面白かった。

 

 内容については、違和感や疑問を抱く部分もあった。「家族」の方は、形骸化してしまった家族が、一度自分たちの役割を交換し、自分たちが演じてきた役割について見つめ直すことで、最終的には「家族」を再構築して……みたいなことになると思う。その肝心な「家族」や「役割」の像が、現代のリアルとはズレて感じた。作中で描かれるのは祖父・祖母・父・母・息子・娘・ペットという所謂サザエさん世帯。父は外で仕事をして皆を支え、母は家で料理を作って皆を待つ。娘が男と出歩いたり、煙草を吸ったりすると世間から白い眼で見られる。そういうの古くない?ってなってしまった。もしかしたら根っこの部分は今も変わらないのかもしれないけれど。

 

 「いじめられっ子」の世界は、とにかく宮内くんに対してイライラしてしまった。私自身いじめられた経験がないからかもしれないけど、毒殺を実行してしまう独りよがりさが、全然わからなくて。「やらなきゃこっちがやられる」っていう切実さはわかるんだけど。大森さんと北村くんの言う「自分よりも劣っている人がいる学校へいけばいじめられない」もあまりにも利己的だし、松本くんの言う「いじめられっ子だけを集めた学校をつくれば、皆いじめられる痛みを知ってるから誰もいじめられない」はあまりに夢物語すぎる。皆を集めた坂口くんは本当にただ同じようにいじめられてる子たちと集まって遊びたかっただけなのに、殺人事件に巻き込まれてしまって災難だな、って割とずっと思ってしまってた。皆このままでいいなんて思っているわけがないけど、じゃあどうすればいいんだ? 大人は戦えっていうけど、じゃあ具体的にはどうすればいいんだ? って考えた結果なんだろうけど……なんだかなあ、学校以外にコミュニティを持つのが一番いい方法なんじゃないかな、みたいなことを考えていて、ああこれは「いじめられっ子たち」に無責任な解決法を提示していた家庭教師の女と一緒だなと気が付いた。でも、だからって宮内くんに対する気持ちは変わったわけではなくて、何なんだよお前、って思ってる。もやっと。

 

 最後彼らは疑似家族を形成して、それが「家族」の話の役割とぴったり同じになる。私は個人的に疑似家族というものに全く惹かれなくって、というか「家族=美しいもの」、みたいな、そういう幻想に不信感をどうしても抱いてしまう人間だから、「ああそういう風に落とすんだ」って、それ以上でも以下でもない感想を持った。でも、家族の中の自分の役割に縛られてそれを演じるようになっていた「家族」と、それぞれの性質から役割分担して疑似家族を形成した「いじめられっ子」、という対比は面白かった。

 

 余談ですが、松浦さんのヘッドスピンと橘さんのフライングと最初の曲(「メロンのうた」)のナンバガオマージュ*1にはめちゃくちゃウケた。橘さんは役柄上もあるけど客席に一番ウケてたと思う。好き。あと橘さん以外全員セーラー服を着て歌って踊る「スカートめくりのうた」、祐吾くんと松浦さんのかわいさは「かわいい~~」って見てられたけど、蕨野さんのセーラー服姿は「きれいなお姉さま」って感じで、背徳感というか見ていてドキドキ感がすごかったです。おきれいです。

 

 なんだろう、構造的に面白いなと思う作品だったけど、自分とは背景にあるものが違いすぎてしこりが残る作品でした。とはいえOFFICE SHIKA REBORN自体にはめちゃくちゃ興味があるので、次があればまた観に行きたいなあと思います。チケット購入も楽だからね!!!(強調)

 

 

 

 

 

*1:途中完全に「鉄風 鋭くなって」だった

イキウメ『散歩する侵略者』を観た

2017年11月26日(日)13:00@ABCホール

 

www.ikiume.jp

 

海に近い町に住む、真治と鳴海の夫婦。真治は数日間の行方不明の後、まるで別の人格になって帰ってきた。素直で穏やか、でもどこかちぐはぐで話が通じない。不仲だった夫の変化に戸惑う鳴海を置いて、真治は毎日散歩に出かける。町では一家慘殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発。取材に訪れたジャーナリストの桜井は、“侵略者”の影を見る_。

 

 

 イキウメ『散歩する侵略者』を見てきた。きっかけは同名映画『散歩する侵略者』を見たこと。ひたすら天野くんと、天野くんと桜井さんの関係性がツボで、高杉真宙くんの造型が天才!みたいな話ばっかりしていたところ、イキウメの『太陽』(こちらも映画がつくられてますね)のDVDを見せていただきました。ありがとうございます。これがめちゃくちゃ面白かった! 人間関係を描くのがなんて上手いんだ……と感動して、前川さんのことを「人間関係の鬼」呼ばわりしています。それから劇団員の浜田さんが素敵なんですよね。で、一度公演を生で見たいな~と思っていたところ、ちょうど予定が合って、当日券で大阪楽を駆け込み観劇できた。場所はABCホール。トイレが綺麗で個室も広々としているので好きになった。

 

 まず入って驚いたのがセット。不思議な舞台になっていて、センターに急斜面があるんです。どう使うんだろう?と思った。あとはステージがめちゃくちゃ低い。客席とステージの差がほぼないのが新鮮で、いわゆる「ステージ」感がなかった。ステージ周りには流木や石が配されていて、波の音が流れてたのでとりあえず海辺なんだろうな、と思いつつ、しかしポロンとしたBGMも心地よくて始まるまでにちょっと眠気が誘発された。

 

 ストーリーは映画で見て知ってるしな、と思って見に行ったけど、ストーリーも結構違うし、キャラクター造型も違うし、何といってもお芝居の感触が全く違ってました。温度も質感も味も全部違う感じ。二つを比べてどっちが良い悪いの話ではなく、描きたいものの違いなのかな。映画では私が天野・桜井の関係性にグっときたように、侵略する側・される側の交流とか、侵略する側のキャラクターを掘り下げていたのに対して、舞台はあくまでこれは「人間」の話なんだなと思った。人間関係の描き方が、見ててよりキツい感じに仕上がっていた。映画だと鳴海の家に転がり込んできた鳴海の妹から概念を奪って、そのあと妹はもう作中出てこないのだけど、舞台だと鳴海の実家に住んでいる鳴海の姉から概念を奪う。「姉から概念を奪った」こと、そして「それによって傷ついた人(姉の夫)がいる」ということがフェードアウトせずにずっとちらついている。それは(概念を奪う前にはわからなかったとはいえ)真治の犯した罪。丸尾のように、概念を奪われたことで「解放された」という人もいるけれど、彼はたくさんの人を狂わせている。その事実を痛いほど知りながら、それでも「真ちゃん」を失うことを恐れて知らんふりをしようとしていた鳴海が私は好きになれないなと思う。最後に「愛」を奪わせて、自分だけさみしさから逃げようとしたところも。映画でも好きじゃなかったけど、改めて無理だった。

 

 

 それでもこのお芝居を好きだと思うのは他の人たちが魅力的というのがあると思う。たとえば桜井。彼はそもそも映画と舞台で立場が違う。映画の桜井は人間側とのつながりが(とりあえず目に見えるところとしては)全然なく、天野くんと交流する中で最終的に人類を見限る。でも舞台の桜井には浩紀との友人関係が提示されている。友人が被害に遭うという時に、ジャーナリストとしての好奇心を優先させることはできなかった。天野くんとの交流があまり描かれていないというのもあるけれど。安井さんの眉尻を下げた表情がとても好きです。そう、桜井と天野くんの交流が本当に薄くて、だから首を絞められた天野くんの「友達だと思ったのに!」という叫びが少し唐突に思えた。自分の存在や話を面白がって聞いてくれたのが天野くんにとっては楽しかったのかもしれない。天野くんの描かれ方も映画が醒めた感じの小悪魔だったとすると、舞台ではもっと感情がむき出しの、桜井の言う通り悪魔という表現の方がぴったりはまっていた。彼の最後の台詞が前述の「友達だと思ってたのに!」というのは切ない。走り去ったあと、天野くんとあきらはどうなったのだろう。余談だけど天野くんが吹奏楽部なのは萌えポイントです。天野くん役の大窪さんが十代にしか見えなくて実際の年齢を忘れてしまう。すごい。

 

 車田先生も好き。先生は概念を二つも奪われてて本来なら笑いごとじゃないんだけど、厳しい状況が続いてる中チャーミングなキャラクターにすごくほっとした。メモを見ながらじゃないとうまく話せないって言ってたけど、一日でこれだけ回復するってやっぱり医者は頭がいいからすごい(そういう話ではない気がする)。盛さんのスーツ姿がすごく好き。私もサブカル女の端くれなので浜田さんが好きだけど(偏見だけど浜田さんはサブカル女からめちゃくちゃ好かれそう)、実は盛さんが好きだということにも気づいてしまった。かわいい……!

 

 あとは長谷部。長谷部は、急に人が変わったように反戦運動を始める丸尾に戸惑って、前みたいに戻ってくれと説得する。概念を失った丸尾は長谷部の言っていることがわからない。お前も真ちゃんに解放してもらえ、そしてこっち側に来い、と笑顔で言う。長谷部は「概念を失わないまま、丸尾についていく」という選択をする。この選択が好き。長谷部が丸尾のことをすごく好いていることもわかるし、なにより「概念を失う」という簡単な方法に頼らずに、ちゃんと自分の頭で考えて下した決断なんだなというのがわかる。私だったら「なんか変な宗教に引っかかったのかな」って思って疎遠になったりしてしまう気がする。長谷部役の栩原さんを検索したら刀ミュに出てらしいっていうのにびっくりして、すごく大きい印象を受けたのに168cmっていうのにさらにびっくした。基本丸尾としか並んでない(丸尾役の森下さんが157cmらしい)から……。

 

 

 とりあえず勢いにまかせて思ったことをガッと書いてみたわけだけど、書き洩らしといえば、真治の着替えシーンが下手だったからめちゃくちゃ見えてドキドキしてしまったのと、浩紀役の板垣さんの声がすごい良いってことです。とにかくイキウメは今後も見ていきたいなと思いました。春に次回公演があるようで、それも面白そうだから見に行こう。

 

 

 

ミュージカル「RENT」をみた

8/17(木)19:00開演@森ノ宮ピロティホール

 

観てからかなり時間があいてしまった……。

 

www.tohostage.com

 

Wキャスト

堂珍ロジャー、青野ミミ、平間エンジェル、上木モーリーン

 

ストーリー

20世紀末。NY、イーストヴィレッジ。映像作家のマークは友人で元ロックバンドのボーカル、ロジャーと古いロフトで暮らしている。夢を追う彼らに金はない。家賃(レント)を滞納し、クリスマスイヴにもかかわらず電気も暖房も止められてしまう。恋人をエイズで亡くして以来、引きこもり続けているロジャー自身もHIVに感染しており、せめて死ぬ前に1曲後世に残す曲を書きたいともがいている。ある日彼は階下に住むSMクラブのダンサー、ミミと出会うが、彼女もまたHIVポジティブだった。一方のマークはパフォーマンスアーティストのモーリーンに振られたばかり。彼女の新しい相手は女性弁護士のジョアンヌだ。仲間のコリンズは暴漢に襲われたところをストリートドラマーのエンジェルに助けられ、二人は惹かれあう。季節は巡り、彼らの関係も少しずつ変わってゆく。出会い、衝突、葛藤、別れ、そして二度目のクリスマスイヴ……

 

感想

 

はじめに

 RENTの夏です!(素朴な疑問:クリスマスイブから始まるお話なのに、なんで夏にやるんだろう……?)

 

 私にとっての初RENTは、2015年日本版*1。2017年版とほとんどキャストがかわらないので、「おかえり」の気分です……と言いつつ、私の観劇したキャストはほとんど「初めまして」だったんですが、細かいことは気にせずにいきます。O型なのでおおざっぱです。血液型占いは特に信じていません*2

 

 前回は本当に最低限の情報しか頭に入れずに挑んで、「なんか細かいことはよくわかんないけど好きなやつ!曲がいい!」と感動して、以降CDを聴きまくっていました。今回は既にキャラクターの関係性やストーリーを知った上の観劇なので(初観劇の友人を連れていったので、彼女の反応を気にしつつも)、新たな発見や細かい意図の汲み取りが出来て、どっぷりRENTの世界に浸かれたかな、という感じです。 

 

 あと今回初めて(当日券除く)劇場窓口でチケットを購入しました!手数料かからないし、どの席にするか選べるし、めっちゃいい~~。初観劇の子と一緒だったし、できるだけ近めで観てほしいな……と思ってサイドよりだけど割と前の方の席にしました。近い!って喜んでくれてうれしかった……。

 

 

 さて、かなり長いですが感想を書いていきます。英詞は下記ブログを参照させていただきました。問題がございましたらご連絡ください。

 

tokoton-tokotoko.com

 

 

2周目の世界で、ベニーを想う

 私は「RENTで一番好きなのはマーク」と言って憚らない人間なのですが、今回はダークホースがいました。ベニーです。ベニーは、元々マーク、ロジャー、コリンズのルームメイトだった男。しかしお金持ちの令嬢と婚姻してからは彼等の住むビルのオーナーになり、立ち退かないなら滞納している家賃を払え、と言ってくるサングラスの男です。ミミと元々つきあいがあったこと(ベニーが煽ったせいもあるけど)でロジャーに嫉妬されたりもします。

 実は初見時は全然印象に残ってません。役者が悪いとかではなく、私が見てなかったからです……。それが今回、初登場シーンからおや、気になるぞ……と目で追っていました。彼の初登場は、最初のナンバー"RENT"の前。滞納している家賃を払え、モーリーンの抗議をやめさせろ、と要請してマークたちに嫌な顔をされます。

 

 

“Will I”を歌う彼は何を思うのか

 今回の観劇で心に残った曲、"Will I"。

 

Will I

Will I

 

 

 

Will I lose my dignity

Will someone care?

Will I wake tomorrow

From this nightmare?

 

(尊厳なくして生きていくのだろうか?明日悪夢は醒めるか?)

  ※括弧内は東宝版RENTの聞き取り

 

 この短い歌詞を、登場人物がそれぞれのタイミングで歌う曲です。声が重なり合う、とても美しい曲です。これがあんなに明るくて楽しそうなボヘミアンたち*3の本心なんだと思うと、もうここで死んでしまう……。東宝版では訳出されていない(多分)けれど、"Will someone care?"の部分に、胸がぎゅっとなります。「気にかけてくれる誰か」を求める話がRENTなんだろうなあ。

 

 この曲を、実はベニーも歌っている。それに気が付いて、彼がなくした「尊厳」って何なんだろう?彼がいま見ている「悪夢」って何なんだろう?……などと考えているわけです。彼が単に金持ちの令嬢と結婚してウハウハな野郎であれば、「悪夢」なんて表現は似合わない。ということで(?)、仮説を立てました。

 

ベニーは令嬢のことを好いてるわけでもなんでもない。しかし、家賃すら払えない文無しのアーティストである自分や仲間は、このままでは立ち行かないという現実もわかっている。自分はもう夢*4を見れなくなってしまったが、仲間にはまだ夢を追いかけてもらいたい。令嬢と結婚すれば、無料でスタジオを使ってもらうこともできるのではないか……→結婚!

 

みたいな。穴ありまくりだな。私がベニーをこういう目で見てるよということです。この仮説の上でベニーの「尊厳」「悪夢」を考えてみると、夢を捨てて好きでもない令嬢と結婚したことで「尊厳」をなくし、そこまでして仲間の夢を支援しようとしたけれど拒否されている実情が「悪夢」かな。ベニー……。

 

「1ドルすら持っていないクソアーティスト」の彼らを

 ベニーら権力側VSマークらボヘミアン+ホームレス、という図式ではない、ということにも気が付きました。“On the street”では、警官を追っ払ってホームレスを助けたマークが、ホームレスから詰られています。

 

On The Street

On The Street

 

 

 

Just trying to use me to kill his guilt
It’s not that kind of movie, honey
Let’s go
This lot is full of motherfucking artists

Hey, artist
You gotta dollar?
Heh, I thought not

 

 まさに「同情するなら金をくれ」的な場面。ホームレスが「これは映画なんかじゃないんだ」とマークに言うのがかなりきつい。ボヘミアンは夢に生きているけれど、ホームレスらは現実を生きている、という、根本的なところの違いがよく表れている場面だと思います。マークは、"You'll see"でベニーのホームレスへの態度を批判するけれど、ここではホームレスからマークの態度が批判される。徹底して夢と現実との対立が描かれているわけです。RENTの主人公はボヘミアンで、観客は彼らに感情移入するけれど、現実に生きる人たちから見れば「家賃どころか、1ドルすら持っていないクソアーティスト」ということなんですよね。辛くなってきたな……。

 

 

You'll See

You'll See

 

 

Next door, the home of Cyberarts, you see
And now that the block is re-zoned
Our dream can become a reality
You’ll see, boys
You’ll see, boys

You want to produce films and write songs?
You need somewhere to do it!
It’s what we used to dream about
Think twice before you pooh-pooh it
You’ll see, boys
You’ll see, boys

 

 ''You'll see"のベニーソロの歌詞。「俺たちの夢が現実になるんだ」「俺たちが夢見てきたことだろ」。ベニーは、そんな「クソアーティスト」の彼らの夢が現実になるように動いていたんじゃないか、と、考えて……非常に辛いです。英語に疎いのでニュアンスがわからないんですが、"boys"と呼びかけるのも、彼の仲間意識を表してるように思えて死んでしまう。

 

 

それでもやっぱり、マーク・コーエンが好きです

 今回ベニーにやられたものの、私は やっぱりマーク・コーエンが大好きだ!という話です。

 

 “Seasons of Love”歌唱における立ち位置

 

Seasons Of Love

Seasons Of Love

 

 

 

 2幕の最初に歌われる、一度目の“Seasons of Love”。RENTを象徴するような曲。この曲は少し異色で、登場人物の感情が高ぶって歌いだすものではありません。キャストが横一列に並んで歌唱され、その後すっと物語に戻る。休憩明けの観客に、これまでの物語を思い出させて物語に没入させる+これからの物語展開を示唆する意味合いがあるのかなあと考えています。

 

 この曲の歌唱における立ち位置。

 

 

 センターがエンジェルとコリンズ(隣同士 )。ジョアンヌとモーリーンの間には浮気相手がいる。ドラッグの売人とベニーに挟まれているミミ。どこまで立ち位置に意味があるのかわかりませんが、ここまでの人間関係を表してるのかなと思うと面白いです。このとき、上手端にいるのがマーク。「主人公」という位置づけなのに、端っこにいるのがこの時点での、「傍観者」であるマークなんですよね。

 

 2幕の“Take me or leave me”冒頭、登場人物たちの状況を説明して、「僕?僕はここ、どこにもいない」と自嘲気味に笑うシーン。初見時の幕間、あまりにも影の薄いマークに困惑していたので、それが意図的なものだったとわかって、してやられたな……と。そこから本当に大好きです。RENTは、そんな「傍観者」・「語り手」であるマークが、「主人公」になる物語でもあるのかな、と考えています。

 

彼が「傍観者」をやめるとき――Halloweenという曲

 なんと映画版ではカットされているというマークのソロ、“Halloween” 。めちゃくちゃ好きなんです!エンジェルの死を契機に、マークは変わっていきます。それまでまさに傍観者で、いつもニコニコしているような印象のマークが、「自分が傍観者で、孤独であること」に悩む。ロジャーとミミ、コリンズとエンジェル、ジョアンヌとモーリーン。それぞれ在り方は違うけれど、かけがえのない相手がいるのに、マークのそばには"Will I"で言うところの、「気にかけてくれる誰か」がいないんですよね。

 

 もともと彼は孤独を感じていて、でもみんなと一緒にいるのが楽しかったから、ギリギリの状態でなんとか取り繕っていた。そこにエンジェルの死、そして他のカップルたちのすれ違い……それらを目にして、マークのバランスが崩れてしまったのかな。そして自分の孤独の問題から逃げるように、アレクシーからの仕事のオファーを受ける。マークが自分の心情を吐露し、自らアクションを起こすことで、マークはようやく「物語の主人公のひとり」になったんじゃないでしょうか。

 

 今回すごく思ったのが、マークってエンジェルからすごく影響受けてるというか、エンジェルのことすごく好きだっただろうな、ということ。“I'll cover you(Reprise)”は、ミミ・マーク・モーリーンの3人がエンジェルとの思い出を語るところから始まりますし、その後ロジャミミ・ジョアモリが言い争う"Goodbye love"では、(コリンズ登場前に)珍しくマークが「やめろよ!」と声を荒げて止めようとしています。“What you own”では「エンジェルの声が聞こえる」って歌っているし、マークにとってもエンジェルは大切な存在だったんだなあ。一方ロジャーは「あいつの死は無駄だった」って言います。(いくら気が立っていたとはいえ)最低だな!!!しかも、"he"って言うロジャー*5。私はロジャーのこと大好きだけど、RENTで一番メンタルがヤバイ男だと思ってますよ。

 

 

RENTにおける同時進行

(初見殺しともいう)

 

Without Youは3カップルの歌である

 東宝版RENTは一応マーク役が座長=マークが主人公、という扱いなんでしょうが、物語をみていくと多分ボヘミアンのみんなが主人公ってことで良いんだと思います。全員主役。ハイアンドロー。そのせいか、それぞれの物語が同時進行していきます。容赦がありません。初見殺しです。特に“Christmas bells”は初見でなくとも聞き取れない(この曲はわざとだと思いますが)。同時進行でいうと、“Without You”という曲もそう。

 

Without You

Without You

 

 

 ロジャミミのすれ違いをメインに描いている曲です。が、舞台上には死にかけているエンジェルを労わるコリンズ、すでにすれ違ってしまっているジョアモリもいます。私はどのカップルも好きなので、どこを観ようか迷う……!メインだしロジャミミを観ようかなと思うんですが、この後のエンジェルの死に繋がる重要な場面だしなあ、と思って結局コリンズとエンジェルを観てしまいます(弱った平間エンジェルが好物という話もありますが)

 

 「あなたがいなくとも世界は何ともないけれども、私は生きていけない」というロジャーとミミの心情が、3カップルに共通のものなんだな、というのがよくわかる描かれ方だと思います。全然違うカップルだけど、核の部分は同じで、相手のことを強く想っているんだなー。すごい。私もいつかわかるでしょうか……。

 

 

3カップルの“take me”

 “take”には色んな意味があるので意図されたものかどうかはわかりませんが、どのカップルも“take me”を印象的に使っているなあと思ったので。

 

 ジョアモリ:“take me or leave me”――「受け入れて」
Take Me or Leave Me

Take Me or Leave Me

 

 

タイトルに使われていますが、ここではジョアモリが喧嘩をして、「ありのままの私を受け入れて!そうでないならもうお別れ」とお互いに叫んでいます。

 

 

コリエン:“Contact”――「抱いて」?
Contact

Contact

 

 

Take me
Take me …
Today for you
Tomorrow for me
Today me
Tomorrow you
Tomorrow
You, love
You, love
You, love
I love you
I love you
Take me
Take me
I love you

 

 東宝版でもそのまま“take me”だった気がするのですが、どう訳すのが一番合うんでしょう? 引用元のブログでは「抱いて」と訳されていて、“Contact”はエンジェルの死と、それからセックスの暗喩(いや割と歌詞は直接的なんだけど)だからそうなのかな、と思ったけど、でも死ぬ直前だしなあ……。いやでもずっと“Today for you, tomorrow for me”の精神だったエンジェルが“Today me, tomorrow you”と言っているから、「今日くらいはわがまま言わせて」ってことなのかな。うーん、難しいです。

 

 エンジェルが死の直前に発するのが“I love you”なのがもう……。

 

 

ロジャミミ:“Out tonight”――「連れてって」
Out Tonight

Out Tonight

 

Please take me
Out tonight
Don’t forsake me
Out tonight
I’ll let you make me
Out tonight
Tonight, tonight, tonight

 

 ミミのソロ。好きな曲です。曲全体的に「今夜私を連れ出して!」って歌ってるんですけど、中でも大好きなのがこの“Please take me out tonight”の部分。東宝版だと、ミミが「連れてって……」とささやいて、から“out tonight”の伸びが気持ちいいです。「見捨てないで」にもミミの本心が表れているようでぐっときます。

 

私の愛するカップル:ロジャミミ

  RENTの3カップルそれぞれが大好きなんですが、やっぱり一番どうしようもなくって愛しい、それがロジャミミです。

 

連れ出してほしいミミ、に連れ出されるロジャー

 “Out tonight”で散々叫んでいるように、ミミはロジャーに「ここから連れ出して」と迫ります。物理的に外に出ているのはミミで、部屋に籠っているのはロジャーなのですが……精神的な檻――HIVのことでしょうか――から逃れたい、そこから出してくれる人を探していたミミが出会ったのがロジャーで、彼なら自分を見捨てない!と感じ取ったのかな。そんなミミのパワー(若さでしょうか……)に引きずられるように、部屋から連れ出されるロジャー、という構造が面白いです。 メンタルは弱いけど。

 

ロジャーと「瞳」

  ロジャーはやたら「瞳」を意識している気がします。“One song glory”、“Another day”、“Goodbye love”、“What you own”などで言及されていて、極め付けは“Your eyes”という曲をミミに捧げています。

 でもこの意味があまりわからず……。死んだエイプリルを思い出すとか?それはちょっとどうだろう……。

 

寄り道:ロジャーはかわいいという話

  ロジャーのこと死ぬほどめんどくさくてメンタルの弱い男だと思っていますが、しかしめちゃくちゃ可愛いし愛おしく思っています。そんな私の一押しロジャーは“La Vie Boheme”のロジャーです! この曲中は皆色んな動きをしていて面白いのですが、ロジャーがノリノリでかわいい!!! あっ……そんな体勢を……という体勢をとっていたりもします。でも真顔。可愛い……。バンドで売れてた頃に絶対にヤバいファンがついてたに1票。

 

 

なぜエンジェルの死に涙を流してしまうのだろう?

 

 RENTで一番泣いてしまうのがエンジェルのお葬式のシーンなのですが、エンジェルが一番好き、というわけではないし、なんならエンジェルのキャラクターを未だにあまりつかめていないんですよね。「うるさい秋田犬・エビータを26階から突き落としてお金もらっちゃった♡」って明るく言い放っちゃうところとか、ちょっと得体が知れない感の方が(私の中では)強いかもしれない。普通に怖いけど、残虐さをあらわすエピソードというより、エンジェルの無邪気な人柄を示しているのかな。

 

 お葬式でミミ・マーク・モーリーンが話すエンジェルのエピソードもあわせて考えると、エンジェルって弱い部分を全然表に出していないですよね。馬鹿にされたら毅然と言い返すし、自分に失礼な態度をとる観光客にも親切だし、いつも笑顔で楽しそうにしていたし。コリンズを割と強引に誘うところとかを見てると、結構食えない人物なんじゃ?とも思うのですが……彼女の考えていたことが知りたいです。

   

ところで松田エンジェル観たくない?

 

ameblo.jp

 

 松田凌くんが今回のRENTをご覧になったようで、その感想が綴られていました。なんか「凌くんは絶対エンジェルが好きでしょ」と謎の確信と共にブログを開いたら、合ってました!

 

 で、「ずっと昔ブログにも書きましたが」 ということだったので、そのブログを探したところ、

 

ameblo.jp

 

とても心を動かされ涙しました。
中でもangelという役。
写真もその人です。

いつか…


いつかもし叶うなら
angelを演じさせて頂きたい!
本当に…。

 

 

 ほう……

 いや、松田凌くんのエンジェル、完全に“ある”でしょう。次のRENTでどうですか。めちゃくちゃ観たいです私は。松田エンジェルだったらどんなコリンズがいいかな?本当にいつか実現してほしいなあ。最近ミュージカル方面に進出されているようですし、可能性としてもなくはなさそうですが……!

 

 

おわりに

  思った以上に長くなった上に、明らかにどんどん雑になっていますが、最後まで読んだ方はいらっしゃるのでしょうか。もしいらっしゃったら、お疲れさまです……。私も疲れました。

 

 今回初観劇の友人を連れての観劇で、その意味でもすごく面白かったです。なんとなしに「たぶんこれ好きだと思う」と勧めたら、一緒に行くことになり、そこからずーっと楽しみにしてくれていて。前情報ゼロで行ったら登場人物が多い+同時進行で死ぬよなあと思ってパンフレットだけ貸したんですが、それ以外の情報を敢えてシャットダウンして臨んできてくれたりとか、客席に入った時や観劇後のテンションの上がりようとか、キラキラしていて最高でした。私はどんどん劇場に足を運ぶことに慣れてきていたけど、やっぱり劇場には特別な魔法がかかってるんだよなあと再認識しました。演目を楽しみにしているのは勿論だけれど、開演前の熱気とか、閉演後のらんらんとした瞳とか、劇場に足を運んでいる観客のこともすごく好き。ロビーのお花から漂う香りも、大量のフライヤーに目を通す時間も好き。「この空間が好き」ということを思い起こさせてくれた友人に感謝ですね。

 

 とりあえず、RENTがすごく好きだし、これからも上演されるたびに観に行くだろうな~~と思っております。

 

 

 

 

 

*1:

tsukko10.hatenadiary.jp

*2:占いは好きです

*3:ロジャーはまだ引きこもってるけど

*4:ベニーの夢ってなんだったんでしょうか

*5:マークはエンジェルのことを“he”と言ってしまって"She"と言い直します