夢と現実いったりきたり

舞台「メサイア 月詠乃刻」

2018年4月29日(日)13:00@メルパルクホール

messiah-project.com

 

日本政府高官が次々と集団自殺を遂げる前代未聞の事態が発生する。
チャーチ・公安の調査により、新興宗教団体「照る日の杜」が関わっていることが明らかになる。
潜入調査に乗り出す公安五係。
時を同じくして日本の根底を揺るがすプロジェクトが動きだしたとの情報を入手する。
任務のなか、自分たちの過去に向き合いぶつかり合う御池と柚木。暴走する小暮に雛森は何を思うのか?
そして、迫り来る未曾有の危機の中、急浮上する「ミコトノリプロジェクト」の実体とは…?

 

そんな中、サクラとして任務に当たっていた一人の男が帰国する。
その男の名前は…加々美いつき。

 

 メサイアシリーズももう何作目? って感じで、こちとら色んなメサイアの形を見せられてきたわけで、そろそろ大抵のことでは動じませんよ、という構えで観に行った月詠乃刻。が、さすがメサイア、毎回「やばい」を更新してくるコンテンツ。観劇後に友人とお茶をしてた時も本当にお通夜だった。

 

 今回、卒業したサクラであるいつきが主人公(といってもメインになるのは万夜と小太郎のメサイア)となったことで、これまでも何となくは描かれていた、サクラたちが置かれる絶望的な状況が鮮明になってた。二人そろって無事卒業できたとしても、その後のサクラにはメサイアの存在以外に希望はなく、死と隣り合わせで生きていかなければならない。メサイアシステムって、お互いがお互いの「神さま」になることでサクラを生に縛り付ける呪いみたいだな、と思ってたけど、今回は宗教団体・照る日の杜が舞台となったことにより、「神さま」が直接的に描かれていて、「あ~~~やっぱりな」って感じ。

 

 万夜と小太郎の話は多分いろんな人がたくさんしてくれてると思うし、今のところちょっとうまく言葉にできる気がしていないので置いておくとして、私は穂波葉礼と及川昴流の話をしておきたい。

 

 葉礼の圧倒的「選ばれない者」感がものすごく哀れだった。御神体にも選ばれず、万夜からも選ばれず、昴流からは「偽物の神」として憎まれ、彼は人生のうち一度でも誰かに選ばれたことはあったんだろうか。葉礼は万夜のことを自分の太陽だと言っていたけれど、それは純粋な信仰心だったんだろうか。自分にないものを持っている万夜がそれを手放そうとするのが許せない、という気持ちはなかったんだろうか。ということを考えている。人工的につくられた神だと知っても、それでも小太郎は万夜のことを神だと認めた。昴流が小太郎のような考えに至らなかったのは、やっぱり葉礼の存在じゃなくて、特別な力を持つ御神体を信仰していただけだからだろうなあと考えると、存在を承認してくれる誰かと出会えなかった葉礼はとても惨めだ。彼もまた照る日の杜の被害者だよなあ。

 

 あと、葉礼や昴流を見ていると、信仰心というのはあまりに身勝手に対象を理想化して消費している、というのを改めて突き付けられたような感じもあって、日々アイドルや演劇に対して「神さま」を見出して救われている身としてはかなり厳しい気持ちになった。勝手に信仰して理想を押し付けて相手に負担をかけておいて、理想像と違ったら「裏切られた」なんて、本当に最悪じゃん? でもそれしか生きるよすががないから、「裏切られた」なんて言わないから、信仰すること自体は許してほしい。ごめん。

 

 どこかで「月詠は鋼のオマージュ」と聞いて、だからこんなに好きなんだな……って納得した。私がメサイアシリーズで好きなのは紫微・鋼・月詠です。

 

 ところで、メサイア恒例・大楽の長尺カテコ、おっきーさんの告別式がめちゃくちゃ良くて。ふたりで卒業することを目標に頑張ってきたから今回の結末は本当に悔しい、と言ってくれたこと、そして、万夜と小太郎の間の感情をなんの衒いもなく「愛」と言い切ってくれたこと、すごくありがたいしおっきーさんが皆から愛されてる理由がよくわかった。カテコ中ずっと観客がズビズビ泣き笑いしてる光景、よく考えたらめちゃくちゃ面白かったんだけど、いや、泣くよね……。あと、杉江くんの姿がすごくよかった。挨拶の内容もそうだけど、ずっと一歩引いた態度でいたことや、おっきーさんとりょうきくんに一言ずつ声をかけていたのが、卒業したサクラであるいつきと重なってグッときた。

 

 内容的にはめちゃくちゃ良かったから、メサイアは物販売切を防止してください……。今回パンフ買えなかったんですよ。悲しい……。