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夢と現実いったりきたり

見たものの感想 思ったことなど

夏と花火とニンニンジャー

感想・レポ類

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昨夜、花火を見ました。屋台でフランクフルトと唐揚げを買って、せまいレジャーシートにみんなで肩を寄せ合って見ました。直前に雨が降ったおかげか蒸すような暑さは鳴りを潜め、涼しい中での花火でした。1年ぶりの花火はとても派手で綺麗で、途中首が痛くなったりしたけどめちゃくちゃ楽しかったのでした。

だけど見ている時に、わたしはニンニンジャーのことを考えていました。これは意図したわけではなく、全く自然発生的にわたしに降って湧いてきたのです。花火とニンニンジャーは似ている。いや、この2つに対するわたしの楽しみ方が似ている、と思いました。

わたしは花火を見るとき、その物語性だとか制作者の想いだとか、そんなものを読み解いて楽しんだりしません。花火の美しさや連続して打ち上がる様子にハイになるだけです。こんな連続で打ち上げるなんて作った人はきっとバカに違いない! と、頭が空っぽになった状態で呟くのです。工夫が凝らされたキャラクターの形の花火よりも、ひたすら連続で打ち上がる花火や、とにかく高く大きい花火が打ち上がったときに一斉に歓声が上がるのは、きっと会場にいる人々が同じようにハイになっているからでしょう。それはある種集団ヒステリーです。

わたしはその感覚を、ニンニンジャーを見るときにも持っています。もちろんニンニンジャーには物語が存在します。だけどニンニンジャーにおいて重要なのは物語ではないのではないでしょうか? どんな困難がやってきても、最後には天晴の持ち前の明るさ、理屈はわからないけれどきっと大丈夫だ、というイケイケドンドン精神の存在が、全て解決に導いてくれる。その安心感から、わたしたちは脳みそを空にして、何も考えずにニンニンジャーというお祭り騒ぎに酔うことができるんじゃないでしょうか。説明不要で老若男女がハイになれるコンテンツが、花火とニンニンジャーなんだと思います。


(個人の感想です。感じ方には個人差があります。)