夢と現実いったりきたり

映画「溺れるナイフ」

 

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映画「溺れるナイフ」を観てきました。そろそろ公開終わっちゃうところ、駆け込みで。原作が本当に大好きなので複雑な思いはありつつも、おおむね満足かなあ、という感じ。色んな制限がある(だろう)中では、うまく映画化されてたのかなと思います。

 

観る前の懸念

原作のオタク(敢えてこういう言い方をします)なので、観る前から色々懸念がありました。ざっくり言うと、①ビジュアル②設定の変更③監督④ターゲット層の4つです。

 

①ビジュアルに関しては、夏芽が黒髪というのがすごく引っかかっていました。原作では、夏芽の髪は明るい茶色?金?のような色です。何もかも原作通りにしろとは思わないし、黒はダメ!という理由も特に無いんですが、「小松菜奈ちゃんだから黒髪なんじゃない?」という気持ちがどうしても生まれてしまうのがオタク心ですね。「小松菜奈ちゃんのための映画になってたらどうしよう……」とかね。これは④のことにも関わってきますが、監督の過去作の評判を検索してると、「思春期の少女が云々」って文言がやたら目についたので余計不安になってました。オタクはめんどくさいね。

 

②設定の変更、これはメディアミックスの際には仕方のないことです。というか、原作そのまま映画化されてもそれこそ何の創造性もないしつまらんな……ってなります。原作を一度丁寧に分解して、そこに監督とか役者とか、色んな人による解釈が組み合わされて、再構築される。それを私たち消費者が受け取って、原作の新しい側面を知ったり、新しい解釈を得たりする……というのがメディアミックスの醍醐味だと思ってるので。ただ、どうしても快く受け入れる気になれなかったのが、夏芽が浮雲町に越してくる時期が、12歳の頃から15歳の頃に変更されていたこと。物語が展開してゆくのは中学生時代からだし、小学生時代から描いていたら尺の問題とか、それは色々あると思います。それでも主張したいのは、コウが一番全能感に溢れていて、「神さん」に近くて、発光していた時期と、コウも夏芽も彼の力を疑わず信じることが出来る幼さを持ち合わせていた時期が同時に成り立つのはやっぱり12歳の頃なんだ、ということ。「仕方ないんだ」と思いつつも、7やっぱりこれは小松菜奈ちゃん(と菅田将暉)を撮りたいだけなのかな……」と絶望しそうになっていました。オタクはめんどくさいね。

 

③監督は、これは山戸監督の作品が苦手……とかそういう真っ当な感じではなく*1ツイッターとかインタビューからなんとなく嗅ぎ取った匂いが、こう、「同族では」と。完全に同族嫌悪というか、本当に単に私の自意識の問題です。オタクはめんどくさい!!!

 

④ターゲット層。公式サイトを見て「ターゲット層間違えてない?」と思いました。魔法のiらんどとコラボしたロック画プレゼントとか、まじか!?って感じ。女子高生?女子中学生?限定試写会みたいなのもやってたし、なんかいわゆる少女漫画原作映画にきゅんきゅんを求めている層へのアピールがすごい気がした。たしかに溺れるナイフは少女漫画だけど、どっちかっていうと拗らせてる人間が読んでるイメージ(偏見)だったから大丈夫?って。しかし魔法のiらんどってまだあるんだな〜〜。

 

と、不安要素がたっぷりあって、でもやっぱ見にいかないわけにはいかないな……と悶々してたら早いもので12月になっておりました。映画化を機に原作読破した友人と見にいきました。流石に小さいスクリーンに追いやられてた……。

 

 

観た後の感想

第一に大友。大友は夏芽にとっての太陽なんですよね。夏芽が「普通の女の子」としての青春を手に入れて、「いいもの」になれる、そんな相手。(コウとの関係性は恋愛と呼べるか微妙なので)夏芽がちゃんとした恋愛が出来たのも、真っ直ぐな大友だからなんですよね。そういう部分が200パーセントくらい表現されてたと思いました。観ていて照れるくらい青春だったし恋愛してた。あれほとんどアドリブなのかな。途中関西弁出てたけど、重岡くんずるくない? 原作だと(顔がそんな好みじゃないから)大友よりコウ派ですけど、映画だったら大友派かな……。吉幾三を熱唱する姿とか、いいやつすぎるだろ……。そのへんはちょっと原作から乖離してるけど*2、映画大友ガチ恋気味なので、いいです。オッケーです。

カナちゃんもすっごくよかった。カナちゃんって中盤から気味の悪いくらいの存在感を放ちだす、エンドロールで最後にクレジットされるタイプのキャラクターだと思ってます。映画だと出番がものすごく短くて、映画だけ見た人だと「なんかコウちゃんのことが好きな地味な子」くらいの印象になりそうだけど、原作既読だと、節々から「カナ臭」が……とぞわぞわしました。特に高校上がってから夏芽に声をかける時の表情がえげつなかったです。中学生時代の髪の毛の感じもめっちゃカナちゃんだったな。こわいよ~~~。

夏芽は、高校時代の田舎くささというか、「元芸能人なのにオーラなくね?」って言われてる時期の埋もれ感がすごくよく出てた。「小松菜奈ちゃんってこんなんだったっけ……?」ってなってたんですが、広能さんに撮られてる時や最後の授賞式の時には息をのんでしまう程美しくて、何やらすごいなあと思いました(ナレーションだと幼い声なのもすごいよかった)。でも原作よりも彼女のめんどくささとか幼さが強調されすぎてるかな。

コウは……うーん……という感じでした。悪くはないけど、私の中ではあんまり印象に残らなかった……。大友に心持ってかれたからかな~とは思いますが、「全能感あふるる神の子」というより、「田舎のちょっとヤンキー入った目立つ子」って感じ。火祭りはすごいよかったけど。神々しさみたいなものが足りない気がしました。

映像で見れてよかったな、と思ったのは海の中のコウと夏芽のシーン。美しかったです。あと二度目の火祭りで蓮目とやりあうシーン。ちょっとカタルシスを感じました。

 

 どうしても「うーん」となったのは挿入歌とオチ。挿入歌、覚えてるのは大森靖子ちゃんが二曲くらいとtofubeatsの水星、あともう一曲くらいを女の人がカバーしてる感じだったんですけど、合わなくないですか? 両方嫌いじゃないけど、なんか夏芽って大森靖子聴かなさそう。というかジョージ朝倉大森靖子聴かなさそう……とか、冷静になってしまいました。ただの監督の趣味かな、とすら思ってしまう。オチに関しては、あれじゃ夏芽だけハッピーエンドみたいじゃん、っていう。コウもカナちゃんもあれじゃ救われてなさすぎて、えーーー!って。コウと夏芽がバイクに乗ってニコニコしてたけど、あれも夏芽のただの妄想で、この世界線だとコウは神さんの海に身投げしない?大丈夫?ってもやもやして終わりました。

 

 

というわけで、7割くらいはよかったかな……。ダヴィンチかなんかのインタビューで、監督が「何度も映画化されて、若手の登竜門みたいになったらいい」的なことを言ってた記憶があるんですが、たしかに5年ごとくらいに若手集めてやってほしいなって。

 

 

 

*1:監督の過去作ひとつもみてない

*2:原作は別れ際の大友はそんな感じじゃなかったはず