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彼が仮面を外すとき/続・ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」2019

ロミジュリ2019感想の続き。今回はとりあえず、(最愛の)マーキューシオというキャラクターについて書く。今回も勢いでいきます。

 

平間壮一という役者について

そもそも私がここまでロミジュリに熱を上げているのも、すべて平間壮一演じるマーキューシオというキャラクターのためである。マーキューシオが紹介されるとき必ずこう形容されるーー「狂気的」と。確かに、ロミジュリの世界の中でもわかりやすく憎しみが発露したエキセントリックなキャラクターであることは間違いない。しかしそれは表面的なものに過ぎない。「狂気的な役/サイコパス/殺人鬼を演じたい」という、若手俳優の9割が口にする(ガバガバ統計)言葉があるけれども、マーキューシオ含めそういう役柄はフックが多い分、表面的になぞるだけであれば演じるのもそこまで難しくはないのではないか(そしてそれに反して評価や人気は上がりやすいのではないか)と思う。勝手な想像でしかないけれど。だけど彼らの本質まで考え抜いて、ひとりの人間としてしっかり演じられる役者はなかなかいない。平間くんはそれができる役者だった。17年版のお芝居のことを鮮明に思い出すことはできないけれど、こんなにお芝居のうまい役者だったのかと腰を抜かすほどうまかった。歌やダンスももちろん進化していて、大好きなキャラクターをこんなに魅力的に演じてくれる平間くんは最高だし、ながらく「推し」という概念は自分と反りが合わないからと避けていたけど、平間くんのオタクになることを検討するほど素晴らしかったのである。

 

19年版マーキューシオについて

さて、マーキューシオについての私の解釈は17年版のときから大きくは変わっておらず、どちらかといえば「答え合わせ」に近い感覚ではあった。とはいえ、平間くんは私の想定をはるかに上回る回答を弾き出してくれたので、やはり今年のマーキューシオについても書き残しておきたい。

 

「名前」をめぐる葛藤

ロミオとジュリエット」は「名前」をめぐる物語である。「血」とも言い換えられるが、キャラクターはみなモンタギュー/キャピュレットという家の名に踊らされている。"俺はティボルト"ゆえに従姉妹のジュリエットに想いを伝えられない、自由に生きる権利などないと思い込むティボルトはその筆頭で、そんな彼らだからこそ、愛のために容易に家の名を棄て、自分はただ互いの恋人であると言えてしまうロミオとジュリエットは許されず、並々ならぬ敵意を向けることになる。

ただし、マーキューシオの場合は少し事情が異なる。彼は大公の甥であり、その名はモンタギュー/キャピュレットで二分されない。そんな彼がなぜモンタギューに属しているのか、キャピュレットへ人一倍憎しみを抱くのか、という背景について多くは語られることはない。ティボルトへの個人的な憎悪と、ロミオ・ベンヴォーリオへの親愛の情があったことは間違いなく、その辺りは私の勝手な想像で補完するしかないがそれはもはや二次創作の域なので、さすがに割愛する。(知りたかったら個人的に聞いてください……)しかしひとつ言えるのは、彼はモンタギューではないがゆえに、誰よりもモンタギューであろうとしたのだろう、ということだ。名誉モンタギュー、などと言ったらきっとマーキューシオは激怒するだろうが、モンタギューの仮面をつけてモンタギューらしい振る舞いをすることが、マーキューシオにとっての寄る辺だったのだろう。彼の親がどんな人物か私は知らないけれども、叔父である大公は中立を求められる立場の人間であり、昔からマーキューシオの味方になることはなかっただろうと想像できる。大公にも甥への愛はあったことは見ていればわかるが、それでは伝わらないものもある。彼は愛情を希求していた。それを与えてくれたのがロミオや、ベンヴォーリオや、モンタギューの面々だったのだろう。しかし彼には決定的に欠けているものがあった。それが血縁、モンタギューという名前である。その欠落を補うために、彼は誰よりもモンタギューであらねばならなかったのではないか。

 

持たざる者としてのマーキューシオ

マーキューシオがモンタギューという名に執着しているのをよそに、ロミオはいとも簡単にその名を捨てようとする。そう、愛のために。「モンタギューはキャピュレットを憎まなければならぬ」という、モンタギューでい続けるためには破ってはならない鉄の掟を、ロミオは破ってしまう。それはロミオがモンタギューという名を持つからだ。持つ者と持たざる者、ロミオとマーキューシオには、ここで大きな断絶がある。やっとの思いで手に入れた「モンタギュー」というアイデンティティを、根幹から崩されたマーキューシオの自我は崩壊する。『街に噂が』以降、まるで壊れた(ティボルトに言わせれば"壊れすぎ"な)人形のように、憎しみと狂気に操られるマーキューシオの姿は痛々しく我々の目に映る。けれども『決闘』でロミオと対峙した一瞬だけ、マーキューシオはその表情に本心を滲み出させる。ナイフや憎しみや狂気でデコレーションした「道化師」が見せるその一瞬の悲しげな瞳、それこそがロミオにティボルトを殺めさせるきっかけになってしまったのではないかと思うほど、印象的なシーンだった。

 

マーキューシオの死

マーキューシオは死ぬ間際、両家を呪う。それと同時にロミオへ生きろというメッセージを伝える。彼は全てから解き放たれ、安らかに眠る。彼が吐いた呪いの言葉は、字面だけ捉えればマイナスの意味合いを持つけれども、本心ではずっと抱いてきた両家へのコンプレックスを、ようやく素直に表明できたのだ、という、プラスの言葉のように思う。マーキューシオの死からヴェローナの街の悲劇は加速するが、単なる悲劇的な死と思いたくはない。ロミオとジュリエットの愛と死と同じように、マーキューシオの死も、街の狂気を打ち止めるための礎となったのだと私は願う。