STORY
舞台はスコットランド南西部の海岸添いにある小さな町、ガーヴァン。登場するのはアラン、フレイザー、ポール、ゴードンの4人の同級生たち。かつては人気観光地だったがすっかり廃れてしまったその町に、29歳になった彼らが苦い思い出を抱えながら集まってくる…。地元に残ったアラン、元リーダー格のフレイザー、ロンドンで働くポール、そして…。彼らの9歳、19歳の場面を行き来しながら、思い出たちが少しずつ明らかになっていき…。
2000年にスコットランドのグラスゴーで初演以来、世界15か国以上で上演されている人気作を新翻訳で上演。劇中劇を盛り込みながら現実とファンタジーが交差し、人生の真実を浮き彫りにしていく切なく美しい青春群像劇。
感想
Dステ版『淋しいマグネット』が大好きなんです。
今回、unratoで『Our Bad Magnet』(『淋しいマグネット』の原題)を上演すると知ってからずっとこの物語を生で観られることを本当に楽しみにしていて、しすぎて、観劇したいまも何から語るべきかわからなくなってしまっている。結論から言うとめちゃくちゃよかった。戯曲*1もぱらぱらと確認した感じ、Dステ版は『Our Bad Magnet』の再構築版であって、今回のunrato版はおそらくもっと戯曲に近いかたちで上演されている。キャラクターの描き方や「物語」の演出の付け方がかなり異なるので作品としての手触りも違うのだけど、個人的にはどちらもそれぞれに好きだし、どちらもラストシーンのカタルシスでたまらなくなる。
Dステ版はかなり「物語」のアレゴリー性を高めていて、さらにリューベン(ギグルズ)をあくまで「物語」の語り手として置くことによって彼の実在性を希薄に、あくまで他の3人の記憶の中の存在として提示していたのだが、今回の上演においては、ギグルズも一人の実在する人間であることを強く意識させられた。ギグルズの「物語には彼の経験が反映されており、ギグルズはカースティンとして、あるいは磁石としてそこにいる。ギグルズの「物語」と現実は直接に連関しているのである。
フレイザーの「同じ人間の話をしてるんだよな?」という台詞があるように、フレイザー・ポール・アランの3人は、10年前に死んだ──あるいは消えたギグルズについてばらばらの見解を持っている。それは単に人間の記憶があいまいなものだということもあるが、ある人間にとっての「事実」というものは彼がどのようにその出来事を消化したかに依拠する、という前提があるからだ。〈ニムストン〉という単語の考案者(ポール→アラン)や単語に付される意味*2が変遷していくように、「ギグルズの死/失踪」という出来事に対して、3人は各々の好きなように意味を付し、好きなように解釈を加えている。が、ギグルズの実在性をひしひしと感じる演出のために、「ギグルズが実際どう考えていたか、どんな人間だったかは正確にはわからない」というふうには思わず、おそらく彼は『悪い磁石』の筋書きの通り〈悪い磁石〉になるために身を投げたのだろう、と素直に受け取った。
『悪い磁石』のラスト、〈悪い磁石〉=ギグルズが崖から身投げをするのを全員が全速力で追いかけるあの心象風景が意味するのは、3人があの10年間、ギグルズをずっと追いかけてきたということだ。同じひとりの人間のことを。彼らはギグルズが〈悪い磁石〉にならなければ幸せに生きてはいかれない、と思うことを止められなかった。誰しもの胸の中にあった「なぜギグルズはそんなふうに思ったのか?」という疑問、その原因をどこに見たのか。それが彼ら3人が悲しいまでに食い違う原因である。しかし、彼ら3人は10年間それぞれの必死さでその疑問と付き合ってきた。『悪い磁石』を読んだあとの3人が、それぞれに必死であるようす──アランは機械の手入れをし、ポールは取り憑かれたようにギグルズの天才性を説き、フレイザーは塞ぎ込んでいる──を見ていれば、それは明らかだ。それぞれが負い目を感じていて、逃げていて、だけど必死であった10年間のことがはっきりと見てとれる。そんな彼らだからこそ、『空の花園』をなぞったあのラストシーンのカタルシスが映えるのであり、どうか種が芽吹くように願わずにいられないのである。
Dステ版とかなり違うと感じたキャラクターについて。特にフレイザーはかなり印象が異なっており、フレイザーとギグルズの関係性がこの物語において重要な意味を持つというのがわかりやすくなっていたと思う。フレイザーが自分が一番ギグルズのことを理解している、と感じているのは──実際、フレイザーの知らないギグルズの一面があることも示されるのだが、やはりあの小学校の夜があるからだ。フレイザーがヒューゴに言わせる〈汚い言葉〉でギグルズは発作を起こすが、あの言葉は実は途中から〈フレイザーが父親から言われた言葉〉にすり替わっている。直接的な描写はないが、フレイザーはエリートである両親から抑圧されており*3、「(父親のことが)たぶん嫌い」としている。最初はヒューゴの口を借りてギグルズを揶揄っていたはずのフレイザーが、いつのまにか曇った顔で自身が父親から受けている言葉の暴力を告白しているのである。父親から虐待を受けているギグルズは発作を起こしてヒューゴを痛めつけ、フレイザーはそれを止めるのではなく、ギグルズに協力してヒューゴを壊す。つまり、あの小学校の夜はギグルズとフレイザーがヒューゴ=父親を殺して共犯になった夜なのである。だからああして抱きしめ合う。だからフレイザーはギグルズのことを一番理解しているのは自分だ、と思っている。そしておそらくはギグルズもフレイザーのことを想っている。近寄りたくても近寄れないきれいな磁石とはフレイザーのことで、〈悪い磁石〉になるのは小学校での「いい幽霊になって会いに行く」という約束が念頭にあるのだろう。
やっぱりとても好きな戯曲だった。暗転時の爆音BGMにはいまいちハマりきれなかったけど、キャラクターの解釈とそれに沿った演出は納得できるところも多かったし、ああこういう物語だったんだ、と理解しやすくなっていたと思う。アランというキャラクターがそもそも泣かせどころではあるのだけど、アラン役の奥田さんがすごくよかった。
SET LIST
フォロワーに教えてもらったものがほとんどだけど、劇中で使われてた曲などのメモを。
The Post War Dream - Pink Floyd
最初にかかってた曲。
Love Will Tear Us Apart - Joy Division
暗転時にかかってた曲。
Losing My Religion - R.E.M.
レセプションで演奏する曲としてアランが挙げた曲。暗転時にもかかってたような……?
Creep - Radiohead
客出しでかかってた曲。クサいけど沁みる。
Pellicule - 神門
劇場ではかかってないけど、パンフレットで演出家が引用していた曲。
曲名は出てないけど、ポールがチョイスしたThe Cureから勝手に2曲。
Just Like Heaven
Boys Don't Cry