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夢と現実いったりきたり

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『アンダスタンド・メイビー』ーー誰かを信仰するということ

感想・レポ類

島本理生著『アンダスタンド・メイビー』上下巻を読んだ。たまたま大学生協で文庫フェアをやっていて、でも欲しい本が置いてなくて、そんなときこの本を見つけた。手に取ったのはタイトルが好きだったから。表紙はあんまり好きじゃなかった。あらすじと帯に躍る本文の抜粋が妙に気に入って購入した。

「やっと見つけた、私だけの神様を」
「羽場先輩は、私の、神様じゃない」

わたしは多分、『溺れるナイフ*1』を感じたのだ。実際、『アンダスタンド・メイビー』と『溺れるナイフ』にはいくつか共通点がある。

  • 主人公が「田舎」に住んでいること
  • 主人公が「神様」と呼ぶ人物がいること
  • 主人公が男性から損なわれた経験があること
  • 主人公が学校に馴染めないこと
  • 主人公がカメラマンと文通していること 
など。多分もっとたくさんあるのだろうけれど、目についた箇所だけ。設定は共通するものがあるが、『アンダスタンド・メイビー』は『溺れるナイフ』ではないし、『溺れるナイフ』も『アンダスタンド・メイビー』ではない。何が違うのだろう? と考えたけれど、上手く言葉で言い表せない。『溺れるナイフ』は、夏芽が男性に損なわれたことをきっかけで自分は飛べないと思い込んでいたが、本当はちゃんと飛べるのだと気がつく復活の物語で、『アンダスタンド・メイビー』は、自分にはないと思っていた翼の存在に黒江が気がつく再生の物語とでも言えるだろうか。

黒江は彌生君のことを「神様」だと言う。彌生君は飛び抜けてかっこいいわけではない、ちょっと太めで垢抜けない純朴な男の子である。周りからすれば「神様」でもなんでもない。だが、黒江はあくまで彼を信仰し続ける(疎遠になってからも)。皮肉にも、それが黒江と彌生君が一緒にいられなくなった原因となった。彌生君は、普通の人間として黒江のことを好きだった。黒江は、彌生君と肉体関係を持つことを拒否してしまう。当たり前である。黒江はたぶん、彌生君のことを男の子として好きではなかった。神様なのだ。

憧れと同様、信仰心は、恋愛感情としばしば混同される。実際、作中でも、黒江の母親が教祖に恋をしていた、と語る場面がある。あるいは、信仰心とはひたすらに純度の高く膨大な熱量を孕む恋愛感情といえるかもしれない。ただ、わたしの考えるところの信仰とは、それを向ける相手が人間であるという事実に気が付いたとき、絶望してしまう類のものである。悪気もなく、対象を人間と認めずに崇拝するのが、信仰なのである。

わたしを始めとした読者の大半は、黒江のような人生を送ってはいないだろうから、黒江の行動の全てを理解し共感することは難しいだろう。だが、彼女の心のかたちを作ったものの1つには覚えがある。無遠慮に向けられる男性性。黒江ほどの強烈な体験がなくても、日々感じるものだ。黒江はたしかに馬鹿で愚かなんだろう。でも彼女のことをその一言で切り捨てることは、わたしには出来ない。わたしは、彼女の中に自分を見る。自分よりもずっと不器用に生きる黒江の姿は、心を毟られるようだった。


正直、上巻を読んだときは携帯小説のようだと思っていた。失敗したかな、と思ったけれど、上巻を読み終わると、深夜まで止まれずに下巻も読破してしまった。この作品を手に取ることがあったら、もし上巻が合わないと思ってもとりあえず下巻の最後まで読んでみてください。




以上




*1:ジョージ朝倉の漫画作品。実写映画化が決定している。