夢と現実いったりきたり

雪組バウホール公演『Sweet Little Rock'n'Roll』

 

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シェイクスピアの「から騒ぎ」を下敷きに、舞台を1950年代のアメリカに移してハイスクールに通う若者たちの恋模様を描いた『スウィート・リトル・ロックンロール』。
1985年に月組で上演されたフレッシュでエネルギッシュなミュージカル作品を、2022年版にリメイクしてお届け致します。
ロックンロールの軽快なリズムに乗せて繰り広げられる青春ミュージカルと、HOT&COOLなナンバーで構成されたフィナーレが、雪組バウホール公演を盛り上げます。

 

超〜〜〜〜〜〜楽しかった。いや本当に。中村暁先生のショーがあんまり肌に合わないのと、下敷きになってる『から騒ぎ』がいまいち好きじゃなかったのと、アメリカンハイスクールものがあんまりツボじゃない……という要素が積み重なっていて正直期待値はあんまり高くなかったのだけど、本当に楽しい公演だった。それが嬉しくて嬉しくて、泣くような話じゃないのにフィナーレで泣きそうになるの巻。SLRRをひとことで表すと、「シェイクスピアをベースに80〜90年代少女漫画を新喜劇的手法で演出して漫才のエッセンスを加え、KPOPを違法増築した作品」になる。泣くような作品ではないな……。

 

一幕はロバートとメアリー、ビリーとシンディのカップルがくっつくまでの騒動が、そして二幕ではロッキーとミリーの不和を解決するまでの騒動が描かれる。いろいろなカップルに焦点を当てていくことで、キャラクターを持て余すことなくきちんと個性を描けていて、雪組って面白い子たちがいっぱいいるんだなあと再確認できた。それでいて主演カップルの存在感が薄くなることもない。二幕の糸を引いているのがビリーとシンディだから……というのもあるけど、やっぱり縣千くん・夢白あやちゃんのふたりのスターとしての存在感が強いからこそ。あがちはビリーみたいな思春期の男の子を演じるとかっちりハマっててよかった。夢白あやちゃんはもう完璧だし言うことないよね……。おのおのが独立したスターとして素敵だけど、ふたりが掛け合わさったときに魅力が何倍にもなる感じがまたパワーがあっていい。

冒頭でグッドマン校長がビリーにかけた「何かに出会うことで自分が変わる」という言葉にこの作品のテーマは凝縮されていて(作中ではそれがロマンスに発展するボーイミーツガールを意味する)、意地だの見栄だのプライドだのを脱ぎ捨てて、素直に自分の心と相手に向き合ってみよう、そうすればきっともっと素敵なものになれるから、という前向きで明るいメッセージが詰まってる。若手メンバーで、そして今の時代に上演するのにぴったりな作品だと思った。あんまり眩しくて涙が出る……。すぐ泣くやん。コメディリリーフ的役回りだと思っていたロッキーが二幕で中心に据えられるのにも泣いたね。ミリーの狂言のクライマックス、周囲がてんやわんやと動き回っている中でスポットライトを浴びて動かないロッキーとミリーを見ていると(あくまで主役はビリーとシンディだけれど)ふたりにとってはお互いが世界の中心だというのがよくよく伝わってくる。真ん中でカップル芝居をしてることもそうだし、黒燕尾のボタンがキラキラ光っていたことも嬉しかった。そういう意味でも楽しい公演だった。

 

作品全体の話に戻る。舞台やミュージカルやタカラヅカの「お決まり」を違う文脈で使うことでユーモアに仕立てる、ということをやっていて、その構造が面白かった。昔の作品をリライトしている/下敷きがシェイクスピア作品、というのもあり、価値観に引っかかるところがあるかな? と構えていたけれど、案外すんなり観られたのはそういう作品の構造のおかげだと思う。「男らしさ」で意中の女の子にアピール!という展開もあるものの、同時に「男らしさ」をギャグとして消化しているから気になりづらい。特に、ビリーやロッキーの「男らしさ」は過剰さをもって演出されて、笑いどころとして提供されていて、そういうところが面白い。

ただし、他の場面もあわせて考えると、「男らしさ」というところを意図してギャグ化しているというよりは、「過剰さ」という宝塚の特性を利用して、宝塚でしかできないギャグをやっている……という認識の方が近そう。シンディの心象風景として登場する《幻想のビリー》や、ビリーの投げキッスに笑いが起こる*1って不思議な話で、主演の男役が真っ白な王子様衣装で登場するのも投げキッスをするのも普段は「かっこいいもの」のはずなのに、それがギャグの文脈で使われているという。宝塚をメタ的に使うのは見たことあるけど、こういう使われ方はわたしは初めて見た。もしかしたら嫌な人もいるかもしれないけどわたしは好き。

 

この公演で雪組のあみちゃんが見納めかと思うとすごく寂しくなってしまうんだけど、そういう事情が本編中は吹き飛んでしまうくらいあみちゃんのお芝居が面白かった。あみちゃん自身がカフェブレで「コメディのお芝居は難しい」と話していたように、コメディ芝居ってすごく難しいものだと思うんだけど、お芝居のうまい人がやるコメディ芝居は死ぬほど面白いということを他ならぬあみちゃん自身が証明してた。勝手に厳選!SLRRで面白いパート:フクロウネタ、マットのガヤ、ロバートのすべて(特にシンディの物真似)フィナーレのソロのあみちゃんがあまりにも綺麗でまた組替えのことを思い出して、行くな……と思いつつ月組のあみちゃんも楽しみなんだよなあ。フィナーレのあみちゃんに月城さんの面影を感じてびっくりした。はおりんにはあゆみさんを感じるし、宝塚のそういうところがいろんな意味でゾクゾクする。

 

作品でちょいちょい惜しいな〜と思うところもあったけど、特に言いたいのはぐいぐいジョーがフェードアウトするところだよ!!!あのクセが強すぎるキャラクターをあんなふうにフェードアウトさせていいわけがないだろうが!!!なんなん!!! なんなんついでに言うと、フィナーレで本格的に2PMをカムバさせようとするのはかっこいいとかの前に笑ってしまうから勘弁してください。好きなタカラジェンヌが2022年に2PMとしてカムバックするなんてノストラダムスでも予想できないから。るいくんのパートはチャンソンのパートらしいです。なんなん。もう近頃は毎日ハートビート聴いてます。リスントゥマイハービー……

 

*1:前者は回によって起こらないこともある

2021年現場まとめ

 自分でもびっくりすることに、2021年はほぼブログを更新していない。観てすぐアウトプットしないと自分の頭ではきれいに忘れてしまうというのに……。うまく思い出せないかもしれないけど、今年の現場を振り返っていこうと思います。

 

雑感

 上半期は興行も再開しはじめてまたぽつりぽつりと舞台も観に行けるなあと思っていたのだけど、急に宝塚に「気づい」て以来、もっぱらタカラヅカづいてた下半期。どうしたってお勉強おたくなところがあるからスカイステージを活用しながら昼夜「タカラヅカ」を学んでいたら、あまりにもタカラヅカばっかり見てることに気づいて、焦っていろいろ手配した秋口……。恐ろしいことに、来年にはU-25割引も使えなくなってしまうという。このブログを始めた当時はまだ成人してなかったことを思うと感慨深い。それはそれとして、この1〜2年は大目に見てほしいんだけど駄目ですか。

 自分がなにかにハマると一辺倒になる性分というのもあるけど、ここ最近は国外コンテンツにハマっていたために1〜2年強制的在宅状態で、現場がある国内コンテンツに傾いていったのは仕方がない。

 

1〜4月

 だいたいここでまとめてます。

tsukko10.hatenadiary.jp

 

 

5月

柿喰う客『滅多滅多』@本多劇場

魑魅魍魎が跋扈する「高天原立秋津島小学校」!時刻は4時44分、夕闇迫る逢魔が時
忌まわしき歴史に血塗られた幽愁暗恨の教室で、悪魔たちの課外授業が幕を開ける!!

演劇界の風雲児「柿喰う客」の最新作は怪優20名による大スペクタクル!
大人と子供と「七不思議」による学内抗争を描くホラー・スリラー・ミステリー!!

感想

 シンプルに人が多い。わたしの中で柿の団員の記憶が2016年入団で止まってる(2017年入団はわかる人とわからない人がいる)せいで1/3くらい誰!?ってなって困った。今改めて公式HP確認したけどやっぱ人多くない???

 人が増えたのに「柿」濃度はそんなに高くないように感じて、いや柿の芝居だし濃いんだけど、妙にサラッと観ちゃうというか。もうすでにストーリーをだいぶ忘れている……。新メンバーをまだ柿の俳優って認識できてないのが原因な気がするけど、だからこそもうちょっと人数減らした公演もやってほしいなと思った。2020年末に観た『夜盲症』はかなり満足度高かったし……とか思ってたら発表された2022年の本公演がまさかの3人芝居でしかもメンバーが大村・玉置・田中って期待しかないやつだった。みんな好きなやつじゃん。絶対観るぞ。

 とはいえ『滅多滅多』も面白かったんですけど。どうしても音楽ネタに弱いんだよな……。滅多滅多音頭でセンターを張る穂先くん、路線男役です。というか『空鉄砲』で新人公演やるし、もはや寄せてきてるのかもしれない。

 これまでになく考察で盛り上がってたような気がする(あくまで自分の観測範囲で)。柿の芝居ってわりと時系列がガチャガチャになってたりリフレインが多かったりで入り組んでるけど、最後まで観たらすんなり理解できる印象なのに今回複雑に感じたのはやっぱり人数が多いからでは!?

 『夜盲症』に引き続き長尾さんがズボン役だったありがたさよ。同様にズボン役の沖さんがよくて、ていうかシンプルに「顔が好き」というあさましい感想なんだけど、でもここふたりをズボン役にした中屋敷さん、「わかってる」じゃんって……。

 

6月

雪組ヴェネチアの紋章/ル・ポァゾン 愛の媚薬-Again-』@相模女子大学グリーンホール/愛知県芸術劇場

16世紀前半のイタリア、ヴェネチア元首の息子であるアルヴィーゼは、正当な世継ぎでないがゆえに愛する人リヴィアと結ばれず、異国へと旅立つ。十年後、持ち前の才覚で貿易商として成功を収めた彼は、忘れることがなかったリヴィアと再会し、モレッカのダンスでさらに想いを滾らせる。そしてついに、愛する人を取り戻すために、そして自分自身の誇りのために、アルヴィーゼはヴェネチアがくれなかった“紋章”への強い執着に突き動かされ一国の王となるために立ち上がる─

tsukko10.hatenadiary.jp

 

 最近Blu-rayが出て、部分部分を見返してるんだけど芝居の衣装がかわいいし、ロマンチックレビューはいいものですね……。初演を見てしまうとつぎはぎだなあとは思うんだけど。芝居の方はやっぱりホンの古さが否めないのと、いらない付け足しがちょっとな〜と思う。原作が爆裂面白いというのもある。しかし月下のモレッカは筆舌に尽くし難い。あの瞬間のために観たかいがあるというものです。さききわというトップコンビが(自分と一緒に走り出したという贔屓目があるにせよ)好きだなとしみじみ思う今日この頃。

 

イキウメ『外の道』@シアタートラム

同級生の寺泊満と山鳥芽衣は、偶然同じ町に住んでいることを知り、二十数年ぶりの再会を果たす。
しかし二人には
盛り上がるような思い出もなかった。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。

寺泊はある手品師との出会いによって、世界の見え方が変わり、妻が別人のように思えてくる。
新しい目を手に入れたと自負する寺泊は、仕事でも逸脱を繰り返すようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった。

日常生活が困難になっていく寺泊と芽衣は、お互いが理解者であることを知る。
二人はこの混沌の中に希望を見出そうと、街中に広がった無を見つめる_。

 イキウメってどうしてこうも外れないんだろう。観終わったあと「イキウメゎサイコー」しか言えなくなる。めっっっっちゃくちゃ面白かったし怖かった。イキウメといえば会話のうまさ、それによって紡がれる人間関係のうまさだけど、それがうまければうまいほど、のちのち描かれる秩序や常識の綻びをいっそう恐ろしく感じる。わたしの観るイキウメはいつも「ふつう」の枠や境界に疑問を投げかけていて、だけど人間のことが好きだというのが根底にある。怖いけど明るい。

 自分はどこから来たのか。自分は何者なのか。自分は本当にまっすぐに世界を見ているか。そういうことをずっと捏ねくり回している。イキウメは絶対に「考えること」を諦めないんだな。それが心地いいし、観ていて救われる気持ちになる。

 ところでシャッターのついている家に住んでいるんですが、シャッターを閉め切ると「外の道」ごっこができます。

 

7月

『Being at home with Claude クロードと一緒に』@シアターウエス

1967年 カナダ・モントリオール。判事の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。
殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。
順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。
密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。

 

 2019年にBlancバージョンを観ていて*1、再演の報を受けて絶対に観ようと思っていたクロード。やっぱり作品としてすごく好きなんだけど、がっつりセットが組まれた中で観るクロードって、なんだか違和感があった。本来こっちが正しいのかもしれないけれど、イーヴをこんな狭い部屋に閉じ込めるなんてひどい、と思った。赤レンガ倉庫がイーヴの見ている世界だったとしたら、シアターウエストは現実の世界。だけどその分すごく理解しやすくて、クロードってこんなにあからさまに社会構造の話だったんだなというのをひしひしと感じた。この位相で見るイーヴはあまりにもぼろぼろで、見ていてつらかった。これは溝口イーヴの特色というのも脚本演出の違いというのもあるだろうけど、溝口イーヴは最後の最後までわかってほしかったんじゃないかな……というのがつらかった。松田イーヴはこちらを突き放して、わたしたちに理解されることを拒んでたから。確かイーヴの「もうやめるよ」で幕切れだったんだよね。わたしはがらんとした赤レンガ倉庫を縦横無尽に駆けまわる松田イーヴに恋していたのかもしれない。

 

ジーザス・クライスト=スーパースター inコンサート@シアターオーブ

舞台は約2000年前のイスラエル
ひとりの人間として、神や民衆との間で苦悩するジーザス(イエス・キリスト)と、ジーザスに仕える弟子の一人でありながら、裏切り者として歴史にその名を刻むことになるイスカリオテのユダ
民衆の間で人気を高めるジーザスに対し危険を示唆するが、ユダの心配をよそに民衆はジーザスを崇拝していく。

ユダヤ教の大祭司カヤパは、大衆の支持を集めるジーザスに脅威を感じ、他の祭司たちとジーザスを死刑にしようと企てる。
そして自分の忠告を聞かないジーザスに思い悩むユダは、祭司たちの策略により、とうとうジーザスを裏切り、祭司たちに居場所を教える。

神の子としての自分と、人間としての自分との狭間で思い悩むジーザス。
遂には弟子や民衆の裏切りによって捕えられ、十字架にかけられたジーザスは、自分の運命に対する神の答えを問いただしながら息絶えるのであった…。

 

 JCSは曲が好きで、以前配信されていたコンサート形式のものだけ見たことがある。今回もコンサート形式だから次やるときは見たいな……。わたしは芝居>ダンス>歌で、あまり歌唱力重視ではないんだけど、うまい歌を浴びるとやっぱりテンションが上がる。歌がうまいっていいことですねえ! 柿澤さんのシモンはニンというか、ああいう突っ走る若者みたいな役柄ほんとに似合うんだけど、前にコンサートで歌ってたヘロデ王もいつか見たい。藤岡さんのヘロデ王がどうひっくり返っても好きで抗えない。

 

 

月組『桜嵐記/Dream Chaser』@東京宝塚劇場

南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。
太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。

怖かったんだよね。観終わったあとずっと「怖い」って言ってた。争いをやめた方がいいとわかっていてもやめられない天皇。過去の呪縛。「国体」とかそういうワードが思い浮かんでは消え、具合が悪くなってきたところに、晴れやかに華々しく退場してゆく正行の姿に「泣ける」ことにぞっとしてしまう。恐ろしいほど演出がうまいんだよな……。

 

8月

宙組シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!/Delicieux!』@東京宝塚劇場

19世紀末イギリスの小説家コナン・ドイルが生み出した不滅のヒーロー、シャーロック・ホームズ。その人並み外れた洞察力と観察力、そして変装術を駆使する名探偵の縦横無尽の活躍を描いた「シャーロック・ホームズ・シリーズ」は、時代と世代を超えて今尚、様々なメディアで世界中の人々を魅了し続けています。
稀代の名探偵、シャーロック。その宿敵となるジェームズ・モリアーティ教授。ただ一人、シャーロックの心を動かした「あの女」、アイリーン・アドラー・・・
「罪を追う者」。 「罪に生きる者」。 そして、「罪を背負う者」・・・
「罪」によって分かち難く結ばれた三人のキャラクターの描き出す幾何学模様(トライアングル・インフェルノ)!
「人」とは? 「罪」とは? そして「愛」とは? 
霧と煙に包まれた都・ロンドンを舞台に、数多の難事件を解決してきた名探偵の挑む冒険活劇。
なお、この公演は、新トップコンビ、真風涼帆・潤花の大劇場お披露目公演となります。

 生田先生の美的感覚・こだわりは好きだけど、いつものことながらストーリーが練りきれてないと思うんだ……。キャラシートはがんがん作り込むけどストーリーまで落とし込めてない感じ。でも演出は本当に好きだから生田先生には頑張ってほしい(SALU)と毎度言い続けます。キャラクターといえばモリアーティ率いる犯罪シンジケートの面々にGファンタジー的オタク臭さが漂っててちょっと赤面しちゃった。小学生時分のキズが疼いてしまうんや。

 ホームズといえばワトソンだけど、生田先生の萌え的にはホームズとモリアーティになるのはわかる。それで割りを食ったと思いきやワトソンが存外いい役だった。桜木さんの演じる「人のよさ」が好き。生田先生、シャロモリシャロに萌えすぎてちょっとおかしくなっちゃってるじゃん(笑)とか言ってたけどわたしもポーロックに萌えすぎておかしくなってしまった。あんなん好きだよ。どうしてくれるんだよ。

 デリシューはプロローグが異常に楽しかった。ドルオタの自我が野口先生のアイドル場面を消化できずに喧嘩してしまうんだけど、パリ野郎はよかった。若干乗り切れない場面もあるにはあったけどおおむね楽しかったです。野口先生も性癖をもうちょっとうまく抑えられるようになったらもっと好きになれるのでよろしくお願いします。

 

9月

雪組CITY HUNTER/Fire Fever!』@宝塚大劇場

新宿を舞台にスイーパー(始末屋)として生きる“シティーハンター”こと冴羽獠。彼が依頼を請け負うのは、美女絡みか、依頼人の想いに“心が震えた時”のみ・・・・。
獠の持つハードボイルドかつコミカルな魅力を、彼を取り巻く個性的なキャラクター達の活躍と共にドラマティックに描きます。

 

公演にまつわるツイートをtogetterにまとめてます。

 

本当に苦しい公演期間だった……。自我が引き裂かれていくような……。先に言ってしまうと、「芝居」としては全く評価してない。

まず、何十年も前の作品を現代で上演するってなったとき、問題のある表現を除去/改変するか、問題と認識したうえで必要があるから描くか、というその議論の俎上にすら載ってないんだろうな、というやるせなさ。ここはnot for meとかじゃなく最低限のラインがクリアできてないってことだからがっかりした。

ここからは自分の好みの問題も入ってくるけれど、「問題のある表現」のことを抜きにして作品を見たときにやっぱりいまいちぴんとこない。そもそも、演出によって完全に統率のとれた芝居が好きだからアドリブとか日替わりって極論必要ないと思ってて。インスタントな笑いよりきちんと練られた「文脈」を見せてほしい。台詞の一言一句に気を配って、そこからキャラクターの背景がぐっと広がるように作り込んでほしい。群衆芝居は本筋にきっちり目を向けられるように視線誘導すべきだし、その点から見るとCHの新宿雑踏って群衆芝居としては成り立ってないんですよ。……っていう、とうとうと不満をたれる自分がいる一方で、雪組子が好きな自分としては下級生までほぼ通しの強めのキャラクターがあって、台詞はなくともみんなが自由に芝居ができるのがありがたい……という感情が捨てきれないジレンマ。新宿雑踏の話も、それを敢えてやってるのは「全員が主人公」をやりたかったってことに他ならない。そういう愛情はすごーーーく感じられるからずっと苦しかった。自我が引き裂かれる……。

 

「そう。「憎しみに限りなくちかい愛情」など、そんなものは存在しない。真の憎しみで彼を思い、真の愛で彼を思う。どちらも本当で、別個のものなのだ。この相反するもっとも激しいふたつの感情が、同じだけの焦げつくような熱さで、彼一人に執着する。同じだけの強さでこの胸を引き裂く。引き裂かれた肉が血が細胞が悲鳴をあげる。身を焦がし尽くして、業火のなかでのたうちまわることしかできない。」

—『炎の蜃気楼9 みなぎわの反逆者 (集英社コバルト文庫)』桑原水菜
https://a.co/6GYBzVt

まさにこんな感じだった。まさか宝塚を観ることで直江信綱の心情に寄り添えるとは思わないじゃん。宝塚はいつもわたしに新しい感情を教えてくれる。

 

花組『銀ちゃんの恋』@梅田芸術劇場シアタードラマシティ

1982年に「直木賞」、1983年に映画版で「日本アカデミー最優秀脚本賞」を受賞した、つかこうへい作「蒲田行進曲」。宝塚歌劇では1996年に、久世星佳主演で初演、2008年と2010年には、大空祐飛主演で再演。異色の題材ながらいずれも大好評を博しました。
自己中心的でありながら、どこか憎めない映画俳優の銀ちゃんが、恋人の小夏や大部屋俳優ヤスなど、個性豊かな「映画馬鹿たち」と繰り広げる破天荒でありながら、人情味溢れる物語が、再び宝塚の舞台に登場致します。

この題材(スターと大部屋)を宝塚でやるって悪趣味だとは思いつつ面白い。銀ちゃんの語るスターの在り方(スターはかっこよく「存る」もの、芝居はまわりの人たちがやってくれる)は銀恋におけるパラーバランスそのもの。ヤスがうまくないと成り立たないけど、同時に銀ちゃんが「かっこよく在る」ができてないとやっぱり成り立たない。観客はそれを宝塚のシステムと重ねて観てしまうし、そういうとこはやっぱ悪趣味なんだよね。つかさくんが好きかつヤスという役が好きだからめちゃくちゃ泣いた。なんなら、初っ端の階段落ちをやる子分はいないのか〜のときにヤスが階段を調べてるとこから既にちょっと泣いてたから。年々涙腺が弱くなってきていていかん。

ヤスが元々チェーホフをやるような演劇青年だったというのがまたいい。それを受けた銀ちゃんが、観客が望んでるのはそんな理屈っぽいのじゃななくてちょっと見逃してもストーリーがわかるような娯楽作品だ、と返すのは、宝塚という国内有数の娯楽作品のために劇場へ足を運んでる我々観客への皮肉すぎる……。

銀ちゃん=銀幕、映画の擬人化……とまではいえないかもだけど、その象徴として描かれているからこそ、映画というものに惚れ込んだヤスにとって銀ちゃんはかっこいい理想の銀幕スターでいてくれなくてはならないし、そのためになら自分を犠牲にすることを選ぶ。

銀ちゃんが銀幕の象徴、というのは小夏にとってもそうだけど、小夏の描かれ方はだいぶグロテスクだからそこはしんどい。銀ちゃんから散々な扱いをされたあげく、貧乏でつましい生活だけど幸せ、と歌ったりあたかも自分が悪いかのように謝ってたり、でも小夏は悪くないんだよ……。

ところでつか作品って改竄熱海と銀恋しか知らないのだけど、「田舎」のディティールが異様にうまくて舌を巻く。熱海の相撲、銀恋のミス農協。ミス農協のシーンでは客席から笑いが起こっていたけど、あれは意図された笑いなんだろうか。はたから見たらしょうもなく見えるかもしれないしそこへ拘ってるのってキツく感じるけど、あれはその人のプライドの象徴だし、それを笑うのはその人を踏みつけることだと思うんだよな。少なくともわたしはミス農協のことを笑えない。都会と田舎、「女」への視線、そういうものが詰まっていてどうしても悲哀を感じてしまう。つかこうへい的にはそのへんわかってやってると思うんだけど、石田先生のことをいまいち信用していないせいでそのへんどうなのかな〜と思ってしまう。

余談だけど、田舎のディティールといえばヤスと小夏の凱旋で出てきた村長が人のメダル勝手に噛みそうな嫌さがあってすごかった。

 

10月

雪組CITY HUNTER/Fire Fever!』@東京宝塚劇場

 

11月

雪組CITY HUNTER/Fire Fever!』@東京宝塚劇場

 

『イロアセル』@新国立劇場小劇場

海に浮かぶ小さな島。その島民たちの言葉にはそれぞれ固有の色がついている。それは風にのって空を漂い、いつ、どこで発言しても、誰の言葉なのかすぐに特定されてしまう。だから島民たちはウソをつかない。ウソをつけない。
ある日丘の上に檻が設置され、島の外から囚人と看守がやって来る。島民は気づく。彼らの前で話す時だけは、自分たちの言葉から色がなくなることに――。

新国立は裏切らない。演劇の想像の妙味を愛してるがゆえに、それを限定してくるような映像演出が鬼門気味なのだけど、これはいい映像の使い方だった。SNSをテーマにした作品もたいてい紋切り型だしオチや込められたメッセージが好きではないことが多いけど、イロアセルはブラックコメディ的切り口で面白く観れた。寓話っぽい。

 

花組『元禄バロックロック/The Fascination!』@宝塚大劇場

花、咲き乱れる国際都市、エド。そこには世界中から科学の粋が集められ、百花繚乱のバロック文化が形成されていた。
赤穂藩藩士の優しく真面目な時計職人、クロノスケは、貧しいながらもエドで穏やかに暮らしていたが、ある日偶然にも時を戻せる時計を発明してしまい、人生が一変する。時計を利用し博打で大儲け、大金を手にしてすっかり人が変わってしまったのだ。我が世の春を謳歌するクロノスケであったが、女性関係だけは何故か時計が誤作動し、どうにも上手くいかない。その様子を見ながら妖しく微笑む女性が一人。彼女は自らをキラと名乗り、賭場の主であるという。クロノスケは次第に彼女の美しさに溺れ、爛れた愛を紡いでいくのだった。
一方、クロノスケの元へ、元赤穂藩家老クラノスケが訪ねてくる。コウズケノスケとの遺恨により切腹した主君、タクミノカミの仇を討つために協力してほしい、と頼みに来たのだ。だがそこにいたのは、かつての誠実な姿からは見る影も無くなってしまったクロノスケだった。時を巻き戻したいと嘆くクラノスケに、時計を握りしめ胸の奥が痛むクロノスケ。だが、次の言葉で表情が一変する。コウズケノスケには、キラと言う女の隠し子がいることを突き止めたと言うのだった・・・。
元禄時代に起きた実話をもとに、様々なフィクションを取り入れ紡がれてきた、忠臣蔵。古来より普遍的に愛されているこの物語を、愛とファンタジー溢れる令和の宝塚歌劇として、エンタメ感たっぷりにお送りします。
クロノスケとキラ、二人の時がシンクロし、エドの中心で愛が煌めく。バロックロックな世界で刻む、クロックロマネスク。
この公演は、演出家・谷貴矢の宝塚大劇場デビュー作となります。

こんなにおたく向けなビジュアル・設定なのに刺さるキャラクターがいない不思議。貴矢先生とはたぶんおたくとして違う方向を向いている。貴矢先生の作品って未来志向なんだよね。過去になにかしら瑕があっても、それは「乗り越えるべき」壁であって、最終的には明るい未来へ向かって笑顔で歩んでゆく。少年漫画の系譜。全然悪いことではないんだけど、自分のツボとはことごとく違うっていうだけの話です。個人的にはもっと過去の比重が高くて閉塞感のある物語やキャラクターが好き。もう凱旋門見とけよ。でも目に楽しいし普通に楽しく観れるからいいですね。タイムリープの原理はちょっと謎だったが……

今作で特筆すべきはショーの方だと思う。神のショー。観ながらずっと顎外れそうになってた。中村先生のショーはもとから好きなんだけどそういう次元ではなく、中村先生はとうとう神籍に入ったのかもしれないな……。オマージュの場面が多いという話だから、中村先生のキュレーターとしての才能がものすごいのかもしれない。これを作った中村先生もすごいけど、上級生から下級生まで誰が銀橋に出てきても納得できる、ちゃんとその役割を全うできている花組子もすごい。いいものを観た……。こんなおめでたいショーが三ヶ日にNHK BSで放送されるなんてぴったりすぎる!!!(宣伝)

 

 

二兎社『鴎外の怪談』@シアターウエス

舞台となるのは千駄木・団子坂上森鷗外の住居「観潮楼(かんちょうろう)」。この家は、歌会を催し、文学談義に花を咲かせるサロンである一方、帝国軍医としての鷗外に近しい軍人や官僚が出入りするなど、文学者にして官僚という、鷗外の「二つの頭脳」を象徴するような場でした。
 家庭生活においても、鷗外は「二つの頭脳」の使い分けを余儀なくされていました。二度目の妻・しげと、鷗外の母・峰(みね)は、森家の主導権をめぐり、壮絶なバトルを繰り広げていたのです。鷗外は、しげに対しては「良い夫」、峰に対しては「良い息子」としてふるまうという、危ういバランスを生きていたのでした。

 ところが、社会主義者幸徳秋水らが明治天皇の暗殺を企てたとする「大逆事件」が報じられると、文学者と官僚の二つの立場を行き来する鴎外の危うさがピーク に達します。

面白いんだけどどうしたって現代社会のことを考えてしまってつらい気持ちになる。鴎外の「結局こういう結末」って台詞は鴎外自身の人生のことだけじゃなく日本社会がずっと同じようなことを繰り返して今まで続いてるってことの風刺なわけだし。落ち込んじゃう。

鴎外は人から望まれる人間として生きていて、だから他の人から懇願されるとそちらへ引っ張られる。それは「やさしさ」とは呼べない。自分自身の生き方、責任から逃げている。鴎外自身もずっとそう感じていて、それの「ぶり返し」として発露したのが山縣有朋への直訴だけど、結局それを旧態の象徴である友人や母に阻止される。しげが男児を産んだことで義母から「一人前」って認められるの(相変わらずばちばちではあるけど)がグロテスクなのだけど、しげもそちら側に取り込まれてくのかなあ。

平出は唯一あの事件にきちんと立ち向かってたけど、「大いなる力」によって定められた結論ありきだから、彼がどれだけ尽力してもひっくり返ることは絶対にない。どうにかする力を持っていたはずの鴎外は結局その力を行使できないまま終わる。獄中から感謝を述べられるけど、真にあの手紙に励まされる資格があるのは平出だけなんだよな。

荷風は自称・他称ともに「不真面目」って言われる人だけど、その実は真面目な人なんだよな。ただ行動ができなかった。なんだかんだと事件から逃げ続けてた自分を許せないがゆえのあの転身。事件への向き合い方という視点では荷風の態度が自分に近いところがある気がするからちょっと居心地が悪い。平出と荷風犬猿コンビはめちゃくちゃかわいい。久々に味方さんを見ました。

 

 

12月

宙組『バロンの末裔/Aquavitae!!』@福岡市民会館

貴族階級の支配が崩れ去った20世紀初頭のスコットランドを舞台に、男爵家に生まれた男が、双子の兄の婚約者への叶わぬ想いを胸に抱きながらも、愛する土地と人々を守る為、貴族的な潔さでダンディに生き抜く姿を描いた物語。1996年、月組久世星佳のサヨナラ公演として上演され、心揺さぶる主題歌と共に鮮烈な印象を残した作品の初の再演となります。

アクアヴィーテというショーがとても好きで、再演があるなら絶対に行かなきゃでしょ〜と思って観てきた。アクアヴィーテが最高なのは語るまでもないんで割愛するとして、バロンの末裔の話。正塚先生の作品は結構好きなのです。台詞と間を大切にしてくれる先生。文明も価値観も新しくなる過渡期、旧態のものとして否定的・悲観的に描かれる印象が強い貴族という存在を「家名へのプライドではなく、そこにいる人々のために土地を守ること」という切り口であたたかく描くのが新鮮に響いた。ホテルに改装されるボールトン家、キャサリンエドワードの関係性、形を変えても変わらないものの話だった。キャサリンエドワードの選択と物語の結び方が大好き。

キャサリンがローレンスに返す言葉が、嘘ではあるけれども心からの言葉としても響く、というのがすごい。やっぱり潤花ちゃんのお芝居が好きです。銃のシーンのキャサリンエドワードの掛け合いの集中力もすごい。潤花ちゃんだけでなく、誠実なもえこちゃん、人のいい桜木さん、二役を演じ分ける真風さん、全員よかったな……もしかしなくてもかなり宙組が好きだな!?

 

THE CONVOY SHOW『コンボ・イ・ランド』@こくみん共済coopホール

本田さんのおたくに連れて行ってもらいました。完全に周年記念公演って感じでお芝居として観たときに初見には優しくないけど、とにかくダンスのうまい若手が揃い踏みだからショータイムが楽しい。加藤さんのことが地味に好きたからだいたい加藤さんのことを見てたんだけど、ターンが綺麗で速くてものすごく目を引く子がいて、終わったあとにあの子誰?!って聞いたら山野光くんというらしい。183cmでガタイもいいんだよね。そろそろものごとの基準が宝塚になってきてて男役群舞みたいな場面が何回かあったなってなった。宝塚ではない。やっぱりダンスがうまいっていいことだなあ。

 

星組柳生忍法帖/モアー・ダンディズム!』@東京宝塚劇場

山田風太郎の小説「柳生忍法帖」。史実にフィクションを織り交ぜ壮大なスケールで描く傑作時代小説の初の舞台化に、宝塚歌劇が挑みます。
寛永年間。暴政を敷く会津藩主・加藤明成を見限り出奔した家老・堀主水の一族に、復讐の手が迫る。明成は堀主水の断罪だけでは飽き足らず、幕府公認の縁切寺東慶寺に匿われた堀一族の女たちをも武力をもって攫おうとする。しかしそれは、男の都合に振り回された生涯を送り、女の最後の避難場所として東慶寺を庇護してきた天樹院(豊臣秀頼の妻であった千姫)には許しがたい事であった。女の手で誅を下さねばならぬ。そう心定めた天樹院は、敵討ちを誓う女たちの指南役として、密かに一人の武芸者を招聘する。将軍家剣術指南役の嫡男ながら城勤めを嫌い、剣術修行に明け暮れる隻眼の天才剣士、柳生十兵衛。女たちを託された十兵衛は、死闘を繰り広げながら会津へと向かう。待ち受けるのは、藩を牛耳る謎の男・芦名銅伯と、銅伯の娘で明成の側室ゆら。果たして十兵衛たちは、凶悪な敵を打ち倒すことが出来るのか…。

作品の出来としては物足りない部分もあるんだけど、ストーリーが興味深かった。フェミニズム活劇みたいな話だった。

劇中何度も注釈が入るように、この物語自体は紛れもなく堀一族の女たちの話で、十兵衛は堀一族の女たちの物語を乗っ取らない。だけど同時に柳生忍法帖の主人公はちゃんと十兵衛で成り立ってるから、そこが不思議。十兵衛がちゃんとかっこいいのがキモなのかな。

十兵衛って、復讐のために立ち上がった女たちを性的な目で見ることもないし、なんならゆらとのラブ要素も薄い。そもそも作中で女の人を愛する描写自体がない(いやゆらに口づけはしてたけど)。十兵衛のかっこよさがあらわれるのは、たとえば最後にゆらをひとり弔う場面。ゆらは罪人だけど被害者でもあり、彼女を弔う者が十兵衛以外にいないからこそちゃんと弔ってやる。彼女の痛みをちゃんと理解している、そういうやさしさこそ十兵衛のかっこよさ。女を食いものにする男たちの中で育ってきたゆらが十兵衛に惚れるのはすごくよくわかる。すごく現代的なヒーロー像に思えるんだけど、原作は60年代に書かれてるんだよな。

十兵衛と虹七郎が刃を交える場面で、やろうと思えばかっこよく一騎討ちを描くこともできるのに最後は堀一族の女たち自身に討ち取らせるのとか、この復讐の主役は女たちだということ、仇である七本槍かっこよくは果てさせないぞという意図を感じる。時間の都合もあるかもだけど、みんなあっさり死んで散り際かっこよくないもん。そのへんのバランスもよかった。

ショーの方はもう、岡田敬二先生と同じ時代を生きて劇場でロマンチックレビューを観られている事実に感謝感激雨霰ですよ。星組では朝水さんと天路くんが好きなんだけど、ショーでちゃんと天路くんを見つけられて嬉しかった。かわいいし髪型のセンスがめちゃくちゃいい。

 

 

風姿花伝プロデュース『ダウト』@風姿花伝シアター

2004年ブロードウェイにて、 ストレートプレイとしては異例の一年以上のロングラン上演を記録し、 ピューリッツァー賞トニー賞最優秀賞など数多くの演劇賞を受賞した作品。 1964年のニューヨーク・ブロンクスのミッションスクールを舞台に、 「疑い」をめぐって繰り広げられる緊迫した濃密な会話劇。

新国立は裏切らない、いや、小川絵梨子は裏切らない。劇場のアクセスが悪い以外は本当によかった。観に行こうと思えばこれを1,000円で観に行ける東京の高校生が羨ましくなってしまう。

副題の「疑いについての寓話」は、たびたび出てくる神父の説教のことでもあり、この芝居全体のことでもある。現代、特に日本の社会を考えたとき、校長の疑いが「勝つ」(厳密には作中でも「勝って」はいないのだけど)ところが絶対に現実ではなくて暗澹とする。やっぱり会話劇が好きだな。「タージマハルの衛兵」で知った亀田さんはもちろんのこと、校長役の那須さんがとてもよかった。

 

男性ブランココントライブ「てんどん記」@草月ホール

男性ブランコのコントライブ『てんどん記』(12/25 12:30)

急にお笑いにハマってる人に誘われて、自分からお笑いの現場のチケットをとるってなかなかしなさそうだからいい機会だと思って行ってきた。関西出身のくせにお笑いにとんと疎くて、キングオブコントも今年初めて見たレベルなんだけど、その中で男性ブランコはちょっと印象に残ったコンビだった。コントって形式自体が演劇的だけど、その中でも手法が特に演劇に近かった。

「てんどん記」はさらにその感じが強くて、独立した短いコントの連続でありつつ、「祝祭/鎮魂の祭り」、そして共通する「てんどん様」という謎が少しずつ露わになっていく構成なんだな、というのが冒頭の《旅》《ひよこ》で示されていたので、コントを見るというか普通にオムニバス演劇を観る感覚で臨んでしまった。○と◎は晴天と曇天、同じ「てんどん様」を祀ってるけど別な場所の話で……みたいな。めっちゃ考えちゃった。最初は同じ場所だけど別な時代(過去と未来)の話かと思ってた。落とし方はやっぱりコントだなって思ったけど。お笑いの単独ライブって短歌でいうところの連作みたいなものなんですね。

ラストのミカさんと易者(ではない)のエピソードは漫画でいう単行本のおまけ巻末漫画みたいな話だなと思いました。

 

 

というわけでまさかのお笑いで今年を締めた。1月2月でU25割引のある現場があれば教えてください。1月はちょっと既に立て込んでるけど、お得に観られるうちにいろいろ観ておきたい。ブログに感想を残してなさすぎてまとめるのが大変だったので来年はちゃんと残したいって毎年言ってるんだよな。

花組 アウグストゥス-尊厳ある者-/Cool Beast!!

STORY

ローマ史上初の皇帝となり、「尊厳者」を意味する“アウグストゥス”の称号を贈られたオクタヴィアヌス帝。彼はいかにして、志半ばで死したカエサルの後継者となったのか?
カエサルの腹心・アントニウスや、ブルートゥスらとの対立の果てに、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」の境地に至った若き英雄の姿を、フィクションと史実とを織り交ぜて描く。
紀元前46年。政敵ポンペイウスを討ち、ローマに帰還したカエサル凱旋式当夜。ユリウス家の邸では、カエサルと敵対していた貴族たちとの和解の宴が催される。そこに現れた招かれざる客…それは、今は亡きポンペイウスの娘・ポンペイア。彼女は無謀にもカエサルに斬りかかり、父の仇を討とうとするが、ユリウス家の末裔であるカエサルの大甥・オクタヴィウスがそれを阻止する。オクタヴィウスは、ポンペイアを赦す事こそ真の和解の印だとカエサルに訴え、彼女を助けようとするのだが…

 

感想

作品の出来不出来と好き嫌い、テーマへの理解というのは別軸で成り立つ。アウグストゥスは作品として出来がいいとは思わないけれど(欠点も目につくので)「理解」できたし、好きな作品だった。田渕先生って、たぶん伝えたいことや先生の中での哲学みたいなものがしっかりある人で、それが脚本や演出よりかなり先走ってしまってるんじゃないかな……。で、荒削りな部分を、役者の力量(後述するけど本当に芝居がよかった)や、観客のテーマへの「共鳴」によって補っている、という印象。わたしは田渕先生の描きたいテーマにかなり共鳴しているから、すんなり理解につながったのだと思う。共鳴できなかった人には難しく感じるのかな。でも歴史ものにしてはストーリーは別に難しくないよね。田渕先生と5Gでつながっちゃってる*1からわかんないや……。

 

わたしは東宝の〈ロミオとジュリエット〉で延々とろくろを回していた経歴があり、それが本作を観るにあたっての手助けになっているんじゃないかと思うくらい、〈ロミオとジュリエット〉と共通項のある作品だと思っている。ロミジュリを理解した人間はアウグストゥスも理解できるはずなのだ……。特に、オクタヴィウスの「マッチョイズムの真逆にいる・出自(家柄)が恵まれた若者」というキャラクター造形はロミオと重なる。争いを嫌い、剣を抜くことをためらうオクタヴィウス。そんな彼の在り方・考え方は「それをしなくても済む」からこそ可能なのだけど、序盤は彼自身そのことに気がついていない。大叔父・カエサルの暗殺を契機に憎しみに呑まれかけたことで、同じく大切な人を殺されたポンペイアの憎しみをようやく理解する(このあたりもロミオっぽさがある)。だけど、オクタヴィウスのブルートゥスへの復讐が不発に終わり、「復讐を遂げて英雄になる」という望みは本当にオクタヴィウス自身が心から望んだことだったのか?という自己との対話がはじまる。自分はなぜ、なんのために、なにを為したいのか。憎しみや民衆の声に惑わされないように、必死に目を凝らして見えてきたのは、静かに祈りを捧げるポンペイアの姿だったのである……。みたいなことを受信している。人が亡くなっていくけれど決して悲劇ではなく、各人の祈りや意志へとつながり、開かれていく物語なのがよい。

 

ところで、オクタヴィウスと対照的にマッチョイズムの象徴として描かれるアントニウスの存在を考えたとき、オクタヴィウスを主役に据えるということ自体に未来志向を感じる。アントニウスのような「強い男性」像はこれまでいくらでも描かれてきていて(特に宝塚の男役だとよりそうなるのかも?)、なるほどたしかに多分に魅力を備えたキャラクターだと思う。だけど、そうじゃない男性にだって魅力はあるじゃないですか。革新的とまでは言わないけれど、オクタヴィウスという新しい男性主人公像を提示したかったのかな、という。まあオクタヴィウスの魅力についてはアグリッパに注釈つけさせてるし……。これはメタ的な読み方になってしまってあまり行儀はよくないと思うけれど、オクタヴィウスが柚香さんへの当てがきであることを考えると、田渕先生は柚香さんに宝塚の男役像の未来を見て/託していて、役者としてもかなり信頼を置いているのでは、と思った。門外漢なりに。

 

"Brainy is the new sexy*2"以来、メディアで多様な人間の魅力を描くのってすごく大事なことだと思っているので、そのあたりを組み込もうとする田渕先生の感覚を好ましく思う。〈ハリウッド・ゴシップ〉も雑にまとめればハリウッドという権威から「降りる」話だし、やっぱり田渕先生の描こうとしてるテーマは個人的にすごく馴染みやすい。だからこそ、もう少し頑張れるのでは?! と思ってしまうのだけど……。正直、メイン数名以外のキャラクターは持て余してしまっているように感じたし、役者の力量で補っているところもあるし。これだけ共鳴してしまっている自分でも、もしオクタヴィウスとポンペイアが柚香さんと華さんじゃなかったらどうだったかわからない……。こんなに芝居がうまくていいのか?と思うくらいふたりの間で交わされるお芝居がよすぎて、ずっと胸がつまりそうになりながら見ていました。このふたりがトップコンビとして芝居をしてるのなんて奇跡レベルじゃないですか。宝塚以外も含めて、ここまで密度の高い芝居を見れることってなかなかないんじゃないかな、と思ったのだけど、もしかしたらこれは宝塚だからこそ起こった化学反応なのかもしれない。なんにせよ、ふたりの芝居の目撃者になれたことを幸せに思います。

 

と、深夜にぐるぐる考えていたことを書き連ねたところで終わろうと思ったらCoolBeastに触れていないことに気がついたのでひとことだけ……すごい藤井先生って感じで、おおむね楽しかった。衣装が本当に素敵だった〜。

 

 

 

*1:ワクチンまだ打ててないけど

*2:BBCのドラマ〈SHERLOCK〉でアイリーン・アドラーがシャーロック・ホームズを評した台詞

雪組全国ツアー「ヴェネチアの紋章/ル・ポァゾン 愛の媚薬-Again-

前回までのあらすじ

この感情は、いったいなんだろう──?

雪組fff/シルクロードを観て、突如彩風咲奈さんへの《感情》が芽生えたしがないOLの「わたし」。謎の感情の出どころを探るべく、雪組新トップコンビのプレお披露目公演である全国ツアーへと旅立つ。そこで新たな出会いが待ち受けているとも知らずに──。高鳴る胸、動き出す運命。ミラーボールの光は誰を照らすのか。薄給OL冒険譚・待望のタカラヅカ編、開幕。

 

 

 fffを観てからひと月くらいスカステを見続けて、だいぶタカラヅカ偏差値が上がってきたところでやってきました全国ツアー。ど平日の日程ばかりだったのもあって、もともとは一回入ればいいかなという様子見加減だったものの、いろいろあって数回入ることになりました。目的は前述のあらすじのとおり(ただしファンタジー小説の裏表紙っぽく書いた適当なあらすじなので本気にしないでください)彩風さんに対して芽生えた謎の感情を確かめることだったのですが、途中からオペラグラスが制御不可能になってずっと眞ノ宮るいくんを追っていました。完全に目的が変わってしまったけれど、これはもう仕方がない。あれもこれも仕方がないのです。そういう運命だったのよ……というような多くの人間が持つ諦念に挑み、そして散っていったかわいそうな男の話が一幕の〈ヴェネチアの紋章〉です。*1

 

 

 思った以上に長くなったので目次をつけました。ただの感想なのに長々書きすぎである。

 

ヴェネチアの紋章

はじめに:彼はなぜ「紋章」が欲しかったのか

※ろくろを回しています※

 アルヴィーゼは、ヴェネチアが彼に与えなかった貴族の「紋章」を得るために闘い、そして散っていく。父から、母から、あらゆるヴェネチアのひとびとから、そしてなにより、最愛のリヴィアから説得されても、彼は頑なに「紋章」にこだわり続ける。それはなぜか。おそらくもともとのアルヴィーゼは、嫡子でないことで被る不利益や理不尽な扱いにも目を瞑って、コンスタンティノープルいちの商人として悪くない人生を送ることのできる人だったと思う。それができなくなったのは、リヴィアという存在に出会ってしまったから。

 ただ生まれた順番が遅かったというだけで、愛した女と一緒になれない。あまりにも理不尽な現実がアルヴィーゼの前に立ちはだかったとき、彼は、これまで目を瞑ってきた自分を取り巻く現実を直視する。アルヴィーゼは嫡子ではなく、嫡子でなければ貴族になれない。貴族でなければ政治に携わることができない。いくら才覚があってもその決まりは覆せない。コンスタンティノープルでは、奴隷から上り詰めたイブラヒムのように出自にかかわりなく能力で得られるものが、ヴェネチアでは得られない。そんなのはおかしいんじゃないか、という疑念が年月を経て、自分は「紋章」を得るのに相応しい人間のはずなのだから認めさせなければならない、という確信へと変質する。リヴィアを得てもなお「紋章」に執着し続けたのは、そういう彼の中での矜持に起因する。

 そんなプライドなんて捨ててしまった方がいい、と、現代に生きる我々は簡単に口にしてしまいそうになるが、それはかなり残酷で傲慢なことだと思う。特権を手にしている人の多くがそれが特権であることを理解していないというのが世の常で、それこそアルヴィーゼとアンドレアの間で交わされた、お前の苦しみはわかっているつもりだ/あなたにはわからない、というやりとりにもしみじみと表れている。彼の苦しみはリヴィアですら理解できていないのだ。高貴なお前に見合う身分で、と語るアルヴィーゼを不思議そうに見つめるリヴィアの瞳を見て胸が痛くなった。

※ろくろを回し終えました※

 

脚本のこと

 軽くろくろを回して満足したので、ここからは普通の感想を書きます。

 もともと一度きりの観劇予定だったのもあり、世界史に疎いせいで置いていかれたら嫌だなと思って原作の『イタリアルネサンス』第一巻を予習して行ったのが仇となったのか、脚本に対して思うところが多かった。

 祖国という絶対的なアイデンティティの拠りどころのない人間たちが自分の力でもがいている物語、という原作の印象に引きずられて、初回は「なんであのエピソードや設定を入れないんだろう」という疑問が頭を占めてしまったのだけれど、原作をいったん取り払って観てみると(わたしにはなかなか難しい作業です)、長くはない上演時間かつ宝塚の舞台作品として組みなおす際に、そもそもわたしが原作から受け取ったものとは別の面にポイントを置いたのかもしれないな、と思った。国がうんぬん、というのは削って、「嫡子ではない」というのをアルヴィーゼのコンプレックスの源流に置いた感じ。

 全体的に、アルヴィーゼを主役の座に据えることによってさまざまな変化が起こっていた。アルヴィーゼと同じく、錚々たる名門貴族の生まれでありながら嫡子ではない、がゆえに金の名簿に載らない=貴族になれないはぐれ組の三人衆が登場し、アルヴィーゼについてゆくという意思表示をする(カシムやトルコ兵士もだが)という改変により、少なくともアルヴィーゼが孤独に死んでいくことはなかった。それが物語としてよいか、というのは別として、宝塚の作品として成立させるにはアルヴィーゼをヒロイックに描くことが必要なのだろう。原作でも十分人々を魅了する人間ではあるけれど、やはり最期はかなりひどい死に方をするし、しかも我々はそれを伝え聞いたマルコの語りでしか知り得ないので、華々しい死に姿を見せるのには向いていない。

 マルコは一応原作どおり語り部として登場するけれど、それがかえってよくなかったような気がする。当事者ではないマルコの語りで物語が進行することで謎解き的な面白さが生まれる、というのが面白みだと思うのだけど、マルコが目撃していない、マルコの目を通さないアルヴィーゼの姿が描かれている以上、その効果も半減してしまっている。それならそれで、謎解き要素はばっさり切ってしまえばよいのでは……。アルヴィーゼとリヴィアのあいだで取り決められる「合図」にしたって、あれだけふたりのやりとりでがっつり説明したんだから、その後すぐに事情を知らないマルコのモノローグを入れるのはナンセンスに感じる。

 サンマルコ殺人事件についてもそう。マルコが、アルヴィーゼを殺したヴェネチアという国と、奇しくもヴェネチアのそこかしこにある「マルコ」の名を持つ自分、アイデンティティに疑問を抱いたことのないヴェネチア貴族の自分、特権を持ちそれの恩恵を受けていながらほとんどそれを意識していなかった自分を重ねて親友への贖罪と国家への空虚を抱く、というのがこの事件の意義なのだけれど、うまく扱いきれていない印象だった。なんかよくわかんない事件のことを元首の孫娘の旦那がちょこちょこ報告に来るな……と思ってたらキーイベントだったんだ、みたいな。マルコのあの「気づき」を終わりに持ってきたいのはよくわかるけど。完全に余談だけど、マルコ邸にはぐれ組と一緒に押しかけてきたオリンピアがアルヴィーゼを呼びに行くと言って席を外しておきながら事件の報告にそっと聞き耳を立てていて、細かいなと思いました。

 マルコがアルヴィーゼとリヴィアの娘・リヴィアと結婚する決意を固めるのは、それ以外にリヴィア(娘)が尼僧院から出られる方法がない、というちゃんとした理由があるのだけど、それを常識として知っている人ばかりではないと思うし、一応、孫娘の結婚式でプリウリ夫妻*2について噂する貴族たちが「30歳も離れている夫婦は貴族の社会では普通」という注釈を入れているとはいえ、もうちょっと説明してあげたらいいのにと思ってしまった。娘のシーンは元の脚本にはなくて今回追加したと聞いたけど、ひたすらあらぬ誤解を受けているマルコが気の毒でやまない。

 マルコもそうだけど、いろいろなキャラクターの描き込みが浅くなっていたのが少し残念だった。もちろん舞台化する際には仕方ないとはいえ、それぞれのバックグラウンドが交差しあっているのが面白いと思って読んでいたので……。オリンピアがマルコに宛てた手紙がものすごく好きだったのもあって、「あなたを愛していたのは本当です」という手紙にはオリンピアはそんなこと言わない(泣)と思わず思ってしまったけれど、そもそもマルコとオリンピアのエピソードはかなり削られているし、祖国のないひとびとをめぐるアイデンティティの話ではない以上、そこは重要ではないのだから、それはそれでただしい改変なのである……。でも、夢白あやちゃんのオリンピアはめちゃくちゃ綺麗だし、序盤にマルコを押し倒すかっこうになるところも好き。あそこの五秒間だけ急にやたらアダルトな雰囲気になる。マルコとオリンピアがところ構わず(と言うけどたぶんだいたいマルコ邸です)キスしまくってるの、ちょっと面白さすらあった。いいけど。タカラヅカのキスシーンは滋養にいい。

 アルヴィーゼの母親の登場については、ちょっと腑に落ちなかった。わざわざ生き返らせてまで*3登場させたわりに、元首アンドレア・グリッティが立場上口に出せない息子への愛情を補填したり、マルコからアルヴィーゼの状況の説明を引き出すためのキャラクターに見えてしまった。元首が口に出さないだけでアルヴィーゼに深い愛情を持っていることは自明だし、マルコの状況説明も相手と言い方を変えて数回なされてるから、あのあたりがちょっと冗長に感じたのだけど、母親の存在に別な意図があるんだろうか……。

 カシムとヴェロニカのコメディシーンも謎で、観客のためのほっとひと息シーンだということはわかるけれど、アルヴィーゼに心酔して忠義を尽くしてるカシムのキャラがブレブレになっちゃわない?という。カシムといえば「アラーの神より」という台詞が後半で変更されたのが印象的。原作にも該当の台詞はある*4のだけど、アルヴィーゼを盛り立てるために使うにはさすがにセンシティブだし、仕方がない変更だと思う。一禾くんのカシムはハマり役だと思うし、ヴェロニカ役の莉奈くるみちゃんは間の取り方がめちゃくちゃうまい。一時期なぜこのシーンが挿入されるのかを真剣に考えていて、いろんなものに雁字搦めの主人公たちとの対比か?とか思おうとしていたのだけど結局カシムも最期はアルヴィーゼへの忠義に死ぬんだよな。

 

 男、忠義に死ぬな。

 

 

演出のこと

 とまあ、基本的に脚本についてぐるぐる考えていたせいであまり演出のことを考える暇がなかったのだけど、手持ちの最後の公演を観てる最中、急に演出のことを理解し出した。ヨハネ第9章25節、わたしは盲目であったがいまは見える*5

 まず、幕やたびたび登場する青い影(ダンサー)が波の意匠であること。これはレミーネが言うように、歴史や社会や恋やいろんなものの波に呑まれて沈んでいくこと、そしてマルコが言うように、(命を賭して運命に挑んだのに)沈んでいった彼らのことを誰もが忘れてしまうという虚しさの象徴なんだろうと思う。

 ヴェネチアの風景がだんだん暮れてゆくのは、アルヴィーゼの人生が終わっていくのと連動している。と思わせておいて、アルヴィーゼが死んだあとも当たり前に太陽は昇り、ヴェネチアには晴々しい空が広がる。波の意匠とあわせて、アルヴィーゼたちの一大決心の虚しさを強調するかのように。

 そしてなにより、月下のモレッカ。わたしはこのシーンが随一で好き。なんて美しいシーンなのか、とため息が出る。現実にはひとりだけれど、リヴィアとふたりで踊る幻想のモレッカ。アルヴィーゼの叶わない夢。彼はただリヴィアを愛していた、ということ。1階のセンブロで観る機会がなかったのが惜しまれる……。 

 

ジョヴァンニのこと

 眞ノ宮くん演じるジョヴァンニははぐれ組のうちのひとりで、恋人は星南のぞみちゃん演じるビアンカ。本当にずっとかわいくて、ずっとかわいいなって言いながら見てた。冷静に見られていない。

 トルコ行きを咎める恋人たちのナンバーのラスト、寄せては返す波〜♪で女性陣と一緒になって踊ってしまうお調子者っぷりもかわいいし、ビアンカにかなり甘えたな感じで絡んでいてかわいい……*6。アルヴィーゼにがんがん絡んでいってて、日によってはアルヴィーゼの頭身を数えて九頭身だ!って仲間と盛り上がるだけじゃなくアルヴィーゼ本人にすごいですね!と話しかけてたり*7、挙動は軽率なんだけどどこか憎めない。ハンガリア進軍に加わったあと馬に乗ってヴェネチアの動きを探りに行くのだけど、たしかに馬乗るのすごいうまそうなんだよな。機動力のある顔。かわいい……かわいいけどアルヴィーゼとともに死んでしまう……。男、忠義に死ぬな……。

 

 ところでわたしは有栖妃華ちゃんがかわいくて歌声が綺麗で好きなのだけど、オープニングで裏メロみたいなのをおそらく歌ってるのが本当に綺麗な声でよかったです。書けるところがなかったのでここで書く。

 

 

ル・ポァゾン

 観終わるとルポァゾ〜ン……しか言えない妖怪になる。主題歌の歌詞が正しすぎる(この陶酔のひととき ああ ああ ああ 何もかも忘れて)。わたしはロマンチックやクラシカルなものを好むタイプなので、美術や衣装にいちいちときめいていました。なんとなく、場面のつぎはぎなのかな、と思うところもあったけれど……。眞ノ宮くんの出番がたくさんあったし、かなりおいしい立ち位置だったのでずっと楽しかったというのは大いにある。本当に楽しくて、マスクの下で口角が上がりっぱなしの不審者になってしまった。ルポァゾ〜ン……

 

プロローグ

 一幕で組長の声がすごく好きだなと思っていたら二幕では道化になっていた……。吟遊詩人役の諏訪さん、案外こういう長髪の方が似合う人なのではと思った。諏訪さんってどこにいてもすぐに見つけられるから強いんだよな……。〈愛の葛藤〉の牛(概念)でも「あれは絶対にすわっち!!!」って確信を持って指をさせる。

 プロローグの眞ノ宮くんは一列目にいがちなのでとても見つけやすいし追いやすい。つんと澄ましたような表情とベルベットっぽい衣装がすごく似合っている。自分の基本にダンス担というのがあるから、踊ってる姿を見られるのが嬉しくて楽しくて、この時点で脳汁がガンガン出てくる。プロローグ中盤*8では彩風さん・綾さん・諏訪さんと、ショーにおける三番手までの三人+眞ノ宮くんが娘役とペアを組んで踊る場面があったりして、本当においしい立ち位置にいた。

 

愛の歓び

 眞ノ宮くんは出ていないのだけれど、ショーを通していちばん好きな場面かもしれない。色づかいや美術がほとんどサンリオピューロランドでかわいいのです。ゆめゆめしさ大爆発。天井から吊るされた雨だれが光をちらちら反射しているのとか本当にかわいい……。場面としては天上の社交界という感じだったから、死後の予習をする気持ちで臨んでいた。自分が天国に行けるとは限らないのに……。ここの振りは基本にバレエがある感じが好みだった。ただし、ラランランランラララン♪という陽気な歌と、ミューズの乙女の独特な揺れ方がしばらく頭から離れなくなる。

 

愛の誘惑

 予習として見たパッションダムールにあったBad Powerとジゴロの場面。彩風さんのスーツの着こなし具合は一見の価値があるし、あの三白眼が活きまくっててよかった。眞ノ宮くんはあとから壇上に登場する数名のうちの最上手。プロローグでは垂らしていた前髪をオールバックにしていた。下に降りて合流したあとは彩風さんと一緒に動く組に入っていたので、オペラグラスで眞ノ宮くんと彩風さんが同時にとらえられるウルトラハッピーセット状態だった。ジゴロのあとの、愛は最高!!!って歌ってる場面でずっとまなはるさんにメロメロしていました。カッコイイ。人数的に男役五人娘役四人でまなはるさんがひとり余ってしまうことがあるんだけどかっこよく決めていたので無問題です。

 

若さ、スパークリング!

 眞ノ宮くんが掛け声とともに元気に登場して始まる。間奏曲というポジションらしいけど、唐突に挿入された感のある場面。歌ってるあいだは夢中で見てるけど、終わった途端「今の、白昼夢?」ってなる。もとは別のショーにあった場面らしい(のちのち〈Amour それは…〉で確認した)。みんなみずみずしくて楽しそうなのでいいと思います。なぜか左側の前髪を垂らしている公演と右側を垂らしている公演があるという……前髪ガチャ?

 

愛の葛藤

 個人的にショーにおける男役同士の絡みにいまいちピンときていないんだけど、わりとどの作品でも入ってくるパターンなんだな。彩風さんはマタドールが正装ってくらい似合う。闘牛士、自分の心に呑まれて死んじゃったのかな……と思ったら次の間奏曲(ナルシス・ノアール)で死を悼まれててやっぱり死んじゃったんだ……って。ショーにおける闘牛士だいたい死ぬ……。どうでもいいけど、黒レースのワンピースで観劇したとき、ナルシス・ノアールのコスプレだと思われたらどうしようって無駄に心配をしていました。

 

愛のロマンス

 わたしは結局こういう王道なキラキラが好きなんですよ。男役の白燕尾に、娘役のあのふわふわしつつも上品なドレス。あのドレスを見ると、小さいころ遊んでた着せ替え人形のドレスを思い出してほんのりノスタルジーを感じる。眞ノ宮くんは次の〈ジュテーム〉のために早めにはけるけど、彩風さんのすぐ後ろ上手側にいるのでまたまたウルトラハッピーセット状態になる。〈ジュテーム〉ではぱきっとした青の衣装なんだけどこれもまた似合うのだ。右耳につけてるイヤーカフがきれいです……。そろそろバレてると思うけど、オペラグラス覗いてるときってだいたいかわいい;;;かっこいい;;;で脳が支配されてるからそれしか言えないんだよな。わざわざ文字にして残す必要があるのだろうか……。でもここまで書いたから書きます。

 

ロケット

 めちゃくちゃ頑張ってる子がいる……!と思ったのだけど、そもそも組子を把握していないせいで誰だったのかは永遠に謎のまま。最後の方で少人数に分割されたときにセンターグループの最下手にいた子です。万が一心当たりのある方はご連絡お待ちしております……。

 

フィナーレ

 宝塚のデュエダンからしか得られない栄養素ってあるんだな。一幕からずっとだけど、朝月希和ちゃんが本当にきれいだなって思って謎に涙が出そうになっていた……。わたしは万が一宝塚にハマるなら娘役を好きになるんだろうなと思っていたんだけど、こういうときすごくそれが過る。

 そしてラストの主題歌で記憶喪失になる。ル・ポァゾンは魔法の言葉。

 

 

 なんかまとまりきらないまま長々と書いてしまったな……。お芝居に関しては言いたいことがかなりあった(全部書いたから長いんだけど)けど、振り返ってみるとすごく楽しかったんだと思う。ちなみに愛知県芸術劇場大ホールの五階では舞台奥の背景が見えないので、このヴェネチアの風景が……って台詞があっても本当になにも見えなくてまあまあウケます。いやウケはしないな。

 

 とりあえずシティーハンターもすでに行く予定は立てたので、そこまでにもうちょっとタカラヅカ偏差値を上げておこうと思います。

 

 次回、はじめての宝塚大劇場編に続く。

*1:下手くそなライブのMCみたいなつなぎ

*2:このときのリヴィアのドレスがすごく好き。劇中の衣装は軒並み素敵だけど、その中でも特にかわいい。

*3:原作ではすでに亡くなっている

*4:ただし発せられる状況もトーンもかなり異なる

*5:メサイア翡翠ノ章において行方不明になった海棠鋭利が御津見珀宛に残したメッセージ

*6:ただし絶対に尻に敷かれている

*7:それ本人に伝えるんかいってややウケていた

*8:変な日本語

宝塚作品視聴記録#2(霧深きエルベのほとり、義経妖狐夢幻桜、CRYSTAL TAKARAZUKA)

 

忘れないうちにどんどん書いていくぞ!

 

霧深きエルベのほとり(星組・2019)

STORY

年に一度のビア祭りの初日を迎えて浮き立つドイツ北部の港町ハンブルグに、貨物船フランクフルト号が帰港する。船を降りた水夫のカール(紅)は、仲間たちと訪れた酒場でマルギット(綺咲)と出会う。カールは家出をしてきたというマルギットと店を抜け出してビア祭りを楽しむ。カールの粗野な振る舞いの奥に見える純粋さに惹かれて、マルギットは恋に落ちる。一方、古都リューネブルクでは、上流階級の青年フロリアン(礼)がマルギットを探していた。マルギットは実は名門シュラック家の長女で、フロリアンはその許嫁だった。エルベ河の畔で一夜を共にしたカールとマルギット。マルギットの持つ本当の優しさを知ったカールは、真剣に彼女を愛するようになり、真面目に彼女に求婚する・・・。

番組詳細|宝塚歌劇 衛星放送チャンネル|タカラヅカ・スカイ・ステージ

感想

 脚本はあの菊田一夫演劇賞菊田一夫氏、潤色・演出は上田久美子先生。星組のお芝居を見るのはこれが初めて。すっっっ………ごいよかった。まずオープニングからいいですから。色づかいも衣装も好き。

 カールのように対外的には道化を演じているけれど内に誠実と悲哀を秘めている、というキャラクターは珍しくないし、ストーリーとしてもシンプルなものだったと思う。だから展開としては予想していた通りに進んでいったんですよね。それなのになぜこんなにも泣けるのか。序盤はけっこうカールの芝居のクセが強く、キャラクターとしても決して「かっこいい男性」ではないので、どうなるだろうと思っていたのだけど、結果爆泣きするという……。うっかり紅さんを好きになるの巻。手切金を持ってシュラック邸を後にして、マルギットのピアノを聴きながらひとりごちるカールの台詞(もしも俺が文士だったら)、ヴェロニカに向けて、カールがマルギットへの本心を吐露する場面の良さったらない。

 船の停泊期間だけ港町でかりそめの恋をする、そう謳われる船乗りたちの中で、もっともそのレッテルにふさわしい振る舞いをしているようでいて、その実とても誠実に恋に向き合ってきたカール。マルギットと出会ったときにどうしてあんなに切ない瞳で彼女を見つめているんだろうと不思議だったのだけど、前の恋人であるアンゼリカのこともあって、マルギットに惚れたときもたくさん予防線を張って張って、それでも抗えないくらい惹かれてしまって、という切実な気持ちがあらわれている瞳だったんだなと。

 マルギットが無意識のうちに見せるカール(の職業)を低く見るような態度、しかもそれにマルギットがまるで気づいていないのがかなりえげつないのだけど、それを諌めるフロリアンの存在がまたよい。フロリアンは他者への理解が深くて、深いからこそマルギットとカールを引き裂こうとはしない。前述のようにマルギットを諌めたりもする。カールはマルギットが幸せになるために身を引いたけれど、フロリアンはフロリアンでマルギットの意志と彼らふたりが愛し合っていることを尊重して身を引く。考え方や方法は違えど、マルギットのことを考えて行動しているふたり……。

 

 しょうもないおたくなので七海ひろきさん演じるトビアスの「そんな相手が……(石で水を切る)いるのかい」のところを3回ほど繰り返し再生しました。本当にしょうもないおたく。

 

 

義経妖狐夢幻桜(雪組・2018)

STORY

ヨシツネはかつて天才的軍略で平家を打倒した英雄であったが、その存在を危険視した兄ヨリトモによって陥れられ、追われる身となっていた。あてどない逃避行の末、自分がどこにいるのかもわからなくなっていたある日、ヨシツネはツネと名乗るキツネ憑きの少女と出会う。少女の願いを一つ叶えるという約束と引き換えに、ただ一人の従者ベンケイと共に果てなき雪の隠れ里に誘われていくと、そこは奇妙に文明の進んだ不思議な村だった。村で久しぶりの休息をとったヨシツネ達は再び出発しようとしたが、雪に惑わされ、何度やっても村に戻ってきてしまう。村人たちは、それこそツネの幻術であり、その代わりこの村には無限の安息があると笑うのだった。一方その頃、ヨシツネを追うため村への入口を探すヨリトモの前にもツネが現れ、同じく夢幻の里へと誘っていく・・・。

感想

 朝美さん主演のバウ公演。個人的な問題で注意力散漫な状態で見てしまってほとんど内容が入ってきていないので、また良きタイミングで見られたらいいな……。ビジュアル的にはWeb小説原作の華流ドラマ感があるなと思っていたのだけど、ノリやキャラクター造型は劇団☆新感線っぽさがあった。特にその成分を背負っていたのがエイサイ。演じられていた久城あすさんがうまかったです。ああいうキャラは楽しそうに悪事を働いていればいるほどよい。楽しそうでなにより。

 朝美さんの、すこし眉根を寄せて目を眇めるような表情が特に好きです。美形が顔を歪めるのはいつ何時見てもいい。バウ初主演ということで感極まっていたのか挨拶がしっちゃかめっちゃかになっていたので、ひとりで応援上映を実施しました。

 

CRYSTAL TAKARAZUKA-イメージの結晶-(月組・2017)

 引き続き中村暁先生とはあんまり気が合わないと思ってるけど、このショーは嫌いじゃない。なんといっても人形に変えられたオランピアを演じる愛希さんのダンスがすごい。永久保存版。

 

4月末から見た宝塚作品まとめ

 前回エントリで少し触れたのだけど、絶賛宝塚を学んでいます。

 もともと周囲で宝塚にはまっている人が多かったのもあり、ちょこちょこ劇場に観に行くことはしていたのだけど(たしか雪組凱旋門あたりから)、誰かに熱を上げるとか、贔屓にしたい組があったりとか……の感覚が得られずだったので、自分にはてっきり宝塚の才能がないのかなと思っていたところに急に謎の感情が生まれて困惑……自分で自分がわからない……ということで、この感情の正体と出自を探るために次回公演のチケットを取り、それまでは主にSKY STAGEで直近のタカラヅカを詰め込み学習中です。スカステではなんと一日中タカラヅカの映像が見れるのだ。すごい。世間のニュースよりタカラヅカニュースに詳しくなってしまう。

 

tca-pictures.net

 

 そんなこんなで、スカステとタカラヅカオンデマンド(+NHK BS)で見た宝塚作品を雑な感想とともにまとめていくぞ!!!

 

 

雪組

芝居

ドン・ジュアン(2016)

kageki.hankyu.co.jp

 「絶対好きだよ」「手叩きながら見そう」などとヅカオタの先達からさんざんな言われようだった『ドン・ジュアン』を手はじめに見た。この先嵐に遭おうとも、生田先生のことを愛し抜こうと決めた。*1言わずもがな、ドン・カルロのことが好きでたまらない。「ドン・ジュアンに友人なんていなかった」と言われてもなお、ドン・ジュアンの死後、友よ……と語りかけるドン・カルロからはじまる時点で、そういうね……そこを描きたいんだよね……ってなるじゃん。神への根深い不信によって悪行を重ねるドン・ジュアンにずっと神への信仰と愛を説いてきたドン・カルロが、愛に殉じていったドン・ジュアンのことを「わからない」と回顧してるのが最高ポイント。ということで、〈悪の華〉をiTunesで購入して以来ずっと聴いています。♪違う……違う……違う……間違ってる……

悪の華(Les fleurs du mal)

悪の華(Les fleurs du mal)

 個人的に彩みちるちゃんのことが妙に好きなので、みちるちゃんがヒロインだったのもうれしい。

 

 

壬生義士伝(2019)

 鹿鳴館に集まった人々の回想というかたちで新撰組にいた吉村という男についての話が展開されるのだけど、そのせいで紙芝居みたいになってしまってたのが気になる。吉村はこういう男だった(暗転)回想(暗転)そういえばこういうこともあった(暗転)みたいな。鹿鳴館のシーンで毎度現実に引き戻されてしまうし、そこでいちいち入る小ネタもいまいち笑えなくてなんというか……外国人キャラクターのカタコト表現って必要と思えないし、正直ノイズだなあと思った。

 斎藤一と大野次郎右衛門の感情バトルfeat.全くブレない吉村って感じは見ててちょっと面白くなってきて、基本的にはじめくんの圧倒的攻勢なんだけど(そもそも中盤はじろえの霊圧がない)、最後に手ずからおにぎりを握ったりしてじろえがぐいぐい盛り返してくるから思わず脳内実況しそうになってしまった。大野選手頑張っています。なんなんだ本当に。おもさげながんす。

 朝美さんのはじめくんはやたらオラついててかっこよく、もう朝美絢で宝塚版ミュージカル薄桜鬼*2を上演しなさいという気持ちになりながら見ていた。はじめくんのキャラは薄桜鬼とは随分違うけど……。

 とまあ、脚本/演出は置いておくとして、望海さんや真彩さんの演技と歌はすこぶるよかった。おもさげながんす……(言いたいだけ)。

 

ONCE UPON A TIME IN AMERICA(2020)

 これの前にパッションダムールを見て眞ノ宮るいくん……♡になっていたので眞ノ宮くんの台詞からはじまったことにややウケていました。

 見ながら「これ絶対原作はヌードルスとマックスが主軸でしょ」と思ったら本当にそうらしい。物語としてはそっちの方が自分好みというのもあるけど、ヌードルスとデボラの話に改変したことで(宝塚に持ってくるには必要な改変なんだろうけど)話がちょっとブレてしまってる感は否めない。

 とはいえ、ヌードルスとデボラの対比は好き。同じロウアー・イーストサイドで生まれ育って同じ志を持っているはずのふたりが、真逆の場所で成り上がっていって、だからこそ徹底的に交われないという……。裏社会と関わりを持つヌードルスにデボラはずっとNOを言い続けていて、でもヌードルスはそこ以外でどうやって金を稼いで「皇帝」になればいいのかわからないから抜けられない。デボラの言い分はすごくよくわかるのだけど、自己責任論を感じてしまうところもあり……。こういうのはね、社会が悪いんですよ(急に?)。ヌードルスが少年時代に殺人で服役してることを考えると余計につらい。デボラはヌードルスを受け入れられないし(愛していたとしても)、ヌードルスは生き方を変えることができない。少年少女時代に一度だけ交差して以来ずっとすれ違っていたふたり……。

 マックスがヌードルスから手柄としてもらった懐中時計をずっと持ってるのどうかと思うんですが……あと服役後にサイズぴったりのスーツプレゼントするのとか。対キャロルの挙動を見てても、キャロルはそんなDV男やめときなさいよと思ってしまう(犬のエピソードやばくて 手を叩いて喜んでしまった)んだけど、守ってあげたくなっちゃうんだろうな……それはもう、しょうがないよね。人間と人間のあいだだと、理屈なんてどうでもよくなることあるから。誰?

 本編がめちゃくちゃ好きかと言われたらそうでもないのだけど、フィナーレはめちゃくちゃ好き。男役群舞が最高。という話をしながら友達とフィナーレを見ていたら、「この(彩風)咲奈はつっこちゃんの好きな咲奈やろ」と言われてしまった。正解です。キャロル役の朝美さんはOP(男役)→本編(女役)→フィナーレ(男役)→階段降り(女役)で大変そうだった。男役に女役をあてるのっていまいちよくわからないんだけど、いつかわかる日が来るのだろうか。

 

ソルフェリーノの夜明け(2010)

 彩風さんがこれの新人公演で初主演ということもあって見た。本公演ではイタリア負傷兵で、単独で目立つ場面があるわけではないけど、教会のお手伝いなどをしていてかわいかったのと腰に布を巻いてるせいでウエストマークみたいになって余計に脚が長かった……。

 赤十字思想誕生150周年記念公演ということで、赤十字がどういう思想のもと誕生したのか、というのを描いた作品。若干まんが伝記シリーズっぽさがある。あれ小さいころめちゃくちゃ読んでたんですよ。

 愛原さんって雪組のトップ娘役だったんだ、ということをここで知る。そして彩吹真央さんがかっこいい。

 

仁-JIN-(2012)

 沙央さんがかわいい。印象に残るのは佐分利(沙央さん)と山田くん(彩凪さん)のかけ合い、恭太郎(未涼さん)と龍馬(早霧さん)の相反するふたり。

 過去へのタイムスリップものには必須の「自分が歴史に干渉してしまったら未来はどうなるのか?」というジレンマはあるにはあったけど要素薄めで、どっちかというと南方先生の恋人を救えなかったトラウマ由来の「先人がすでに発見した知識を利用してるだけで本当の自分は大したことがない」という葛藤にフォーカスされてた感じ。タイムスリップしたことより目の前の人命に向き合う南方先生リスペクト。

 巻数のある原作をまとめるとなると仕方ないのかなとは思いつつ、謎の赤子の声の回収が唐突だった気がする。急に龍馬お前だったのか(©︎ごんぎつね)ってなってたけど、なんでわかったんだろう。わたしが流し見だったせいなのかいまいちよくわからなかった。

 彩風さんはふくふく元気のよい小悪党という感じでかわいかったです。齋藤先生×漫画原作ということで今度のCITY HUNTERどうなるかなあという方が気になっている……。

 

ショー

 

Music Revolution(2019)

 先に望海さんサヨナラショーを見ていたので元ネタの曲だ! という感動が。中盤出てくるダイナミックな色づかいのフリフリの衣装、たぶん好き嫌いあると思うんだけど個人的には結構好き。見たのが最初の方だったのと同じ時期に見たのとでMRとドSが混じってしまってるところがあり、彩風さんがかっこよく登場してかっこよく踊る場面があったのはMRだったかドSだったか……どっちもかもしれない。だいたいかっこよく踊っているので。

 

Dramatic"S"!(2017)

 私の愛する人のイニシャルはS〜♪ってトップコンビのおたくも単推しもどっちにも適用できるいい歌詞だな。前述の通りMRと混じってしまってるんだけど、サプールやってたのはこっちのはず。芝居以上にショーは即感想を残しておかないと思い出すきっかけが難しい。

 

パッション・ダムール(2020)

 雪組の下級生中心に出演した専科の凪七さんのコンサートで、見といたほうがいいよ〜と勧められたから見た。すごく好きなコンサートだった……。雪組には素敵な下級生がいっぱいいるんだな〜というのを知れたことも含めて、見れてよかった。

 岡田先生のロマンチック・レビューというシリーズから場面を集めて構成されているのだけど、どの場面も本当に素敵。カテコでお話が出た、岡田先生は「清潔・上品・ロマンチック」をレビューをつくるうえで大切にしている、というのがまさしく体現されていて、「宝塚」を見たぞ! と思えるコンサート。衣装のセンスや色づかいもまるっと好き。革新的な要素はないのかもしれないけど、とにかく大満足した。

 お気に入りの場面はたくさんあるけど、サスペンダーで男役が踊る場面は今度の全国ツアーのル・ポァゾンにもあるとのことなので楽しみ。彩風さんのジゴロ絶対似合うしすでに興奮気味です。コンサート全体的に縣くんがガンガン推されていたけど、ここの縣くんはダンスがうますぎて笑ってしまうという域に達していた。ダンスのことはよくわからないなりに、キメ・静止の仕方が綺麗な人が好きだから縣くんも漏れなく好き。体格からすでに最高ですが。

 あとはやっぱり二幕冒頭のタンゴからのPARADISOが最高。縣くんはもちろんのこと、眞ノ宮くんにメロメロになって繰り返し繰り返し見た。凪七さん・眞ノ宮くん・縣くんの三人が太ストライプの明度違いのスーツというのが、二人が凪七さんの影のようにも見えてグッときた。ジゴロとPARADISOはジャニオタ(特にJr.担)通ってると余計に響くんじゃないかなと思った。

PARADISO

PARADISO

 娘役だと2021年版「さよなら皆様」で選抜されている有栖妃華ちゃんが歌がうまくてかわいくてかわいくてかわいいです。全然名前負けしてない。

さよなら皆様

さよなら皆様

  • 宝塚歌劇団・詩希すみれ、きよら羽龍、有栖妃華、都 優奈、朝木陽彩
  • J-Pop
  • ¥204

 

Greatest HITS!(2016)

 彩風さんならこれを見てほしいと言われていたグレイテストヒッツ。スカステに加入した5月がちょうど稲葉先生のショーの特集が組まれていて何本か見た感じ、稲葉先生とは趣味が合わない予感がする。衣装とか小芝居のセンスが好みではない……。GHはわりと好きな方。ベートーベンの運命をアレンジした曲にのせて望海さんを翻弄する彩風さんのダンスと表情がすごくいい。無邪気に遊ぶ子供みたいで……。目的を果たしたら途端に興味をうしなうとことか。でもやっぱり稲葉先生とは性癖が合わないんだろうなとも思う。

 踊ってる彩風さんを見ていて、自分の傾向として楽しそうに踊る人、首の可動域が広い人が好きだからさもありなん、と思った。

 

GOLD SPARK!-この一瞬を永遠に-(2012)

 中村暁先生のショーも最近見る機会が多い。けど稲葉先生以上に趣味が合わない気がしている。

 ご本人がいい位置にいるからというのは重々承知のうえで、OPの総踊りでは秒で彩風さんを視認できて、48GとJr.とプデュで培った動体視力があってよかったなと思っていたら赤い鳥の場面では全然見つけられなかった。わからん!と匙を投げたところで、真っ白な彩風さんと彩凪さんが銀橋を渡りながら歌いはじめたからびっくりしてベッドから転げ落ちてしまった。彩彩と呼ばれてコンビ扱いされてるのは知ってたけどこういう感じで出てたんだな〜と。階段降り然り。アイドル場面でも彩凪さんとシンメ位置でふくふくニコニコしながら歌って踊ってるのがすごいかわいくて2012年を強く感じた。ここからの積み重ねで今があるんだなというのも……まあ当たり前なんですが。

 音月さんがめちゃくちゃかっこよかったので見ている間ずっと「けいくん」と呼んでいました。

 

花組

芝居

金色の砂漠(2017)

 とりあえず上田久美子作演の芝居を見ろと言われているので素直に見た。「コンサバ見たら手叩きながら床びしょびしょにしそう」という悪口を言われていたのだけど、遠からずという感じだった。「復讐こそ我が恋」って歌詞が本当にいい。わたしは憎しみで繋がっている(少なくとも傍目にはそう見えるし、当人たちもむちゃくちゃになっている)ふたりがものすごく好きなのである。

 タルハーミネとギィの場合、彼らが主人と奴隷という立場である限り世間一般でいうところの「恋」をやるわけにはいかない、という固定観念があるわけで。そんなのバカバカしいって一蹴してしまったら終わりなんだけど、それができないのがあのふたりというか、タルハーミネなんだよな。テオドロスがイスファンの奴隷制度の歪さを指摘しても「そういうもの」だから、って取り合わないあたり、タルハーミネは王族の自分が奴隷に恋することは許されない/自分が許さないけど、だからこそ専属の奴隷という鎖でギィを繋いでおきたかったという無意識があるんじゃないかなと思う。イスファンから遠く離れた金色の砂漠でしかふたりは抱き合えないのだ……だんだん炎の蜃気楼みたいな話になってきたな。

 個人的にはテオドロスのキャラクター造形が好き。ギィを犠牲にしてからは父親と同じく赤い衣装を身にまとうタルハーミネとは対照的に、テオドロスははじめから終わりまで真っ青な豪奢なお召し物。イスファンに染まらないテオドロスを象徴するかのような。あっさり国に帰っていくあたりがテオドロスらしくていい。スタイリッシュにタルハーミネの膝枕にありつく場面がすごい好き。

 そしてシンプルにゴラーズ様に泣く。

 

はいからさんが通る(2017)

 映像は2020年のものだけど。はいからさん、めっちゃよくないですか。そもそも紅緒と少尉みたいなカップリング好きすぎるんだよな……。ラストのキスシーンで少尉が紅緒の手を自分の腰に回させるところにめちゃくちゃ萌えた。

 漫画原作の舞台という意味ではこれも2.5次元に分類されるんだろうけど、不思議とそんな感覚はなく、2.5次元化(というのも変な言葉だが)というより「宝塚化」なんだなと思った。

 紅緒がとても主体的・能動的な人物であったり、劇中でも平塚らいてうへの言及があったり舞台が女性の社会進出が進んだ時代だったり、原作はかなり昔の作品だけど、そういうところに現代の宝塚で上演する意味というか、意図を感じる。

 中学生時分だったら鬼島軍曹が好きすぎただろうな〜と思いながらpixiv百科事典を読んでたら、過去の内容もさることながら結びがなかなかエモーショナルだったのでオススメです。

 

 

ショー

DANCE OLYMPIA(2020)

 一幕が予想してた感じと違って初見時かなり困惑した。とりあえずアキレウス様に萌えればいいのか……? って。他にいろいろ見たあと振り返ってみると稲葉先生っぽいなと思う。

 

EXCITER!2018(2018)

 これは当時観に行った。富山に。なんで? しかも藤井先生と同じ日の観劇だった。当時も楽しかった記憶があるけど、改めて映像を見るとノリノリなショーで問答無用に楽しくなれるから在宅勤務中によく流してる。花組は飛龍つかさくんが本当にかわいいと思っています。チェンジボックスの場面、特にビューティマイティのくだりは本当にバカだなと思うんだけど、クセになってしまう中毒性がある。しかもあんなにバカなのにカッコいいんだよな……。という感じで藤井先生のショーはわりと好き。

 

シャルム!(2019)

 在宅勤務のBGVとして見たから流し見ではあるんだけど、華優希さんがこの世のものとは思えないかわいさで存在しているショー。ピンクのドレスを身に纏って魔法の杖を振りながら舞台を横切っていく姿が驚異的にかわいい。全景ショットになって気づくのだけど、もはや描く軌道、ドレスの裾の動き、というところまでかわいいのである……。

 シャルムの主題歌は各所で耳にしていたので、ようやく本家を聴けて満足。メロディが耳に残るいい曲だと思う。オタクだからなのかショーの主題歌が本当に好きで、もはや主題歌のために見てるところがある。

シャルム!

シャルム!

  • 宝塚歌劇団・明日海りお、華 優希、柚香 光、ほか
  • J-Pop
  • ¥204



宙組

芝居

オーシャンズ11(2019)

 「絶対悲劇的な展開にならない」という確信と安心感を持って見られる明るくて楽しい舞台。真風さんの演技がやたらとトレンディ。真風さんのかっこよさは「かっこいい」というひとつの芸なのだな……。真風さんのこと好きになっちゃった。

 主人公サイドのキャラクターが多い、かつそれぞれ特徴的だから顔見せにはいい演目だなと思う。ミーハーだから和希そらくんが結構好きなのだけど、ライナスはキャラクターが多い中でフォーカスされてて、期待の若手に担わせる役なんだろうな〜という感じ。オーシャンズ11の中でも若いことと偉大な父親へのコンプレックスもあって、ひとりだけごくせんのエピソードみたいになっててかわいい。

 宝塚偏差値がちょっとだけ上がったいま、これまでのキャスト表を見ると、かなり「わかる」配役だった。望海さんのベネディクト、瀬戸さんのフランク・カットンはちょっと見たすぎるので今度花組オーシャンズも見ようと思う(前にBSで放送したとき録画して見てない)。

 

夢千鳥(2021)

 前述の通りの和希そらくんへのミーハー心に加えて、「好きだと思う」って勧められて配信を買って見た。初・バウホール作品。オチで失速した感はあるけど、演出もつくりもすごく好みの作品だった。舞台のセットがシンプルで、これは個人的な好みともマッチしてるし(これは小劇場だからこそというのもあるだろうし、大劇場の舞台装置もそれはそれでいいものです)、それによって転換がただの転換でなく、効果的に機能したのかなと思う。現実と映画の世界(あるいは夢二の現実、または白澤の心象風景)を行き来するからおのずと場転は多くなるけどそれを感じさせず芝居に没入できたからすごい。

 夢二のやってることは本当にクソ男なんだけど、ああいう「かわいそう」が核にあるタイプはどうしてもかわいくて惹かれてしまう人が多いのもわかる。わたしも創作ではすごく好きなので。クソ男……かわいそう……かわいい……が延々とループしてた。わたしはたまきと夢二みたいなカップリングが本当に本当に好きだからタンゴの場面もたまきの怖さにも大興奮だった。夢二が君は異常だ! って言ってたまきから逃げ出すところまで含めていい。

 夢二が「青い鳥」を求め続けたのは幼少期に唯一自分の理解者だった姉の言葉に無意識のうちに縛られていたからで、その思い込みから夢二を解き放つのきっかけになるのが彦乃の父親の言葉ってことだと思うけど、それって『青い鳥』の筋書き通りだし、夢二は自分で『青い鳥』読まなかったのかな? というのがちょっと腑に落ちなかったのだけど、調べてたらメーテルリンクの原著はもう少し違う意味を孕んでる可能性が見えてきたので逆にわたしが『青い鳥』を読もうと思う。

 白澤が夢二が自分のもとを去っていくお葉にかける言葉を書きかえたのは、白澤自身が夢二を追体験することによって、いま自分の掌中にある「青い鳥」の卵を大切にあたためようと思ったから、そして蟻地獄にいる夢二を映画の中では掬い上げてあげようと思ったから、と思うんだけど、わたしはお葉にすがりつく惨めでかわいそうな夢二のことも愛してるんだよな……。急に性癖の話をしてます。

 恥ずかしながら宙組の娘役のことを全然知らなかったのだけど(男役もだけど)、みんなうまいんだなと思った。特に琴乃役の山吹ひばりちゃんのお芝居がすごくよかった。105期て……。これは個人的な問題だけど、夢二と琴乃の駆け落ちの場面でPTSDになった。

 あらゆる趣味が合う予感がしている栗田優香先生もこれがデビュー作ということで、今後の作品は組や出演者にかかわらず観に行っておきたいな〜と思った。

 

リッツ・ホテルくらいに大きなダイヤモンド(2019)

 なぜか瑠風くんのことが妙に気になっているので見た。これもバウ作品。幕開け即パーシー(鷹翔千空くん)からジョン(瑠風くん)への異常な矢印ソングが飛び出してきて、これジョンが主人公でいいんだよな? って確認した。最初に感じた違和感はある意味では合ってて、終わったあともずっとパーシーのことを考えてる。

 パーシーはキスミンと違って外の世界に触れていたけど、ジョンの前には誰も家に連れてこなかった、ということは、パーシーは「楽園」に招かれる客が殺されることに抵抗を感じていた、ということだと思う。そんなパーシーがなぜジョンを家に招いたのか、というのは劇中で彼自身が「手にかけなければならないとわかっていても、ジョンをひと夏だけでも自分ひとりのものにしたかった」と説明しているし、実際それは本心だと思う。だけど、彼が家督を継ぐために、その通過儀礼としてジョンを殺す必要があったんじゃないか、とも思う。パーシーがそれを意識していたかは別として。ジョンのような存在に惹かれる自分は「楽園」を守るためには邪魔になってしまうから、決別のために。

 パーシーにとってジョンの存在は「知らない方がよかったこと」だったんだろうか? ジョンは貧乏で、だけど魅力に溢れたみんなの憧れで、パーシーの言う「経済」の基準でははかれない存在だった。彼に出会ったことでパーシーは、「楽園」への疑問をより強く確信してしまったんじゃないのか。

 ジョンが結局キスミンの手を取るところがすごく悲しく思える。もしキスミンがいなかったら、ジョンはパーシーの手を引いていただろうか? そしてもしジョンがパーシーの手を引いてくれたとしたら、パーシーは「楽園」を抜け出せたんだろうか。ダイヤモンドの山を捨てて貧乏に生きるという選択ができない人たち、そうやって生まれて生きてきた人たちが口々に祈りを捧げる中、静かに涙を流すパーシーを見ながらそんなことを考えた。

 瑠風くんはとにかく声がよくて、歌もだけど芝居でも声がよく通る。ジョンがキスミンへ呼びかける〈I'm calling you〉は特に瑠風くんの声質に合ってて素敵だった。しかしもう黒塗りは勘弁してくれ……。

I'm calling you

I'm calling you



ショー

ハッスル・メイツ!(2018)

 和希そらくん主演のショー。なんとなく見てたんだけど中盤の小芝居で結構真面目になんなんだ、と思ってしまった。石田先生とは合わないんだなと思うことにした。

 

クラシカル ビジュー(2017)

 真風さんがすごい芸当を披露していた。フィギュアスケートペアで見たことがあるようなリフト。

 

VIVA!FESTA!(2017)

 ネコハジャが流れてきて爆笑してしまった。ネコハジャ大好きなので。正確にはPRODUCE 101 SEASON2の課題曲になってたネコハジャが大好き。高田くんが頑張ってるやつ。

▲セウンが好きなんだけど改めて見ると全然映ってなかった

 ネコハジャ選抜に瑠風くんも和希そらくんもいたのでそこだけ永久リピートしてます。博多座では和希そらくんがセンターを張っていたと耳にしたのでいつか見たい。ひとしきりネコハジャを堪能したあとに冷静になって「なぜ……?」と思うまでがセット。

 

アクアヴィーテ!!~生命の水~(2019)

▲イメージビデオみたいになっててなんだこれ……って気持ちになれるのでオススメ

 シンプルに愛してる……って、真風さんが、真風さんがアタシにそう言ってくれたの。みたいな気持ちになりながら見てしまうし、それが正しい楽しみ方な気がしてくるショー、アクアヴィーテ。途中いきなり私のホストちゃんがはじまるけど許してしまう。やっぱり藤井先生のこと好きなのかもしれない……。

 

月組

ショー

GOLDEN JAZZ(2015)

 これも見たのが前すぎて愛希さんがガッツリ踊る場面(おそらくジャズの起源の場面)と冒頭に朝美さんがドラムを叩いてる場面のことしか覚えていない……やっぱり愛希さん好きだなと思う。

 

星組

ショー

ESTRELLAS(2019)

 これは見たショーの中でも異色で、JPOPやKPOPを多用していたんだけどいまいち選曲が自分の好みと合わず……。

 

 

 こうして並べてみると結構見てる気がするし、組がかなり偏ってるなという感じなんだけど、月組星組は録画してるけどまだ見れてないものが大量にあるので……。見れば見るほど解像度も上がっていくので、どんどん宙組のことを好きになってきています。やっぱり過去の公演だと組替えや退団もあって難しいな〜と思いつつ、『おとめ』を引き引き見てます。

 今後放送するおすすめ作品があれば教えてください。正座して真面目に見るので。

 

*1:ほんまか?

*2:当ブログ調べ・世界一メディアミックスされてるコンテンツ

2021年1月〜4月の現場まとめ

 「感想ブログを書く」という行為がルーティンから完全に外れてしまっていたのと、そもそも感想を書くような現場にほとんど行っていないのと……というダブルパンチでまったく記録をつけていなかったこの4月までを振り返ってみようと思います。

 

1月

スルース〜探偵〜

STORY

著名な推理小説家アンドリュー・ワイク(吉田鋼太郎)は、妻の浮気相手であるマイロ・ティンドル(柿澤勇人)を自身の邸宅に呼び出す。不倫ヘの追及を受けるものだと思っていたティンドルに対し、ワイクは意外にも、「妻の浪費家ぶりには困っている」、「自分にも愛人がいる」と切り出す。さらにワイクはティンドルに、自宅の金庫に眠る高価な宝石を盗み出してほしいと提案する。そうすることでティンドルは宝石とワイクの妻を手に入れ、ワイクは宝石にかかっている保険金を受け取り愛人と幸せに暮らすことができるのだ、と。提案に乗ったティンドルは、泥棒に扮しワイクの屋敷に侵入するが…

感想

 吉田鋼太郎氏直々のご指名(だったっけか)での二人芝居ということと題材も面白そうでかなり期待していて、実際そこそこ面白かったお芝居。ただ、これは完全に個人的な問題だけど予習せずに行ったら予想してたものとはかなり違うテイストのものが出てきて、ちょっと肩透かしを食った……。ザ・会話劇!って感じのお芝居を期待してたんだけどもっと動きのあるお芝居だった。

 金持ちの白人男性という圧倒的な「強者」アンドリューが無意識のうちにみせる差別やマウントに居心地の悪ささえ感じていた1幕、そしてそんなアンドリューが実は時代に取り残されていること、自分の衰えに向き合えず懐古主義と自分の世界に閉じこもっていること(1幕でその片鱗を見せつつ)がマイロによってつまびらかにされていく2幕、の構成。マイロ優勢になったあたりからは特に、「見たい柿澤勇人全部詰め」みたいな状態だったなと。2階の手すりにしなだれかかるようにして妖しく笑うマイロとか、すごかった。悪魔的美しさ。そんなマイロにお前しかいないって縋りつくアンドリューは本気でぞっとする気持ち悪さであった……。

 なんというか、性的不能って男性にとってそんなに沽券にかかわることなんですかね……って冷めた目で見てしまうな、しょうもないなって。男性のそういうしょうもない「沽券」に面するとげんなりしてしまう度が年々上がってきています。『スルース』はそもそもそういう部分を描いてるんだからしょうがない。

 

パレード

STORY

物語の舞台は、1913年アメリカ南部の中心、ジョージア州アトランタ南北戦争終結から半世紀が過ぎても、南軍戦没者追悼記念日には、南軍の生き残りの老兵が誇り高い表情でパレードに参加し、南部の自由のために戦った男たちの誇りと南部の優位を歌いあげる。そんな土地で13歳の白人少女の強姦殺人事件が起こる。容疑者として逮捕されたのはニューヨークから来たユダヤ人のレオ・フランク。実直なユダヤ人で少女が働いていた鉛筆工場の工場長だった。彼は無実にも関わらず様々な思惑や権力により、犯人に仕立て上げられていく。そんな彼の無実を信じ、疑いを晴らすために動いたのは妻のルシールだけだった。白人、黒人、ユダヤ人、知事、検察、マスコミ、群衆・・・・それぞれの立場と思惑が交差する中、人種間の妬みが事態を思わぬ方向へと導いていく・・・・。

感想

 やたらと注意喚起みたいなツイートを見かけたけど、個人としては単純に「観てよかったな〜」と思えた作品。ひさびさにお芝居で泣いたんだけど、どこで泣いたかって1幕のレオの最終意見陳述ですよ。レオのあの性格で、見渡す限り敵意の視線しかない中で、知ってる人も知らない人もみんな自分を陥れる嘘を証言している状況で、「自分の気持ちを伝える」ということがどれほど勇気のいることだったか、どれほど恐ろしかったか、というのを考えると涙が止まらず……。レオとルシールの塀の中のピクニックの場面でも泣いた。なぜルシールが果敢に気丈に振る舞えたか/なぜレオがあの状況で狂わずにいられたか、をお互いに知らないまま相手をたたえるフランク夫婦……。ピクニックの日がたぶんふたりの初夜で(名言はされないけどおそらくレオの初体験だと思う)、あんなにお互いをいとおしく見つめる視線があるのか……と思いながらオペラグラスで彼らの表情を見ていた。彼らが言うように、なにもないはずなのに陽だまりの匂い立つ草原が見えてくるようで心にくる場面だった。

 観てびっくりしたのは、よく見かけていたキービジュアルがめちゃくちゃひどい場面だったこと。「浮かれてる南部人のパレードの中、人目を避けながら仕事に向かっていたレオが主役に据えられた"パレード"」の場面って。*1

 ユダヤ人であるレオが冤罪によって追い詰められていく、という本筋の背景にうつりこんでいた黒人たちの言葉や冷めた視線もひしひしと感じる。演出もすごく好みだった。改めて言うけど、本当に観てよかった作品でした。

 

2月

舞台刀剣乱舞

感想

 刀剣乱舞はミュージカルもストプレも縁がないなと思っていたんだけど、松田凌くんが出るということで今回は気にかけていた。キャスト発表されたとき普段刀剣乱舞の話が出ないタイムラインが一斉に湧いたくらいにはみんな大好き松田凌。のはずなのに、松田凌くんを知らないファンをいっぱい観測して時代を感じてしまった。メサイア若手俳優おたくの必修科目ですと言いたいけど円盤が流通してないせいで気楽に勧められるシリーズではないのであった……。悲しい話です。以上、余談。といっても演目自体への関心は薄くてチケットはとってなかったんだけど、いろいろあって知人から譲ってもらって観ることに。

 なんと初ステアラだったわけですけど、劇場に来た感がまったくなくて、横アリに着いたときと同じ感覚だな〜というのが到着した時点の印象。そして観劇後も似たようなことを思った。お芝居を観に行く、ではなく、舞台刀剣乱舞というアトラクションを体験しに行く、って感覚がしっくりくる。是非とか貴賤の話ではなく、別のエンタメだよねという話。個人的には劇場自体がそんなに好みじゃないかもしれない。ステアラの利点ってセットを作り込めるところ、360度スクリーンに映像出せるところだと思うんだけど、セットは極力シンプルな方が好きだし、そもそも映像演出が好きじゃない……。映像作品とは違う舞台の面白みって、なにもないところに風景を生み出したり、男が女になったり大人が子供になったりっていう想像をさせるところにあると思ってるから、それを全部説明しちゃうと面白くないというか。映像演出だからこそみたいなものもあるんでしょうけど。

 というステアラの感想はここまでにして。

 過去作をちょっと予習したとき*2に人間キャストの芝居パートが好きだなと思っていて、それは今作でも変わらなかった。歴史という物語の中で主人公になれない・他者という鏡がなければ自己を確立できない みたいな人間があらがう、という、個人的に好きな物語が紡がれてたところは楽しかった。ズッキーさんを中心としたLILIUMみたいな場面もあったし……。幻覚じゃない。

 ただ、これはわたしがキャラクターにまったく思い入れがないから感じることかもしれないけど、 キャラクターが浮いているような印象がどうしても拭えなかった……。ああこれゲームの台詞なんだろうな、っていうのが知らなくてもわかる感じ、入れなきゃいけないノルマなのかなって観てて思っちゃう感じがあって、なんとなくさめてしまう場面がちらほらあるかなあ。でもそれがないと刀剣乱舞である必要がないというか、本当にただの末満さんのお芝居になっちゃうのか。ちゃんとゲーム好きな人だとまた見え方が違うのかもなとも思う。

 松田凌荒牧慶彦を組ませて背中合わせにするのは、「初期刀」の二振と、いわゆる2.5次元舞台を初期から担ってきた役者ふたりの二重写のようにも読めて、末満さんから「わたしたち」への目配せじゃないかと疑っています。

 

▲ひどい

 

3月

 なし。かわりに韓国ドラマ『麗〜花萌ゆる8人の皇子たち〜(原題:달의 연인 -보보경심 려)』にはまってた。ふざけた邦題だけど人生や愛が詰まっています……。最後の方は泣き続けてしんどくなったほどに……。『陳情令』が配信されるということで記念に登録したU-NEXTだったけどラインナップが充実してていい。

 

▲めちゃくちゃエンジョイしている

▲こんなノリの話ではない 嘘広告

▲1話無料らしいですよ!

 

4月

スリル・ミー (山崎・松岡、福士・成河)

STORY

監獄の仮釈放審議委員会。
収監者“私”の五回目の仮釈審議が進行中である。
34年前、“私”と“彼”が犯した犯罪。
物語は、34年前に静かに遡っていく——。

 

19歳の“私”と“彼”。
ある契約書を交わした2人。
彼らに一体何が起きたのか。

 

“私”と“彼”
衝撃の真実が明かされていく——。

感想

 題材や伝え聞く評判から絶対好きなやつ! と思っていて、ようやく今年観に行けるぞ〜とかなり期待していたわりに、驚くほどピンとこなかったというのが正直な感想。松山回と成福回をそれぞれ違う友人と観たのだけれど、松山回は友人がすごく響いてる横で「保留……」としか言えず、成福回は友人と互いに頭を悩ませるという結果になってしまった……。曲はすごく綺麗で好き。なんというか、宣伝から受けた/予想していたものとは全然違う感触のお芝居だった。『クロードと一緒に』とか『46億年の恋』とかそのあたりを想定していった自分にも非がある気がしてきた。

 倫理的にダメな人は〜という注意喚起をしてる人がちょこちょこいたけど、わたしに関してはそこが原因というわけではなく。いや、創作に対する「お前らの都合に第三者を巻き込んでんじゃねえよ」という思いは年々強くなっていくんですけどそれはそれとして*3。すべてを明かしたあとの〈私〉の台詞が「認めてくれる?」であることにすごく嫌なタイプのホモソーシャルを感じて拒否反応が出てしまったのかもしれないなあと考えていました。

 おそらく〈彼〉がタチなんだけど、個人的な感覚としてはすっごい「逆」を感じていて、『スリル・ミー』ってわりとイニシアチブの話だから、案外重要な気づきかもしれないな……。

 演目としては響かなかったけど、〈私〉を村井くんにやってもらいたいなという気持ちはある。

 

 

 

 本当に全然お芝居を観ていないので以上です。6月からはちょこちょこ予定入れてるけどどうなるんですかね。こんな投げやりな気持ちになってしまうのは現代日本のせいです。悲しい。そうこうしてる間にどんどん感性が枯れていく気がする。お芝居に限らずいろいろ楽しめなくなってきてるのもそのせいでは? 人はそれを責任転嫁と呼ぶ。

 

 ただ、生観劇とは別に、雪組のfff/シルクロードのLVを観てから急に宝塚への「理解」が進んできてスカステを契約したりはしているので、もろもろの経緯とか見たものとかはまた別途まとめておきたいなという気持ち。

*1:ひどすぎワロタ

*2:ミラステロスで義伝を見た

*3:これが歳を重ねるということかもしれない